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(回答先: 諦観を捨ててコミットすること その場所としてのインターネット 投稿者 FakeTerrorWatcher 日時 2005 年 9 月 13 日 03:42:20)
ご返答、感謝。問題はありますが、例えばVortaire.net日本語版のようなものから・・・
私がいつも注目している情報誌にティエリ・メイサンが主宰するVortaire.netがあります。元々はご存知のようにフランス語ですが、現在、米国に英語版、ベネズエラにスペイン語版、ブラジルとポルトガルにポルトガル語版、ロシアにロシア語版、ポーランドにポーランド語版、そして国は分からないのですが(ひょっとしてアルジェリア?あるいはフランス国内?)アラビア語版があります。
昨年まではフランス語、スペイン語、アラビア語だけだったのですが、今年に入ってから一気に拡大し、特に英語版の充実は目を見張るものがあります。
それぞれの版は、フランス語版の翻訳だけではなく、独自のスタッフと寄稿者網を持ち各言語圏で根を張ろうとしています。彼らが今のところどうしても近寄れないのがアジアの言語圏でしょう。
これには色々と問題はあるでしょうが、例えば、もしもヴォルテール・ネット日本語版のようなものが設立できたら、それが何らかのきっかけになる可能性があるのではないか、というような気もします。もちろんパリのレッゾー・ヴォルテールの編集局との連絡は必ず専門家が付けていかねばならず、フランス語、英語、スペイン語などに精通して日本語への翻訳の出来るスタッフがいなければならず、さらには日本語でオリジナルに発信した情報は、たとえ一部でも、英語に翻訳して逆に世界に送り出す必要もあります。
これは極めて困難な作業でしょうが、残念ながら私は日本の社会の中から独自のネット情報誌が誕生する可能性は感じていませんし、もしそれが出来たとしても、日本語の内部で「合わせ鏡」のような情報のやり取りをしていたのでは、意味がないと考えるからです。英語、スペイン語、ポルトガル語、ロシア語、アラビア語などは少なくとも2カ国以上、2言語以上の地域をつないでいる言語で、その言語で書かれた文章は常に「相対化の危機」に曝されざるを得ないのですが、それがあって初めて「情報誌」の意味を持つのではないか、と考えています。
私が持っている「ネット情報誌」のイメージはこのようなもので、ほとんど「無いものねだり」に近いと思います。しかし少なくとも「日本の中だけ」という発想のものでは作ってもすぐに潰されるだけでしょうし、存在自体が無価値だと考えています。
まあ、自分に出来ないことばかり言っていると、単なる愚痴になるでしょうけど。私個人としては、当面は阿修羅のような掲示板を通して、外国語からの情報紹介を地道に続けていきたいと思っていますし、そうするしか能がありません。
では、また機会がありましたら。