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http://www.janjan.jp/government/0509/0509031939/1.php?PHPSESSID=72132d58f9b7c064e74e4f90888eb377
テレビから消えた「刺客」 メディアはどこまで小泉政権に柔順なのか 2005/09/06
それにしても、日本のメディアは権力に柔順なことだ。今年の「流行語大賞」になるのではと、楽しみにしていた「刺客」が、消えてしまいそうなのである。多くの報道にあるように、自民党から「刺客」という言葉を使うのを自粛するようにと報道機関へお達しがあった。するとどうだろう、一部を除き各メディアは“はいそうですか”と、一斉に使用自粛を始めたのである。
そもそも「刺客」を選挙に利用しようとしたのは、自民党ではなかったのか。解散後の政府閣僚懇談会で、東京10区に小林興起氏の対抗馬として、小池百合子氏を自民党公認として送り込む時に「刺客」発言があった。また、小泉総理ですら、日本記者クラブでの党首討論に出席した際、新党国民代表綿貫民輔氏との会話の中でも使っている。
この双方とも、目の前にテレビカメラがあり、ニュースで放送され国民が見ることを理解した上での「刺客」発言である。使えるときは、最大限メディアを利用し、その言葉で話題作りをし、自党のペースで風を作るなど、総選挙の前半をリードしてきた。
それが、風は変わり、国民の間に違和感が漂い始めたのを察してのことだろう、自党にとって「刺客」が悪いイメージに繋がると判断すると、今度は一変して、報道機関に使わないでほしいと申し入れをしてくる。この節操のなさは噴飯ものだが、これは、権力によるメディア操作そのものである。
また情けないことに、これが自民党の意向通り、そのまま罷りとおってしまのだから、呆れてしまう。これでは、今のテレビ局などに腰の入った報道をしてほしいと願っても、無理ということないのだろう。
それにしても、小泉政権が誕生してからの何年かは、この手の造語が続いている。小泉政権の「構造改革」と対峙する派閥には「抵抗勢力」、今回の郵政法案反対する議員には「造反組」とレッテルを貼り、徹底的に悪いイメージを押し付けてきた。その勢い乗った「刺客」発言だったが、長続きしなかったようだ。
そう言えば、もう少し遡って、イラクで高遠菜穂子さんら3人の人質拘束事件が起きた際に、日本メディアそして国民挙って「自己責任」を大声で唱えていた過去がある。その「自己責任」は、未だにいろんな場面で使われている。これも確か政府側から発せられた言葉であったはずだ。
それを、高遠さんら3人の目的や活動内容はそっちのけで、「自己責任」の言葉だけが行き交っていた。あの後、「自己責任」の検証をメディアの中で行なったのだろうか。所々で見聞きするが、新聞なら墨記事に過ぎない。
あの頃、メディアは毎日のようにその言葉を前面に押し出し記事作りをしていた。週刊誌の誹謗は限度を超えていた。それが今は、バクダットで起きたモスク巡礼で、多くの死者を出してしまった事件は取り上げるが、サマワでなにがあろうと、イラク国内の他の地域で何人死のうと、一過性の報道で終始している。
それをすることで、政府の心象を悪くすると、考えてのことなのだろうか。だとすると、なんとこの国のメディアは、権力に柔順なことだ。
そこで、インターネット新聞に携わる市民記者としてはどうすべきかだが、何も難しく考えることはないのではないか。例えば、政府の意向に沿って大手メディアが「刺客」を使わず避けるのなら、事あるごとに使用すれば良いだけのことなのだ。
9月2日のJANJAN「今日のマスコミ」でも取り上げているが、HPでの情報掲載をめぐる総務省と民主党の攻め合いに見えるように、政府や各党が、今まで以上に「インターネット」には、敏感になってきているのは確かなようだ。
これだけインターネットが普及している今日、「人の口に戸は立てられぬ」ではないが、政府もこのスピードは止められまい。メディアから消えた、また消えそうになっている言葉を捜し、記事を書くのも面白い。
再度、「刺客」は、政府・与党議員が発言した言葉である。
(岩崎信二)