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マスコミの暴走
日本社会党の落日
05/2/14(第377号)「日本のマスコミの権力指向」で取上げたように、マスコミが政治的権力を握ろうとして、1991年のテレビ朝日の椿局長の事件が起った。椿局長は、国会で非自民政府樹立を画策して番組製作を主導してきたことを認める証言を行っている。しかし筆者が問題にしたいのは、マスコミの権力指向的な体質だけではない。マスコミが後ろ楯となったり、支持する政治勢力が、往々にしてとんでもないしろものという事実である。
当時、椿局長が画策した非自民政権の中心は、日本社会党ということになる。筆者に言わせれば、日本社会党はとんでもない政党であった。おそらく民主主義的体裁が整っている国の政党の中で、最低レベルの政党であったろう。このような政党を日本の政治の中心に据えようとした椿局長という人物は、権力のガリガリ亡者と言える。
随分昔になるが、筆者は、たまたま何人かの社会党の国会議員達と酒を酌み交わす機会があり、色々な話をしたことがある。そのうちの一人は、社会党左派の三月会の中心となっていた参議院議員であった。この国会議員は酔っていたこともあるが、「俺は本心では原子力発電に賛成しているが、明日は原発の反対運動に参加しなくてはならない」と筆者達にボヤいていた。見方によっては実に率直な政治家であるが、筆者達にとって驚きであった。
まさにこのようなところが旧社会党の本質である。表向き、社会党は「安保反対」「自衛隊反対」「原発反対」「成田空港反対」の政党であった。しかし日頃から現実の政治に接している政治家が、これらの全てに反対しているとは到底思われなかった。ところが自民党の政治家がこれらに関して、口を滑らせ問題となると、社会党を始め野党は一斉に攻撃した。マスコミもこれを煽った。しかしこのようないい加減な社会党という政党を抱えた日本では、政策がどんどん歪められた。
細川・羽田政権が倒れ、「自社さ」政権が誕生した。村山首相を始め、社会党の政治家は、これまでの方針を180度転換させ、安保・自衛隊を容認することにした。もちろんマスコミのこの社会党の変心への攻撃は熾烈を極めた。しかし筆者は、社会党の政治家が心変わりしたのではなく、本音で行動を始めただけと考える。社会党の政治家も元々本心では、「安保・自衛隊・原発」に反対していたのではなかったのである。
政治とマスコミの関係は、「自社さ」政権の一件でも分かる。政治家はマスコミが勝手に作ったイデオロギーを主張している間は、マスコミに庇護される。しかし一旦マスコミの論調に反する行動を行うと鋭く攻撃されるか干される。その後マスコミに見捨てられた日本社会党は、消えてなくなった。
ここで注目されることは、政治が主ではなくマスコミが主ということである。マスコミがイデオロギーを主張し、これに政治家がついて行くという姿である。先々週述べたように日本のマスコミは「戦前は軍国主義を鼓舞し、国民の戦闘意識を高めた。戦後は一転して左翼イデオロギーに染まり、共産主義・社会主義国家を礼讃していた。そしてべルリンの壁崩壊後は、「小さな政府」とニュークラシカル経済路線を推進している。」
マスコミの社会党への攻撃を強めた「自社さ」政権の時は、ちょうど左翼イデオロギーからニュークラシカル経済路線への転換期にあたっている。今回のNHKと朝日新聞の問題は、左翼イデオロギーの残党の最後のあがきみたいなものである。ところが最近では労働者の味方を気取っていたはずの朝日新聞であるが、シカゴ大学出身のニュークラシカル経済学派のエコノミストが客員論説員として論文を載せている。いつの間にか朝日新聞は、弱い者いじめの「構造改革派」に変身しているのである。
マスコミ人には「前衛」という変なプライドがある。「民衆はばかだから、自分達がオピニオンリーダとして民衆を指導しなければならない」と考える(それにしてはマスコミ人は知識が浅く、軽率である)。したがって日本のマスコミは、戦前なら軍国主義であり、戦後は社会主義・共産主義であり、今日では小さな政府の構造改革派である。学者や識者といわれる人々も、簡単にこのマスコミに迎合するような主張を始める。彼等は、マスコミに干されないように、マスコミの奴隷となって働くのである。
一億国民総玉砕
マスコミが暴走を始めると誰も止められない。戦前ならマスコミによる軍国主義の鼓舞である。当初、軍部や政府がマスコミを使って、国民の戦闘意識の昂揚を図ったかもしれない。しかし軍部も米国や英国との戦争までは考えていなかった思われる。特に海軍の主流派は非戦の立場であった。しかしマスコミとアジテータが一体となって、国民の戦闘意識を高めた。
軍部もマスコミと扇動者に煽られた国民の意向を無視することが難しくなった。いつの間にか国内で非戦論を唱える者は非国民のレッテルを貼られる風潮が出来上がった。当初、非戦の立場であった海軍も「国民のお金を随分使っているのに、戦わないとは申し開きができない」と開戦に同意することになった。開戦の報を聞いて、多くの国民は「これですっきりした」と開戦を歓迎したのである。これも国民全体が、マスコミと扇動者にマインドコントロールされていたからである。
戦後、マスコミは自分達が行った軍国主義の鼓舞を軍部や検閲のせいにしていた。自分達はむしろ被害者と居直っていたのである。「戦犯」については色々議論があろうが、マスコミと扇動者の責任は重大と筆者は考える。ところが卑怯なことに戦後は、一転してマスコミは戦前の日本を全否定する立場に変わった。戦前の日本には悪いところもあろうが、良いところも沢山あったはずである。こんなところにもマスコミ人の軽薄なご都合主義的な面が見られる。
世論を誘導するためマスコミを利用しようという人々がいる。しかし一旦、利用したはずのマスコミが走り出したら、戦前の例にあるように誰も止められなくなる。今日の構造改革運動と財政再建運動、そしてグローバリズムの礼讃もその一つである。これらに問題があると指摘する者に対しては、マスコミは全て既得権者のエゴとレッテルを貼る。
04/12/13(第371号)「第一回財政研交流会」で事務局は、文芸春秋の1998年7月号に掲載された山家悠紀夫氏(当時、第一勧銀総合研究所取締役専務理事)の「『日本の財政赤字は危機的』は大ウソ」という昔の論文を用意した。当時はようやく薄日が射してきた日本経済が、橋本政権の逆噴射的な緊縮財政によって、一転奈落の底に転落した頃である。
山家氏は論文の最後で「ある大蔵省OBが非公式の席で現在の惨状を『今回は薬が効きすぎた』と述べた」ことを紹介している。大蔵省が財政改革推進のために赤字を強調したが、意外にもマスコミの積極的な賛同を得ることになり、国民にあまりにも直戴に浸透してしまったという意味らしい。つまり大蔵省がマスコミを使って財政改革のムード作りを図ったが、それが行き過ぎたということである。たしかに日経新聞は、この頃「2020年からの警鐘」という気持ちの悪い特集を延々と続けていた。
事の発端は大蔵省かもしれないが、マスコミの財政改革運動の暴走は止まらなくなっている。今日8年後のプライマリーバランスの回復と言っても、鉛筆をなめながら作った空想である。8年後にはこれに関わった大半の官僚や政治家は既に引退している。一方、日本の社会は永遠に続くデフレでガタガタになっている。ところがこれまでどれだけ財政改革運動を行っても、財政が良くなっていない。そのうち「責任者は出てこい」という声が起るのは必至である。
財務省の中で意見が分かれていることは想像される。いまだに歳出カットと増税によって財政を再建するのが正しいと一途に信じている原理主義者もいるだろう。しかし一方には、筆者達が考えているような政府貨幣の発行や国債の日銀買入れで対処ができると柔軟に考えている人もいるはずである。その意味で2年前、財務省が招いたスティグリッツが「政府貨幣発行」について講演を行っていることが注目される。
筆者は、05/1/31(第375号)「財政当局の変心」で述べたように、財政当局にも今日のジリ貧路線からの脱却の必要性を感じている人々がいると考えている。しかし財政再建路線にのめり込んで入るマスコミが簡単に論調を変えることは考えられない。財政当局が、今さら積極財政でデフレからの脱却なんて言えば、「裏切り者」のレッテルが貼られ、日本社会党のようにマスコミから総攻撃を受けることになる。とにかく日本のマスコミの論調の先には、「一億国民総玉砕」が見える。