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雑感
第207回●2005.01.26(水)
書き手●佐藤 英之[批評社]
あまり勉強する余裕もないので、このところ思っていることを雑感風に書き記して日誌原稿に替えさせていただきたいと思う。
▲ ここ数年のマスコミの論調は、情報操作に近い報道が目立つように思えて仕方がない。例えば、憲法「改正」をめぐって国民の78%が改憲に賛成だと報道(「毎日新聞」04年11月3日)する。その根拠は新聞社のアンケートだという。どのような内容のアンケートをどのような層の人からとったのかを明らかにしないまま、ただ80%近い国民が改憲に賛成だという。それもたかだか2000人の、それもある程度社会的に地位のある人々からとったのであれば、改憲賛成80%は納得がいくが、それを国民の80%が改憲に賛成と報道することに何ら躊躇しない報道姿勢はマスコミが「公正中立」な報道姿勢を自ら放棄することになるのではないのか。まして憲法「改正」論議をめぐるアンケート調査である。あたかも国民の80%が憲法9条改正に賛成しているかのように喧伝するマスコミの姿勢には唖然とさせられるし、情報操作に近いこの手の報道に易々と乗せられてしまうこの国の人たちとは一体何者なのかと暗然としてしまう。こうした国の行く末を推し量るアンケートなら内容もきめ細かい項目の調査が必要であり、調査対象も各県別にするくらい時間をかけて調査するのは当然ではないかと思う。戦後六〇年、現行憲法の枠組みでは対処できない地球環境問題や選挙権の年齢制限の改正(15歳で源泉所得税を課税されている場合は選挙権を保障すべきだし、18歳で全員に選挙権を保障すべきだし、国会議員は国家公務員と同様に65歳で定年にすべきだと思う)、社会保障、社会福祉など、少子高齢化時代にはさまざまな領域において「改正」が必要なこともあるが(もっとも憲法があったからといって基本的人権や三権分立が現実的に保障されるわけではない)、憲法は国家の権力行使を規制し、国民への義務を果たすための形式的な装置に過ぎないわけだから、法治国家なら黙っていても基本的人権が保障されるなんてことはありえない。私権や人権や地方自治が徐々に制約されて気付いたときには後の祭りなんてことにならなければいいのだが。
▲ このところ教育問題に取り組んできたので、学校現場の先生方と親しく付き合える関係になった。東京都の公立学校の教育現場は凄まじいばかりの締め付けでもはや公教育は死滅したといってもいいくらいである。都教委の「教育改革」の狙いは、日本型「民主主義」の理念のなかに多少とも根付いていた公平性と救済思想を根底的に剥ぎ取るためのものでしかない。義務教育としての63制を中高一貫教育に改変し、できる子、できない子、障害をもった子を振り分けて子どもたちの中にさらなる階層化を作り出そうとする。教育現場には都教委の監視の目が光り、校長・教頭は教師の管理に神経を研ぎ澄まし、子どもたちは息詰まるような学校空間でひたすら学力神話に翻弄されている、といったら、最近の子どもたちが起こす「事件」の背景が想像できるのではないかと思うがどうだろうか。
この国の戦後を支えてきた公教育のよさは公平性と標準化をもっともよく体現してきた領域の一つであり、この標準化された教育水準がフロンティアを推進する大きな力の原動力であったことをいまいちど確認すべきではないだろうか。
▲ 少子高齢化現象が意味するものは、人口減少社会の到来である。日本型高度資本主義の社会とは大都市一極集中ではなく、地方分権・地方自治政府の存立と日本型農業立国の成長によって支えられるのではないかと思う。この国の未来は決して暗くはない。[了]
http://www.hanmoto.com/diary/diary050126-1.html