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はじめに
今回は『プロザック(PROZAC)』という薬についてお話したいと思います。
おそらく名前を聞いた事がある人も多いと思いますが、一応ご説明させていただきます。
プロザックとはSSRI型抗鬱剤で、Eli Lilly社が1988年にアメリカで発売して以来、爆発的な人気を呼び、世界中で2000万人以上の人々が使用していると言われています。
アメリカでは、落ち込んでいる、気分が重いという軽い患者にも処方され、"魔法のクスリ"として多くの人々が服用され、厳しい競争社会を生き抜くビジネスマンも「明るくなる」「積極的になれる」という評判から服用することもあるそうです。
ちなみにSSRI型というのは「Selective Serotonin Reuptake Inhibitors」の略となり、日本語に直訳すると『選択的セロトニン再吸収阻害物質』という事になります。
人間の脳細胞にはそれぞれの細胞の間にシナプスと呼ばれる溝があり、脳細胞がセロトニンやアドレナリンといった脳内物質を生成した場合は、このシナプスを通って次の細胞に吸収されて、情報を次から次へと伝えていくような仕組みとなっています。
そしてセロトニンがシナプス内に微量しか流れていないと鬱病の原因となります。
そこで、SSRIはセロトニンがシナプスから減らない様にうまく調整することより、鬱や気分の暗い性格を修繕し、明るく前向きに精神状態を持つ事ができるようになるとされています。
日本でも輸入代行業者を介せば簡単に手に入ります。
またSSRI系 の抗鬱剤が藤沢薬品からルボックス、明治製菓からデプロメールという製品名で販売されています。
この抗鬱剤なのですが、今回のアドバスターズの記事によるとトンデモナイ副作用があると記されています。以上の予備知識を踏まえた上で本文をお読みください。
第一話【目撃者】
20世紀最後の日にノースウェルスの精神医、デイビット・ヒーリーはある興味深い実験を行い、結果も面白いものになりました。
精神病歴なしの心身共に健康な20人のボランティアが参加して、半数はゾロフトというパルゾック以来有名になったSSRI系の薬を2週間服用します。
そして残りの10人はSSRI系以外の旧型の抗鬱剤を同じく2週間服用します。
そして2週間経過した地点でお互いの薬を交換し、その効果の差を調べる実験でした。
しかしながら、実験結果が出るのを待たずしてSSRI系の薬を服用していた2名のボランティアが危険なほどに錯乱状態に陥り、自殺願望まで持つようになってしまいました。
元々、二人共健康だったので、単純な情緒不安定からこのような反応がでたとも考えられませんでした。
2人の内の1人は30歳の女性で、薬を服用してから2週間後に彼女は走っている車の前に飛び出したいと願望に捕われてしまいました。
「その時は全く夫の事も、子供の事も考えておらず、自分を轢いてくれる車の事以外は何も考えてはいない様子だった」とヒーリーはレポートしています。
10人中2人の人間、すなわち服用者の10%にこのような状態が現れた結果は、これからも同じ症状を起す人間がいる事が十分起こりえる事をはっきりさせる結果となりました。
しかしながら、最終的な研究結果としては、この2名以外には一応良い効果が現れていました。
この結果に驚いたヒーリーでしたが、驚きに固まってる場合でもありませんでした。
数ヶ月後にはゾロフトに対する市民運動の専門家参考人を努める事になりました。
その際に、彼はゾロフトを販売している会社のアーカイブ(データーベースの一種)にアクセスする権利を手に入れて色々と調査を行ったところ、1980年代に行われた未公開の実験データーが見つかりました。
そのデーターによると女性のボランティアがゾロフトを服用した所、服用した人間の精神が不安定になるなどの効果が現れたため、わずか4日間で実験が中止された事が記録されていました。
ヒーリーがSSRI製品に対する市民の運動に参加したのはこれが初めてではありませんでした。
今回の件よりも以前に、かの有名なパルゾックのメーカー・イーライリリー社を相手に、プロザックが自殺を促したと訴える裁判に専門家証人として参加していました。
ヒーリーは裁判では原告側の弁護を努め、SSRI製品がまれに人の心の落ち着きをなくし、自殺願望を高める効果があることを含めて様々な問題を提起して行きました。
彼が非常に優れていた点は、彼は過激な人間でもなければ、常識はずれな人間ではなかった所です。そして、時として彼は自らをも実験台にして様々な抗鬱剤を研究を重ねてきました。
実際、彼が担当したSSRI問題に関する訴訟にはSSRIに問題はないと判決を下されたものもいくつかありましたが、とある事件を境にその見解も変わって行きます。
第二話【犠牲者】
1955年、ビルはジェーンという女性と出会い結婚。
西ドイツで二年間の兵役を努めた後は、生まれ故郷のロサンゼルスへに移住し、レンタカーショップの経営を始めました。
後にはビルJrにスーザンという二人の子供にも恵まれ、店の経営も投資事業も順調でした。そして1990年、自分達の子供に誘われる形でビルとジェーンはハワイのマウイ島で余生を過ごす事になります。時にしてビルは61歳、ジェーンは54歳でした。
ロマンス溢れる新生活を送るはずでしたが、生活の移り変わりはビルにとっては辛いもになってしまいました。
新しい生活に順応できないがために発生するストレスはやがて結婚生活にも支障が出てきました。
しかしながら、何かと結婚カウンセラーが助けてくれたおかげもあって、ビルの精神状態は改善の兆しをみせ、何とか生活していました。
しかし、ハワイに移住して3年が経過するも、ビルはいまだに環境に馴染む事ができませんでした。
そこで、地元の精神科医はプロザックを治療薬としてビルに渡しました。
飲んだ事がある人はわかるかもしれませんが、プロザックを服用した初日は気分が明るくなり、とても前向きな気持ちになる事ができますが、その翌日には病院に通院を始めた時のような、憂鬱な気持ちにもどってしまいます。
そんな気分を繰り返しながらも、プロザックを服用して数週間が経過し、ビルは誰もが退院できると認められるほどに回復してきましたが、プロザックは飲みつづけていました。
家族もビルが回復したと考え、退院した翌日にはボートトリップにいく事になりました。
そしてその当日、ビルJrは自分の両親を待ちますが、昼を過ぎても一向に集合場所に現れる気配はありません。心配になって家まで様子を見にいってみると、なんと二人は自宅の台所で血だらけになって死んでいました。
ビルは台所からナイフを取り出しジェーンを15回以上切りつけて殺害した後、椅子にナイフの刃を上に向けて固定し、自らを串刺しにして自殺しました。ポラゾックの服用を始めてから11日目の事でした。
落ち込んでいる人は時として、自暴自棄になる事があります。
しかし、日頃のビルを知る人間にとっては、今回の行動はとても信じられるものではありません。
そして、残されたスーザンとビルJrは父が服用していた薬に何かあると考え、製薬会社を告訴する事にしました。
イーライ・リリー社に対して、ビルの事件のような不法な死に対する訴訟が行われたのは今回が初めてではなく、1994年には精神錯乱による障害・自殺等の事件はすでに160件を越えていました。
ほとんどの場合は訴えを破却されてしまい、法廷で争った事例も全て和解金で解決されてきました。
実際の所、この当時のイーライ・リリー社は法廷でも負けた事がなく、プロザックも90年代中ごろには実に20億ドルもの売上を上げていました。
1999年3月、ホノルルの地方裁判所にてビルJrとスーザンはいまだ法廷で戦っていました。
スーザンは「あれだけのお金や権力を相手にしてるんだから、対した事はできないと思うけど・・・・。でも、戦わなきゃ、トライし続けなきゃとも思うの」と答えてくれました。そして、デイビット・ヒーリーを専門家参考人として、原告側の告訴の内容をまとめると、
1.ポラゾックが精神の錯乱を誘発し、自殺願望を抱かせる悪夢のような効果がある。
2.会社側がこのような効果があることを知りながら、医者に警告も行わず、事実を慎重に隠蔽しようとしている事。
以上2点が争いの焦点となっていました。
第三話【証拠】
プロザックが世界中で最もよく知られる日常品の一つになっているにもかかわらず、「静座不能」を引き起こす副作用が残ったままでした。
「静座不能」という状態は足がむずむずしたり、一箇所にじっとしていられなくなるなどの症状です。
この副作用はしばらくすると有名になり、プロザックが売り出される10年前の1978年にフルオキセチン(プロザックの原型となった薬)がアメリカのマーケットに現れた時も臨床試験の結果から副作用や他の 問題点について指摘がありました。
プロザックの開発チームの記録によると、「患者の何名かは重度の鬱状態から数日後には静座不能や錯乱状態へと変化を起こし、中には症状が激しく薬を患者から取り上げなければならないケースもあり、期待される効果とは逆の効果が現れたテストも少なくはない」と記録されています。
また、1985年に作成されたリリー社の社内文章によると、従来の抗鬱剤(三環系抗鬱薬)とプロザックを比較した場合、5〜6倍ほどの高い割合で自殺率を示すデータが算出されたことが記されてありました。
この文章の最後には「プロザックをめぐる利益VSリスクの考慮はまだ明白には利益支持の方向には傾いていない」という言葉で締め括られていました。
そして、ビルの事件のようなトラブルが明るみに出るにつれて、リリー社の記録がこれらの事態にが起こり得る事を 知っていたのが明白になってきました。
1984年にはイギリスの医薬品安全性委員会から「プロザックを使用して治療を行った所、約16件の自殺未遂事件が発生した。この内2件は本当に自殺してしまった。」という内容の手紙をリリー社に投稿しています。
また、似たようなケースが1985年・ドイツにて発表された文献にも「プロザックが静座不能と自殺を促す効果がある事を警告すべきである」と主張しています。
また、臨床実験の研究によると、プロザック(SSRI系抗鬱剤)と非SSRI系抗鬱剤の比較調査を行った所、1000人のSSRI系抗鬱剤服用者の内、自殺願望を持つ傾向にあった人間は12.5%。
一方の非SSRI系抗鬱剤服用者は3.8%、プラシーボ(気休め剤)は2.5%でとの事です。
そして、1988年にプロザックがマーケットに現れて以来、リリー社が自社の研究室で見てきた恐ろしい事実が警告もなく世間に出まわっていることを明らかにするレポートが発表されました。
1990年に「American Journal of Psychiatry」(アメリカ精神医学ジャーナル)にて、『フルオキセン治療中の自殺願望向上の発生』という表題で著されたレポートには、二人のハーバードの精神科医と看護婦によると、ポラゾックを与えて治療を行っていた所、患者が重度の自殺願望に気を取られた事件が起きたと述べています。
担当していた医師の話は次の通り、
「彼らは重度の強迫観念に悩まされ、暴力的な自殺願望抱く様になった事実には本当に驚かされました。その暴力性は特にすごいもので、ある二人の患者は最初は空想にふけっていたようですが、あるとき自分たちを銃で撃ちぬこうとしました。一人はなんとか止める事ができたのですが、残念ながら残る一人は間に合いませんでした。自殺を止めることができた患者のほうは、今は自分を傷つけない様に拘束しています。」
2年後、「Archives of General psychiatry」(総合精神医学書記)においてある高齢の研究者は「過去に自殺未遂を試みた履歴のない患者に対して、プロザックで治療を行いました。すると、精神が錯乱状態に陥ったり、そわそわして落ちつかない状態から自殺願望を持つ様になり、逆にプロザックでの治療を止めた後には先に述べたような状態が沈静化した事がわかった。」とレポートで述べています。
プロザックを使用中は先で述べたような問題が発生し、服用を止めると症状が引いていくという事実が発見されました。
この事実はSSRIを販売している業者が主張する、「自殺の原因はディプレッション(憂鬱状態)である」と言う事実が違うものであるという証拠になっています。
ハーバードメディカルスクールのアンソニー・ロスチャイルドとキャロル・ロックは、1991年に「Journal of Clinical Psychiatry」(病院精神医学ジャーナル)にて三人の患者の事例を著しています。
ある三名の患者がプロザックを服用中に高所から飛び降りて自殺を図ろうとしました。そして、その三人は次々に自分を殺してしまいたいとう奇妙な願望に駆られた事を理由にプロザックを返してきました。
まず25歳の女性によると、 「自分を殺そうと思った時、別に何かに絶望していたわけではないの、ただ、何かすごく自分が心配性になってそれで・・」と話し、また同じく3人の内の一人である47歳の男性もまた「彼女の言う事はまさに自分がプロザックを使っていた時に感じたことだ、また崖から飛び降りたくなったよ。」と述べていました。
これらの事実を反映して、メーカー側は服用する人に対してこのような副作用が不可抗力的に存在し得る事、また、どうすればそれを治癒できるかを予め了承させておく必要があるとアンソニーとキャロルは主張しています。
そして彼ら曰く「自分の人生にいきる価値なんてない」と思いこんでしまう劇的な発作に見まわれて闘病生活にピリオドをうってしまった患者さんも何人かいたそうです。
第四話【被疑者】
プロザックが服用量に関わらず危険だというレポートにはさすがのリリー社も怯えました。
1990年初頭に、リリー社の重役の一人が「もしプロザックがマーケットから撤退するような事になれば今までの努力は全て水泡とかしてしまう」という内容のメモを掲げました。
US Food & Drug Administration(以下FDAと表記)がプロザックの安全性についてリリー社に質問をした所、リリー社は自分の薬が安全である事を証明するためのレポートを作りました。このレポートが出版されたのが1991年9月21日の事です。
リリーの社員が作成したこのレポートは、プロザックと他の現存する全ての抗鬱剤とを比較したものでした。
レポートでは3065人の患者のケースについて論じていましたが、実際はリリーが研究し続けてきた内容の12%ほどの内容しか反映されておらず、会社とプロザックにとって都合の良いデーターを集めただけに過ぎないものでした。
このレポートで取り上げれていない自殺願望に捕われた人のデーターや不快な副作用を経験して病院を抜け出した患者のデーターは抜き取られていました。
ニューイングランドジャーナルによってリリー社のレポートは否定されましたが、残念なことに、このジャーナル自体にあまり目立たないジャーナルだったせいかリリー社の暴走を止めるまでには至りませんでした。
都合よく編集された研究結果と、自らの薬は安全であると繰り返し主張し続けた甲斐もあって、遂にFDAは「自殺や暴力的な行動はプロザックを含めた抗鬱剤の使用が関係している事を証明する決定的な証拠はない」、という内容の証書を出してしまいました。
そのおかげで、プロザックは生き延びる事となります。
先のビルのような事件が起こるまでは、今まで述べてきたようなリリー社の社内書類や詐欺の深さは明るみに出る事はありませんでした。
発見された証拠書類の一つとして、『感受性の強い患者の方は躁病や精神病は抗鬱治療によって促進される恐れがあります』と書かれた告知文を製品に添える予定でしたが、結局行われる事はありませんでした。
1990年10月と日付がうたれたメモには、「あのかなりの数の自殺未遂の問題をどうするか?」とか書かれていて、それに対して「その数字の横に『吐き気』と書いとけば、そんな大事にはならんだろう」と返答するメモまで発見されていました。
1992年に台湾にいる二人の医師が「自殺行為とフロキシチン治療」という研究メモを発表しようとした際、リリー社のメモによると「我々の作戦は成功だ。Dr.ルーはフロクシチン(プロザック)とマプロチリンの比較データーを発表しない」 と記されており、似たようなケースでは、プロザックの副作用について研究していたドイツの医師・ロバート氏にリリー社の弁護士がその研究を止めろという内容の命令書を送った事がわかっています。
しかし、最終的にロバート博士は「医師はフロキシチンの危険」という調査結果を1997年に発表しています。
リリー社がプロザック自殺事件で法廷に出る時の態度は決まって力強いもので、裁判で勝つために、判決が有利なるように働きかけを行い、口先だけの論理だけで表決が下されてきました。
当時の裁判官の調べによると、リリー社が原告側に多額の金銭を支払って、事件を内密にしてもらうために、賄賂を渡していた事がわかりました。
このペテンは裁判官が原告側の弁護士にリリー社の過去の犯罪の証拠の提示を求めた直後に行われており、裏で極秘に和解が行われたことを知ったあと、裁判官は評決を変えるように努めました。最終的に判決を 覆すことはできましたが、事態はすでに手遅れで、リリーはすでにプロザックに関する小さな訴訟であっても裁判で 負けない方法を見つけてだしていました。
第五話【最後の審判】
1998年に『カルフォルニア・ロイヤー・マガジン』にてマイケル・グリン・ヒィールド弁護士はリリー社の法廷における状況をまとめ上げ、予言も含めて以下のように述べています。
「リリーはプロザックの件でいつかは審判を下される事になるだろう。しかし、今のところはその日が訪れるのをを先延ばしにする事に成功している。」
これは本当にその通りで、1999年4月2日、デイビッドの証言やリリー社の社内文書の証拠があるにも関わらず、陪審員はリリー社の主張を支持してしまいます。陪審員の目にはビルが妻を殺したのはプロザックが原因でないと映っていました。
リリー社が裁判でサバイバルをしている間、原告側の主張が見とめられたケースもいくつかありました。
2001年5月、オーストラリア人のデイビッド・ホーキンスは最高裁がもしデイビッドがゾロフトを服用していなかったらかれは妻も殺さなかったし、自殺を試みる事もなかったと判決を下したため、刑務所から釈放されました。
他には同じく2001年ウイオミング州の裁判ではグラクソ・スミスクライン社が製造するSSRI系抗鬱剤「Paxil」に対する裁判で、アメリカ人男性,ドナルド・シェル(60歳)はストレスや憂鬱などの症状を医師に訴えていました。
医師はPaxilを渡して治療を開始したところ、服用から2日後、ドナルドは銃で妻、娘、そしてまだ幼い孫娘を射殺し、最後は自らを撃ちぬいて自殺しました。
この事件に関して陪審員はPaxilが自殺や殺人願望を抱かせる作用を持ち、それがドナルド・シェルの事件についてもそのように作用が働いた事も認めました。
このような話は北アメリカ、ヨーロッパのコミュニティを乱すばかりでなく、突然の悲劇に一般の家庭が見舞われる事から、混乱と秘密主義的な性質(自分の家族の人間が薬飲んで気がふれて自殺しましたなんて事を他の人に言いたがらない)に隠れて事実が良く見えないような状況に陥っています。
1999年の春には、2000件の自殺があるとFDAはレポートを受けており、この内の25%はプロザックの服用から自制不能や錯乱状態にあったと考えられています。
同協会はまた、実際にレポートされたのは少数だと見積もっており、デイビット・ヒーリーは実際に自制不能 から自殺した人の数は50,000人に上るのではないか考えており、全体のSSRI系薬の利用者は当然にさらに 多くなります。
このような統計と自社の専売特許を失うという事実に直面したリリー社は、2001年に新型の抗鬱剤を開発し、2002年末には発表すると宣言しました。
新型はセロトニンの量を調節するSSRI系とは異なるもので、皮肉な事に、かつてSSRIが他の薬を時代遅れにしようとしたのと同じように、憂鬱治療の革命と言われたSSRIも今は消え行く段階に入っています。
このような進歩のない時代の流れを受けて、何の解決もしないまま終わってしまったとしたら、数々の悲惨な経験を被った事も、全ての犠牲者の死も何の意味も持たなくなってしまうのではないでしょうか?
もしそうであれば、SSRIを販売した事実は、タバコの販売と同じように、20世紀における最も悲惨なマーケティング・スキャンダルの一つとして、いつの日か結論付けられる事になるでしょう。
(Adbusters#41 The Lilly Suicideより)
著:Richard Granpre
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