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(回答先: 保険料はトヨタ、日産が払えばいい!? 投稿者 鉄人 日時 2005 年 10 月 13 日 02:14:59)
こういった問題の社会学的見地です。↓
【受益圏と受苦圏】
http://www.asyura2.com/0505/idletalk14/msg/1005.html
タバコについての言及はありませんが、「同じこと」です。
以下にその部分を抜粋しておきます。
また、スモーカーの保険料負担を高く設定してある生命保険は既に普及しています。
リスク区分保険
http://www.so-net.ne.jp/money/life-ins/0fp/allthat02/0801.html
これはもちろん「喫煙=悪」という社会風潮に乗じたマーケティングであると同時に、いっけん「フェア」であるように偽装しているだけなんですね。
(ノンスモーカーをターゲットとした商品)
タバコと言えば癌を連想させますが、「〇〇と癌」という関係は全てにおいて言えることです。
以下は癌と職業に関連するサイトです。
http://www.jicosh.gr.jp/Japanese/topics/cancer.html
そもそも問題の根底は、現代医学において癌を克服することが極めて困難であるということ。
「癌研」におられるお医者様にお聞きしたことがありますが、彼ははっきり「癌とは老化の一種」であり、回避困難とおっしゃってました。
もちろん、真偽のほどは小生が保証できるものではありませんが。
タバコは癌以外の様々な病気を誘発するという意見もあるでしょうが、同じことです。
そんなこと言うなら、スモーカー以前に肥満の問題をなんとかせねばならない。
「デブの保険料を上げる」となったら、どんな騒ぎになるか想像してみると面白い。
以下、ソキウスからの抜粋です。
受益圏と受苦圏
権力批判の硬直した伝統的流儀がなぜ現代社会において破綻しているかについて、もう少しきちんと説明しておこう。端的に一括すると、それは現代の権力作用の複雑性による。それをかいま見せてくれる研究として船橋晴俊・梶田孝道らの研究チームによる「受益圏と受苦圏」の議論がある。
受益圏と受苦圏の概念は社会問題を研究するさいの理論的枠組みとして考案されたものである。「受益圏」とは、問題とされる組織の活動による利益を何らかの形で享受する人びと(さらに組織や地域や階層や世代や人種)であり、「受苦圏」とは、その組織の活動によって平安な生活環境が保持できなくなる人びとなどをさす。たとえば、工場が有害な廃液を川へたれ流すことによって、まわりに住んでいる人が悪臭に悩まされたり、健康を損じたりした場合、工場をもつ企業とその関係者が「受益圏」であり、まわりに住んでいる人びとは「受苦圏」にあたる。この場合「圏」とは、境界線がはっきりしていることをしめすことばであって、地域に特定されるわけではない。もちろん地域だけでなく階層・年齢・人種・民族などの属性によって受益圏と受苦圏が分離することもある。可視性が乏しいということはあるかもしれないが、おそらく性についてもいえるだろう。
この対概念を使うメリットは、両者の重なりと分離をはっきり捉えられるところにある。たとえば、廃液を流す工場の周辺住民は基本的に「受苦圏」であるが、そのなかには工場で働く人もいるし、下請けの仕事をしている人びともいる。また、そこで働く人びとのための商品やサービスによって糧を得ている人びとも多いはずである。つまり、その人たちは「受苦圏」に属しているとともに「受益圏」にも入っているわけだ。この領域の人びとは一種のジレンマに陥ることになる。他方、工場内で働く人びとは、その労働によって利益をえている点で受益圏であるが、有害物質を貧弱な対策の下でとりあつかわされているケースも多く受苦圏になっていることがあるかもしれない。
受益圏と受苦圏の範囲の重なりと分離は現代社会の場合じつに多様になっている。これこそ現代の社会問題を認識する上での最大の困難なのである。
たとえば、自動車の排ガスや騒音の問題において受苦圏の幹線道路周辺住民と受益圏の自動車業界の労働者のあいだにある溝は深いが、階級対立ではないし、後者の加害者意識は薄い。まして道路に排ガスと騒音を直接だしている自動車のドライバーに加害者意識はないのがふつうである。また、国鉄時代に名古屋で問題になった新幹線公害問題では、利用者(乗客)・国鉄・建設業界・メインテネンス業界・旅行業界・停車駅周辺の商工業界などが受益圏にあたり、建設のさいの立ち退きによって生活基盤の立て直しを迫られた人びとや開業後に騒音・振動・電波障害などの公害を被った人びとが受苦圏にあたる。
近年の社会問題とくに一九六〇年代の高度経済成長期以降における大規模開発問題では「拡大化した受益圏」と「局地化した受苦圏」の対立が基本構図になっていて、その分、一方では受益圏にある人びとの加害当事者意識が薄く、他方で受苦圏の人びとは孤立無援の状態のなかで不利益を一方的に被ることになりがちである。たとえばゴミ処理場建設問題のように受益圏と受苦圏がほぼ重なっている場合(重なり型紛争)は、問題への関心が人びとに高まり、受益の無限拡大に歯止めがかかりやすく、ゴミ減量や清掃工場の無公害化など反省的な動きが活性化しやすい。ところが、受益圏と受苦圏が分離している場合(分離型紛争)には、受益圏が一方的に受益を享受し、局地化した受苦圏が一方的に社会的損失を受けつづけることになり、しかも両者のあいだのコミュニケーションも困難になってしまうために、問題の解決がたいへんむずかしくなる。そして現代社会において国家規模の非常に広域な事業が多くなると、受益圏が拡散してしまって、受益圏にいる人びとが自らを加害者側に位置づけられず、問題に対してもっぱら傍観者的態度をとることになってしまう。
社会問題の多くは「テクノクラート・対・住民運動」の対立構図として現象するので、一見「国家権力・対・一般大衆」のように見えるけれども、その内実はこのように複雑化しているのである。このような事態は、「権力側」とは自分たちのことかもしれないという重要な知見を示唆する。わたしたちはそれを見ようとしていないだけなのかもしれない、と。
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