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(回答先: Re: オータナティブ:::豪華病院がオルターティブなの? 投稿者 北かばさん 日時 2005 年 10 月 07 日 17:28:56)
オータナティブ・メディスン、さらにホリスティック医療という概念が社会に広く認知されることは大切なことだと俺も思うが、ここではそんなことを話しているのではない。
もとネタは今後、医療保険、介護保険の負担額がどんどん高くなり、“健康でなければ暮らしてさえいけない”社会へと日本が陥りつつあるということだろう。
俺が“オータナティヴ”という言葉を使ったのは、“人生の選択肢”のことなのだ。
そもそも「医療・介護問題」とは言うが、これらは人間が「どう生き、死んでゆくか」という大きなテーマから切り取って考えられるものではない。
最近の阿修羅は、何につけ「貧困層と富裕層」というように真っ二つに分けて議論展開される傾向があるが、現実にはそんなことはない。
おおかたの日本人は、世界的に見ればまだまだ豊かであり、特に平均的な団塊の世代以降が「現在保有している資産、蓄えた金(年金を含む)」でもって、自分らの残りの人生をどうデザインしていけるかを真剣に考えれば、いくらでも選択肢はある。
そういった意味での“オータナティヴ”を提示したのみ。
俺が常々腹を立てていることは、土地や株や貯金や年金その他もろもろを合算すれば数千万円もの資産を有する日本の“庶民”が、「発想を変えれば、オータナティヴな生き方はいくらでもできる」ことには目を向けず、相も変わらず“社会に依存”し続け、その自らが依存している社会が悪化の一途を辿れば怨嗟の声をあげるばかりで自分らでは何もしない。
「救わなければならない人々」はあんたらではなく、今晩の食事にもこと欠く人々なのに。
自分たちが暮らす社会を良くしよとし、その為に働きかけることは大切なことだ。
だが俺が見た限りでは大半の人々は、「自分を生きる」為の自助努力もせず、自分の「依存先」に対して怨嗟の声をあげるだけで本質的な問題から逃避し、それを指摘されれば「あくまで問題は社会が悪いからだ!」の一本槍、常に個の問題を「全体の問題」に転嫁することでの責任逃れ、とどのつまりは「悪いのは俺じゃない」。
日本人の「甘えの構造」、これに見た。
目を向けるなら社会ではなく、己に向けよ。
己に目を向けることを「自分勝手」と非難する風潮こそ日本社会が絡め取られている「関係性の罠」であり、柔軟な思考をもって「いちぬけた」する人間に対する嫉妬、「幸せになるべくは俺であり、お前が幸せになるのは許せない!」という薄汚い奴隷根性の表れではないのか?
「社会が悪い」「人のことを考えろ」とは、まったく便利な言葉だ。
どんな時代であれどんな社会であれ、社会というものは大いなる矛盾を含む。
だが、どんな時代であれどんな社会であれ、人々はその中で創意工夫をし、生きてゆかざるをえない。
自分が不幸なのは社会のせいだとし、その悪い社会につきあって自分まで不幸にならなければならない道理は毛ほどにもないのだ。
幸福というものは、不幸に抗ってこそ獲得できる。
日本人の多くが、「人生とは自立すること」を旨とし、自分の人生自分でデザインし、さっさと「自分の人生」を生きるようになれば、その時はじめて社会は変わるのだろう。
海外脱出は数ある“オータナティヴな生き方”のひとつでしかないが、それにしたって「自分で生きていこう」とする人が日本を出て行けば、それだけ国家は「面倒を見なければならない人間」が減り、負担は軽くなる。
またそうなれば、「より貧しい国」への資金移動が起こるわけだから、移動先の社会にも多少の貢献となるし、メイドや介護者を雇うとなれば雇用の創出にもなる。
さらにまた、「(国民は)どうせ逃げられないだろう」とタカをくくって国民から富を吸い上げようとする国にとっては、たいへんな脅威となる。
「住みよい国にしなければ、国民が逃げる」となれば、馬鹿でも本腰入れて政治に取り組むだろう。
そういう意味でグローバリゼーションは、逆手に取れる。
何かのインタビューで、「五体不満足」の乙武君は言った。
「不幸になりたい人は、どんどん不幸になったらいい」と。
この意味、多くの日本人は、スルメを噛むが如く噛み締めるべし。
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