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(回答先: 医療には資本主義は似合わないのかもしれない。→ まさにそこでしょうね。 投稿者 デラシネ 日時 2005 年 10 月 01 日 23:02:44)
ということで書こうと思ったけれど話は(いつものように)飛んでゆくぅ〜
さて、少しだけ・・
医療というものが資本主義にはなじまないものである・・・ということは多くの人が同感と思っていることだと思います。否、医療に限らず資本主義というものは問題が多すぎます。各論は諸氏に任せるとし・・。
以前、ここ阿修羅で臓器移植の話が出たことがあります。
私は色んな理由で「臓器移植はすべきではない」という考えを持っている人間です。
その理由の一つはデラシネさんが指摘されたように、
「最先端の医療で一人救われることと、そのかかった医療費があればアフリカなどでどれだけ多くの人の命が助かるか?」
ということです。自分は助かりたい、家族も助けたい、そして自分には財力がある、あるいは、世に呼びかけて寄付を集めてそれを実現という人もそういうことが可能ではある。
「思いやる」ということは自分の周囲の人にだけではなく、光が当たらない、そういう境遇の人にこそするべきことだという気がしてならない。
しかし、多くの人にとって「大事なのは自分に係わりの深い人だけ、地球の反対に住んでいる人なぞ係わりなぞほとんどない」・・という具合ではないでしょうか?
自分に係わりの深い人を大事に思うということは、言葉を換えれば「自分が可愛いだけ」ということに他ならない。伴侶、子供、親、兄弟、などを「愛する」ことは自己愛の範囲を出るものではない気がする。
自分に係わりの無い、あるいは少ない人や人以外の生き物にさえ、自分と同等、同様に大切な存在と思うことこそ「愛」に値するはず。
(蟻を見つけて何時間でも眺めているような人は愛の塊です。)
私自身、家族が有り、親兄弟子供が居る。そして特別な感情を持ってはいる。しかし、私は家族に対する愛情というものは、それが最終目的ということではなく、「この世で愛を学ぶ微小環境」ではないかと考えています。家族を持つことで自然に芽生える「愛情」は愛情そのものを学ぶため、そして気がつくための教室に過ぎないのではないかと。
こんなことを書くと親が皮肉を言いそうです「親不孝の極めつけのようなお前が愛を語るなぞ腸がよじれるわ!」・・・などと。「ごもっともですはい!」こうして今日も反省猿の膝枕は反省ポーズをするのであった・・・・。
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