★阿修羅♪ > 国家破産42 > 405.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
日本の小売業に多大に貢献したが。
日本最大の不良債権をつくってしまった。
しかし、流通革命は彼なしにはできなかった、その業績は偉大である。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050919-00000103-yom-bus_all
スーパー大手のダイエー創業者で、戦後の流通史を切り開いた中内●(なかうち・いさお)氏が19日、死去した。83歳だった。(●は「功」の右側が「刀」)
中内氏は8月26日、学園長を務める流通科学大(神戸市西区)を出た後、気分が悪くなって倒れ、神戸市内の病院に入院。脳こうそくと診断され、治療中だった。
1957年9月、大阪市旭区の千林商店街にダイエーの1号店を開業して以降、全国に店舗網を広げ、大量仕入れ、大量販売で安売り路線を定着させた。72年には、売上高で三越を抜いて小売業日本一となった。暮らしに密着した品ぞろえのスーパーを日本で最初にチェーンストア化し、高度成長期の大衆消費社会をリードした。
小売業以外の事業でも、プロ野球の南海ホークス(現ソフトバンクホークス)を88年に買収したほか、リクルートへの資本参加やホテル、遊園地、外食、パチンコなどを傘下に収めた。
だが、消費の多様化などに対応が遅れた結果、90年代半ば以降、ダイエーグループの業績は悪化。99年1月、経営責任を取って社長を退任したが、会長、代表取締役最高顧問などとして、経営の指揮を執った。
しかし、その後も業績は回復せず、ダイエー関連の役職をすべて退いていた。
(読売新聞) - 9月19日14時32分更新