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(回答先: 早くも米仏から総スカンを食らった独シュレーダー新政権の“陰の首相” クライン孝子 TAKAKO KLEIN 投稿者 hou 日時 2005 年 8 月 13 日 17:06:45)
http://www.tkumagai.de/KoenDokoheIku.htm
どこへ行くドイツ経済 熊谷 徹
ただいまご紹介にあずかりました熊谷 徹と申します。私は、日本とアメリカでNHKの記者として働きました後、1990年にミュンヘンにまいりまして、今日まで13年間働いております。
13年というと、それほど長い時間ではありませんが、この短い間にもドイツ経済は大きく変わってまいりました。その変化の中でもっとも注目するべきことは、ドイツの経済構造のきしみが、これ以上放置しておくことができないほど、深刻なものになってきているということです。
ミュンヘンの町を歩きますと、ふだんは華やかな雰囲気のテアティーナー・シュトラーセの付近ですら、倒産したり、廃業したりして、空家になっている店が、目立つようになってきました。しかし、ドイツの経済が抱えている病は、このように目に見えるものではなく、もっと根深い構造問題であります。
去年の夏ごろから、「ドイツは第二の日本になるのではないか」という声が、政治家や財界関係者の間から、しきりに聞かれるようになりました。去年の連邦議会選挙で、キリスト教社会同盟のシュトイバー候補も、シュレーダー首相の経済政策を攻撃するために、こうした言葉を使いました。
ドイツ銀行のアッカーマン頭取も、今年一月に行った講演の中で、「ドイツはもはや政治的・経済的にヨーロッパの先頭に立つ機関車役ではなく、第二の日本として見られている」と述べ、この国の現状を強く批判しています。
ドイツの銀行の研究所で働いている、著名な主任エコノミストは、去年の暮れから今年に賭けて、最も多く浴びせられた質問は、「ドイツも日本のようになるのか」という問いかけだったと語っていました。
日本が、問題を抱えた経済システムの例として、引き合いに出されるのは、外国に住んでいる日本人の一人として、情けない気持ちがしますが、ドイツ人の間でも日本の問題の深刻さは、広く知られているので、やむを得ないのかもしれません。
もちろん、日本とドイツを単純に比べることはできません。たとえば、ドイツでは日本のように、不動産価格が急激に上昇した後、バブル崩壊の後に価格が下がって、巨額の不良債権が発生するという現象は起きていません。
それでも、日本とドイツの経済が抱える問題には、いくつか似ている点があります。一つは、どちらの国でも、経済成長がほぼ止まってしまったことです。
日本とドイツは、戦後の荒廃から見事に立ち直り、すぐれた製品を輸出することによって、経済大国の座にのし上がりました。しかし、このグラフが示していますように、1990年代に入ると、ドイツでも日本でも経済成長率が低下し始め、去年は実質ゼロに近い状態になっています。特にドイツでは、成長率が1996年から毎年欧州連合の平均を下回っており、ここ数年は欧州連合の中で最も低くなっています。
1990年代を通じて、この国は何回か不況を経験してきましたが、マルクが他の国に比べて強くなりすぎて、輸出が大きな打撃を受けた1993年を除けば、去年のように成長率が0・2パーセントという低い水準まで下がったことは、一度もありません。
つまり経済成長率の面から言えば、ドイツは、もはやヨーロッパの優等生ではなくなってしまったのです。
企業の大型倒産も、新しい現象です。去年は、大手建設会社のホルツマン、映像メディア企業だったキルヒ・メディア、航空機製造のフェアチャイルド・ドルニエ、大型機械・プラント製造のバブコック・ボルズィグなどが次々と破綻しました。このように有名な企業が一年間にいくつも倒産するという現象は、90年代の初めには、考えられなかったことです。去年ヨーロッパで倒産した企業のリストを見ますと、負債額が最も大きかった10件のうち、7件までがドイツの会社でした。
ドイツの銀行の業績が急激に悪化していることも、日本と状況が似ていると言われる理由の一つです。今年に入って、ドイツ市民が「私の預金がある銀行は、大丈夫だろうか」と心配している声を、初めて聞きました。銀行の安定性に対する懸念は、90年代の初めに比べて、大幅に高まっています。
実際、大手銀行が最近公表している、2002年度の決算報告は、惨憺たる内容です。ここミュンヘンに本店があるヒュポ・フェラインツ銀行は、昨年8億5800万ユーロ(日本円で約1029億円)の赤字におちいり、配当が出せなくなりました。この銀行が赤字決算となったのは、初めてのことです。またドレスナー銀行は、ヒュポを上回る9億3500万ユーロもの赤字を出しています。
こうした巨額の赤字の原因は、企業の倒産が国内外で相次いだために、銀行が貸し倒れ引当金を大幅に増やさざるを得なくなったことです。お金を貸した相手の倒産に備えた引当金は、ヒュポでは前の年に比べて83%、ドレスナーでは17%も引き上げられています。
たとえば、ドイツのメディア王と呼ばれたレオ・キルヒのグループ企業に対して、ヒュポ・フェラインツ銀行など、四つの銀行が行っていた融資は14億ユーロ(日本円にして 1680億円)にのぼりますが、この内のほぼ半分が返済されず、不良債権になると言われています。
また、世界的に株価が下落したことで、銀行が持っている株式の価値が下がって、多額の損失が発生したことも、赤字決算の大きな原因になりました。
銀行の監督官庁である、連邦金融サービス監視庁や、連邦銀行は、国民の不安を抑えるために、「ドイツの銀行は、貸し倒れ引当金を、厳密に積み上げているから、大手銀行が倒産したり、日本のように不良債権問題が拡大したりする危険はない。日本のような銀行危機は、起こりえない」と説明しています。しかし、その一方で、不良債権の実態は、公表されているよりも深刻なのではないかという憶測も出ています。
たとえば、今年2月16日にはベルリンの連邦首相府で、シュレーダー首相やアイヒェル財務大臣と、ドイツの銀行首脳が金融業界の現状について、会合を持ちました。この席で、ドイツ銀行のアッカーマン頭取は、「銀行の不良債権を買い取るための、いわゆるバッド・バンクを設立する計画を支援して欲しい」とシュレーダー首相に要請しただけでなく、公的資金によって、不良債権の一部を処理することまで求めたと言われています。
本当に不良債権を処理するためのバッド・バンクが設立されるとすれば、この国では初めてのことです。銀行界の首脳たちが、首相にこのような直談判を行ったことは、ドイツの不良債権問題の根深さを物語っているように思われます。公的資金の要請は、この国の銀行業界が、「自分の力だけでは、危機を脱出できないので、助けて欲しい」と白旗を掲げたにも等しいからです。
また、大手銀行よりも、地方銀行の方が、事態が深刻だという声も聞きます。たとえば、バイエルン州北部のホーフという町にあるシュミット銀行では、2001年度に損失が13億ユーロ、日本円で1560億円に達し、事実上の破綻に近い状態に追い込まれたため、バイエルン州立銀行などによって救済措置を受けました。この銀行では融資の40%が不良債権になっており、ドイツの地方銀行に対する救済としては、最も規模が大きいものになりました。
業績が急激に悪化したため、銀行も融資に慎重になってきました。フランクフルトのある投資銀行によりますと、去年の五月の時点で、ドイツの銀行が行った融資の額の伸び率は、過去20年間で最も低くなっています。ドイツ経済の根幹ともいえる中小企業は、自己資本比率が低く、銀行からの融資に依存する傾向が伝統的に強いために、融資が絞られることは、大きな影響を与えます。
銀行の貸し渋りが強まっている背景には、国際決済銀行が、おそくとも2006年には、導入することが決まっている、新しいBIS規制、いわゆる「バーゼル2」があります。
この規則によると、銀行は融資先の貸し倒れリスクに応じて、自己資本比率を達成しなくてはなりません。このため、リスクが高いと判定された企業に対しては、銀行は高い自己資本を持たなくてはならないため、融資の条件を大幅に厳しくしたり、融資を避けようとしたりするわけです。新しいBIS規制については、日本のマスコミはあまり大きく報道していませんが、導入の時期が近づくにつれて、銀行の融資に関する姿勢が、ますます厳しくなることが、予想されます。
ドイツの銀行は、アメリカやイギリス、フランスに比べて業界の再編が大幅に遅れているため、他の国よりも収益性が低いことで知られています。たとえば、皆さんも、ミュンヘンで地下鉄の駅を降りられると、いたるところに銀行の支店があることに気がつかれたと思います。パン屋さんの数よりも、銀行の支店の方が多いという冗談すらあるほどです。この支店の多さは、個人顧客向けの銀行業務の、利益率が、他の国に比べて低くなる原因のひとつになっています。たとえば、イギリスの銀行では、支店あたりの客の数が3800人であるのに対し、ドイツではわずか1400人です。
銀行の株価が去年の秋から急激に下がっていることは、投資家たちが、業績の悪化に反発しているだけではなく、銀行業界の構造改革がなかなか進まないことに、しびれを切らしていることの現れでもあります。
日本では株価が一時8000円台を割ったことで、生命保険会社の含み損が拡大しているという懸念が高まっており、予定利率を下げることを認めるべきかどうかという議論が行われています。ここドイツでも、保険会社は株価の下落で苦しんでいます。たとえば、ミュンヘンに本社がある、ドイツで最も大きい保険会社アリアンツは、保有していた株式の評価損のために、去年55億ユーロ、日本円にしておよそ6600億円もの損失をこうむり、第二次世界大戦後、初めて赤字を計上しました。
株価が順調に上がりつづけていた時代には、保有株式からの含み益で潤っていた保険会社も、株価の低迷によってしっぺ返しを受けているのです。これも、日本で過去10年間に私たちが見てきたシナリオと大変似ています。今になってようやくドイツの経営者たちは「これからは含み益や資金運用に頼らず、本業を重視する」と宣言しています。このことは、多くのドイツ企業が、90年代の初めに、バブル崩壊によって日本企業が経験していた苦しみを対岸の火事と考えて、何も学んでいなかったことを示しています。
ドイツの生命保険会社では、すでに締結された生命保険契約の予定利率を下げようという議論はしていませんが、新しい契約の利率はどんどん引き下げています。市民の間では、「含み損が拡大したために、法律が保障している最低限の利率を保障できない会社が現れるのではないか」という不安の声が広がっています。このため、生命保険業界は、万一そのような会社が出た場合に備えて、全ての契約を引き継ぐための会社を最近発足させ、市民の不安を抑えようと努力しています。
さてもう一つ、日本とドイツが抱える共通の悩みがあります。それは、政府が経済構造の本格的な改革になかなか踏み切らない、ということです。特にドイツ経済が抱えている最も深刻な問題は、社会保障にかかる費用と税金の高さです。
これは、国内総生産に対して、社会保険料や税金が、どのくらいの比率を占めているかを、国別に比較したものです。ドイツでは、国内総生産の実に40・7%が、社会保険料や税金に回されています。これは、日本の27%、アメリカの28・9%を大きく上回る数字です。特に年金保険や健康保険の保険料、つまり社会保障のための費用は、この国の経済に重い負担となっています。
日本では国内総生産の内、およそ15%が社会保障のために使われています。これに対しドイツでは、およそ2倍にあたる29・5%が、社会保障に回されています。問題は、社会保障のための支出が、ドイツ経済が生み出す価値を上回る速度で増えているということです。
このグラフは、1991年の値を100として、社会保障支出と国内総生産が現在までにどのように変化してきたかを、比べたものです。赤い線つまり社会保障支出が、青い線つまり国内総生産を上回るペースで増えてきたことが、おわかりいただけると思います。
たとえば、1997年からの5年間に、国内総生産は9・5%しか増えていません。これに対し社会保障のための支出は、12%も増えています。このままのペースで国民が生んだ価値を社会保障のために消費し続けていったら、社会保障制度が遅かれ早かれ行き詰まることは、誰の目にも明らかです。
ドイツの社会保障制度は、戦後の高度経済成長期に、大幅に拡大されました。1960年代の公的年金は、退職する時の手取り所得の60%でしたが、1970年代になって、70%に増やされたのです。当時の西ドイツでは、労働生産性が急速に拡大していたため、これだけの高い年金水準を維持することが可能でしたが、現在のように成長率が横ばいの時代には、難しいと言わなくてはなりません。
またドイツは470万人という膨大な数の失業者を、なかなか減らすことができません。その理由の一つも、社会保障費用の高さにあります。社会保険料が今よりも低ければ、企業は人件費を減らすことができるので、雇用を増やすことができるかもしれません。
実際、90年代の初めから、ドイツの労働費用は、世界で最も高い水準にあり、企業の国際競争力を弱める原因となってきました。これは、旧西ドイツ、アメリカ、日本、イギリスの労働者の、1時間あたりの労働費用を比べたものです。旧西ドイツの労働コストが、アメリカやイギリスを大きく上回っているのが、おわかりいただけると思います。
しかもドイツの労働費用の内、企業が負担する社会保険料の比率が多いため、労働者やサラリーマンの手元に残る手取り所得は、日本やアメリカよりもはるかに低くなっています。つまり雇われる側にとっては、働けば働くほど、税金や社会保険料をごっそり差し引かれるため、がんばって働く気が起こらない原因の一つにもなっています。
シュレーダー首相は、1998年に政権を取った時に、失業者の数を大幅に減らすことを公約に掲げていました。このため、第一期目に、年金制度の大幅な改革を実施しました。その最大の目的は、公的年金の支給額を退職するときの手取り所得の70%から67%に減らすことです。国民には、自分で民間の年金保険を買わせることによって、その差額を補填させることをめざしています。これによって、現在は19%である年金保険の保険料率が、30年後にも22%を超えないようにすることを狙っています。
この年金改革は、国民に対し、「老後の備えを完全に国に頼るのではなく、自分でも蓄えて下さい」と訴えるもので、社会保障コストの拡大に歯止めをかけるという意味では、正しい政策だと思います。
しかし、国民の反応は今ひとつでした。政府は、当時の労働大臣の名前を取って「リースター年金」と呼ばれる民間の年金保険を積極的に買うように、補助金を出していますが、この年金は仕組みが複雑で補助金の額も少ないために、これまでに買った人は国民の15%にとどまっています。
また、こうした政策は、長期的に社会保障費用の伸びを抑えようとするもので、すぐに失業者の数を減らすことにはつながりませんでした。シュレーダー首相は、去年の時点では、失業者の大幅な削減という目標を達成することができなかったため、彼の経済政策に対する国民の批判は強まる一方です。シュレーダー氏は、連邦議会選挙ではかろうじて首相に再選されたものの、ヘッセン州とニーダーザクセン州の州議会選挙では、社会民主党は得票率を大幅に減らし、敗北しています。
このため、シュレーダー首相は社会保障、特に年金の専門家であるリュルップ氏に委託して、社会保障制度を抜本的に見直すための提案を作らせています。
さらに3月14日には、短期的に失業者を減らすための対策を打ち出しました。たとえば、失業者への給付金を出す期間を短くしたり、給付金の額を減らしたりして、失業者を仕事につかせるための圧力を、高めようとしています。またドイツでは一旦従業員を雇用すると、解雇防止法という法律のために、アメリカのように簡単に従業員を解雇することができません。このことが、経営者にとっては従業員を新しく採用することをためらう原因となっていました。シュレーダー政権は、この解雇防止法を緩和して、経営者が新しい従業員を雇う上で、後の解雇に伴う不安を減らすことを狙っています。
また公的な健康保険についても、シュレーダー政権は大幅な改革によって、保険料率を引き下げることをめざしています。市民はこれまで以上に自己負担額を払うよう求められるほか、長い間病気で働くことができない人に対する疾病手当(Krankengeld)は、公的保険で支払われなくなります。現在の制度では、病気になった従業員には6週間会社から給料が支払われるほか、7週間目からは公的保険から、手取り所得の 90%が支払われています。
全体としてみると、これらの提案は、市民や失業者にこれまで以上の負担を迫るもので、ドイツの経営者団体は、シュレーダーの提案を一応評価しています。しかし、問題はこれらの政策が実行に移されるかどうかです。労働組合の関係者はすでに、社会の弱者への負担を増やすものだとして、提案に反対する姿勢を示しています。
特に、経済政策の失敗によって、支持率が低くなっているシュレーダー首相が、国民に痛みをもたらす政策を、受け入れさせることができるかどうかは、未知数です。シュレーダー氏は、原則や哲学に忠実に行動する政治家ではなく、ドイツの大手企業の重役のように、状況が変われば、方針を変えることもためらわない、実務家です。
シュレーダー首相が、選挙での得票率がさらに下がることを覚悟の上で、社会保障の大幅なきりつめと、負担の増加という苦い薬を、本気で国民に飲ませようとするかどうかは、まだわかりません。
さらに、シュレーダー政権は大きな問題を抱えています。それは、社会保障のきりつめによって生まれる負担を、公的資金で穴埋めすることはできないということです。たとえば、今回の提案の中には、現在健康保険が払っているサービスの一部を、保険制度から切り離して、公的資金でまかなうという方針が含まれています。しかし、社会保険でカバーしない部分を、すべて国民に押し付けるわけにはいかないので、政府の負担が必要になります。この方針を実施しますと、新たに50億ユーロもの財政負担が生じると言われています。
ところがドイツ政府には、公的資金を自由に使う余裕はありません。その最大の理由は、ユーロです。欧州通貨同盟に参加している国は、いくつかの基準を常に満たさなければなりません。その基準の一つに、財政赤字は国内総生産の3%を超えてはならないというものがあります。ドイツは去年この比率が3・6%となり、ユーロをもっている国の中で最悪の数字を記録してしまいました。また、公的な債務残高についても、国内総生産の60%を超えてはならないという規則があるために、国債の発行などによって、財政の穴埋めを行うことは許されません。日本のように、国が景気対策のために、国内総生産の140%に達する借金をすることは、ドイツでは不可能なのです。
つまり、ドイツ政府は野放図に借金経営を行うと、ユーロ通貨圏から追い出されてしまう危険があるのです。シュレーダー政権は、社会保障制度の改革のために生じる財政負担と、欧州通貨同盟への参加基準の間で、巧みにバランスを取らなくてはならないのです。
この意味でも、シュレーダー首相が社会保障制度を本当に改革できるかどうかは、未知数だと言うことができます。
実際、社会保障の範囲を狭くして、コストを引き下げ、税金を減らさなくては、失業問題を解決したり、ドイツ企業の国際競争力を強めたりすることはできないということは、最近になって言われ始めたことではありません。ドイツの経営者団体や経済学者たちは、1990年代の初めから、口を酸っぱくして主張してきたことですが、コール首相を初め、多くの政治家たちは、本気で取り組んで来なかったのです。その最大の理由は、年金改革が、国民の生活水準を引き下げることにつながり、選挙での支持率に悪影響を与える恐れがあるからです。
日本と同様に、ドイツの政治家たちも国民に痛みをもたらす改革を、1990年代の初めから現在まで、先延ばしにしてきたわけです。その意味で、ドイツ経済が現在抱えている困難は、日本と同じように「失われた十年」の結果であると言えます。
ドイツ語でReformstauという言葉があります。改革が交通渋滞のように、行き詰まってしまい、前になかなか進まないという意味ですが、1990年代から現在にかけてのドイツの状態を、もっとも的確に表している言葉だと思います。
銀行業界の混乱、株価の低迷、国際競争力の低下、ほぼゼロに落ち込んだ経済成長率など、経済が行き詰まっている兆候は誰の目にも明らかです。ドイツ経済が問題を克服し、ヨーロッパ全体を引っ張る機関車役に戻ることができるかどうかは、政府が、この危機的な状況を、国民に理解させ、いったん獲得した高い福祉水準を引き下げることを、受け入れさせられるかどうかに、かかっていると言えるでしょう。
ドイツの市民には個人主義的な性格が強く、全体のために自分も我慢しようという傾向は少ないことや、独断的な性格が強いシュレーダー首相にはコミュニケーション能力が低いことを考えると、国民が簡単に首を縦に振るとは考えられません。シュレーダー氏が政権の座を去って、保守派の政治家が首相になったとしても、国民に痛みを受け入れさせることは、容易なことではありません。真の意味での改革が実を結ぶまでには、まだかなりの時間がかかると思います。
ご清聴ありがとうございました。