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あっしらさんがこちらに復帰されたので、この機会に質問しようと思って出てきました。
マクロ経済学は習ったこともなく、入門書も難しくて挫折したので、良くわかっていないことをあらかじめお断りしておきます。
「【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:基礎 〈その1〉」について
http://www.asyura.com/sora/dispute1/msg/903.html
いいたいことは良くわかる感じがする(?)のですが、概念規定に理解しにくい点があります。
○ 【事象的には、多くの人々が通貨の獲得を目指して経済活動を行い、獲得した通貨で生活に必要な物を手に入れるという経済社会である。
その前提として、自己の生存を支える基本的な生産手段を保有していないために、自己の活動力(労働力)を財として通貨と交換しなければならない人が多く存在している社会である。
「近代経済システム」の発展は、通貨の役割を強めるとともに、自己の活動力を他者に販売しなければ生存できない人をより多く生み出していく。】
これは「一般通貨」ですね。 このようなシステムは、通常は「市場システム」「市場経済」と呼ばれることが多いと思うのですが。
歴史的に徐々に明確化されてたきように、一般通貨は本質的には「価値表示媒体」です。
もっと突き詰めて言うと、交換可能な財やサービスの価値を数量的、一般的に表示する媒体である。
そう考えますと、一般通貨による財やサービスの交換を可能とする市場が経済生活の全面を覆うにいたったシステムであると考えるのが普通のような気がします。
ここから「資本増殖活動」を根源的なものとして取り出す理由が良く分かりません。
財やサービスの価値を一般的に処理し、交換可能なものとする市場を前提とし、この市場での財やサービスと一般貨幣との交換を通じて資本を増殖させていく活動が可能となったと考えるとは、それほど無理のない説明ではないでしょうか?
生産を流通よりも根源的なものと考えますと、広い意味での資本は、市場を前提としなくもと必要です。 このような市場経済以前の資本は、一般通貨で価値表現されることはなく、単なる栃とか生産機械とかの形で保有されている。
資本の増殖を目的とする生産活動は、財やサービスの数量的価値表示、すなわち一般貨幣なくして可能なのでしょうか?
○ 【経済主体が保有している生産手段総体の現在価値で、通貨額で表現される。
土地や建物を含む生産設備・雇用労働力・投入原材料などの通貨で評価した総和にそれらを購入するために用意されている現預金を加えたものである。
資本は、土地+労働成果財+労働力+活動継続準備通貨という括りでまとめることができる。
労働成果財には、建物・機械設備・原材料などが含まれる。
発行済み株式の総額や利益の内部留保総額とは無関係の概念で、事業目的で活動するために投入されたものを通貨で評価した現在価値の総和である。
投資に向けられているいわゆる余剰資金は含まれない。余剰資金は、追加の土地・労働成果財・労働力に支出したときに資本となる。▲
「財やサービスの生産活動による資本増殖を目的とする生産継続手段の束(一般貨幣で価値表示できる)」を資本と呼ぶという理解で良いでしょうか。
会計で言う資本は、資産マイナス負債ですね。
ここで言う資本は、むしろ会計で言う「負債+資本払い込み額−投資支出」に近いようです。
会計で言う資本はむしろ剰余金に近い。
マル経での「資本」はこういう意味なんでしょうか?
▲ 「労働価値」は、資本が単位労働(労働力+時間)で財を生産する際に不可分のかたちで生み出す価値であり、その量は、それが転化したものである財の販売を通じて知ることができる。▲
実はこれが一番分からないんですが(笑)。 もっとも重要な概念のようですね。
この定義ですと「労働価値」とは、単位労働が生み出した財の販売価格(仕入れ価格、減価償却費をを引く)のことですか?
「価値」という言葉はあいまいな感じがしますが、「価格」ならば理解できます。
▲「労働価値」の上昇とは、同一の財を生産する別の経済主体(国民経済)と比較して、特定の財が、同一価額の労働力量と同一労働時間でより多く生産されるようになったことの経済論理的な表現である。▲
これを見ますと、「生産性」に近い概念にも見えますね。
財の価格は問題とはせず、単位労働によって生み出される財の生産数量みたいに見えます。
▲「労働価値」の上昇は、技術革新や生産過程での創意工夫で達成されるものであり、閉鎖的な国民経済であれば、対象財の価格が低下する可能性をもたらす。▲
これを見ましても、「生産数量」みたいに見えるんですよね。
▲ 生産性や付加価値は、同じ生産システムのままでも賃金を下げることで上昇させることができるが、「労働価値」は賃金の変動で影響を受けないものである。“労働強化”で生産性を上げることはできるが、「労働価値」は“労働強化”に影響されないものである。
また、非労働成果財の取引で生じる付加価値とはまったく別のものである。▲
労働強化は、単に単位時間内に詰め込む単位労働量を増加させるだけのことであって、単位労働を変化させるものではないので、これは当然だと思います。
賃金は、単に財の販売価格の分配の問題なので、これも関係ないです。
このへんは良くわかっている(?)と思います。
▲ 「労働価値」は、労働手段(生産設備)と労働力が結合して対象(原材料)に働きかける生産(労働)過程で新たに生み出されるものである。▲
これも何となく分かります。
【 「労働価値」は、生産された財に含まれる「労働価値」そのものや生産された財の価格そのものではない。
生産された財1単位には機械設備の磨耗分「労働価値」や使われた原材料の「労働価値」が含まれている。また、財の価格は、「労働価値」に規定されるものだが、「労働価値」のみに規定されるわけではない。】
ここがよく分からないわけです。 市場における財の実現価格ではないと。 すると何なんでしょう?
【 「労働価値」=生産された財1単位の「労働価値」−生産設備の磨耗分「労働価値」−消費原材料の「労働価値」】
これは特に問題ありません。
【 「労働価値」の上昇は、生産された財1単位に転化される「労働価値」の量を少なくするので、財1単位の価格を下げることを可能にする。▲
これを見ると、最終的に財に実現される単位労働という概念に近いような気もします。
▲ 財1単位の価格は、財1単位に転化した「労働価値」(労働力価額の量)で論理的には決まる。
財1単位に転化される「労働価値」を減少させるのが、「労働価値」の上昇である。
現実の財価格は、需給バランスやブランド力などに影響されるが、モデル化された経済社会の論理的な財の価格は、財に転化された「労働価値」で規定される。
1単位の「労働価値」が10個の財に転化するか15個の財に転化するかの違いで、財の価格が変動する。論理的には、15個になれば、10個の時より価格が50%下落する。
このような財の価格低下を防ぐ方法は、増加した5個を外部の国民経済に販売(輸出)するか、労働力価額を50%増加させるかである。
「労働価値」の上昇すなわち財価格の下落余地は、資本構成のうち過去の労働成果財である生産設備の比率が高くなればなるほど進むことになる。▲
これを見ますと、けっきょく労働がラクでたくさんの財を生産できるようになることが労働価値の上昇で、これによって財の下落余地を与えるということになり、それなりに理解できる感じもします。
そうしますと、労働価値が上昇すると、財の価格が低下するのは需給法則から当然のことです。
そうしますと、財の価格が理論的には労働価値で決まるというのはなぜなんでしょう?
どうも混乱した質問で申し訳ありません。