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財政投融資論 青木秀和 (PDFファイル)
http://www.rainbow-ring.net/niji/13_furoku.pdf
目次
1 郵貯は安泰か
2 財投システム「入口」の資金規模
3 財投システム「中間」での資金ルート
(1) 資金運用部
(2) 郵貯特別会計・金融自由化対策資金
(3) 簡易保険特別会計
4 財投システム「出口」の「資産」構成
5 財投の第一機能=政府債務の引受
6 巨額「資産」への「利払い」は不能
7 財投改革と潜在的「国民負担」の増大
8 悲惨な「自主運用」結果
9 貸し手と借り手が同一(法)人格であることの「究極的矛盾」
10 対照的な「倒産処理」
11 あるべき「特殊法人改革」
12 「自己償却」型国債
表1 財投システム「入口」の資金規模(単位:億円)
表2 資金運用部「資産」明細
表3 自由化資金勘定「資産」明細
表4 簡易保険「資産」明細
表5 政府債務残高と財投システムの引受残高(2001 年3 月31 日現在)
表6 郵貯資金・簡保資金の「指定単」運用状況
図1 財政投融資システムにおける資金の流れ
──────────────────────────────────────
財政投融資論
青木秀和
1 郵貯は安泰か
郵便貯金をめぐって、次のような見解がある「郵貯のカネは財政。投融資という形で特殊法人群につぎ込まれている。特殊法人の赤字はおそらくン十兆円は下らない。が郵貯は特殊法人に直接貸し付けているわけではない。郵貯の預金は全額、いったんは旧大蔵省の資金運用部に預託され、そこから財投に流れた。つまり郵貯の融資先は旧大蔵省=国であり、特殊法人の赤字からは遮断されている。国に貸している以上、事業体としての郵貯の不良債権はゼロなのだ。」(「郵貯よ!民営化で銀行を鍛え直せ」『週刊東洋経済』2001 年7月7 日号)つまり、郵便貯金は国民→郵便局→(旧大蔵省)資金運用部→特殊法人と流れているが、郵便局→資金運用部と資金運用部→特殊法人との関係は切断されているので、郵貯は安泰というのである。
だが、もしこの記事がいう“特殊法人の赤字数十兆円”が返済されないとしたら国はどうするのか。国がこれを放置することは許されない。まさにこの記事がいうように「事業体としての郵貯」を「不良債権」化しないためには、国は特殊法人→資金運用部間で生じた債務不履行(借入金の返済不能)を是が非でも埋めて、貯金者の払い戻し請求に完璧に応じなければならないのだ。
つまり、資金運用部・特殊法人の間の債務はなんとか処理できても、運用部と郵貯、郵貯と預金者の関係までは清算できない。故・糸瀬茂(宮城大学教授)が指摘したように「公的部門が非公的部門に対して持っている資産と負債は相殺されずにそのまま残ってしまう」(糸瀬茂『日本経済に起きている本当のこと』日本経済新聞社)のだ。じつはこの記事でも後ろのほうでは「無傷の郵貯といっても、それは、特殊法人ン十兆円の赤字を税金で埋めるという、国民の多大な犠牲の上に成立する」(「郵貯よ!民営化で銀行を鍛え直せ」同前)と認めている。
しかし現状でこういうことが起こると、国は赤字国債を発行して手当する以外に方法はない。もともと国は歳入不足を大量の赤字国債発行で経常的に補っている。この状態では取立不能となった財政投融資もまた(税金ではなく)赤字国債で埋めるしかない。
しかも2001 年4 月から財投システムに資金供給をする郵便貯金、簡易保険、年金資金の各原資は、資金運用部という預託セクションを通さず、全額「自主運用」することになった。郵貯についていうなら国民→郵便局→特殊法人という関係になったということだ。これからは特殊法人への不良貸付は郵便貯金の資産減少に直結することになる。この場合でもその損失は赤字国債で埋めるしかない。郵貯という「国営銀行」に最終責任を負うのは国なのだから、これまたそれ以外に方法はないはずだ。
小泉内閣が掲げる財投改革は民営化を含む特殊法人改革にある。むろん既存の特殊法人群に徹底的にメスを入れて効率的な組織とする改革が必要であることは否定しない。だが、それには特殊法人が現に持つ大量の借入金の処理方法をまず明確にしなければ先に進まないのではないか。特殊法人改革を正攻法で実行しようとするなら、既にある巨額債務をどう処理するかという問題を避けて通れない。旧国鉄が「民営化」されてなったJR各社が兎にも角にも経営を継続しているのは、積もりに積もった旧国鉄債務という重しを取り除いたからである。この先行事例から教訓を見出すとすれば「債務処理なくして特殊法人改革なし」ということになる。
ところがこの「国鉄改革」においては、JR各社に背負わせなかった旧国鉄債務の大部分を「国鉄清算事業団」という「財投機関」が引受けることによって、一応「成功」したのであり、じつは国鉄改革とて「財投」システムを前提としたものだったのだ。 しかし、清算事業団は債務「清算」にものの見事に「失敗」した。当初より債務を膨らませて国家財政に返してきたのだ。そして、ここでもその後始末の頼みの綱は「財投」システムだった。
実際、財投システムは特殊法人群への投融資とならんで、国債や国庫借入金、地方債の引受機関というもう一つの役割を担っているのである。後で見るようにこの役割のほうがずっと大きい。清算事業団の清算をするために発行された赤字国債は、この「財投」引受をアテにして行われた。
この何をするにも「財投」頼みの状態で特殊法人改革を推進すると、何のことはない、ますます財投資金への依存を強めることになりかねない。繰り返しになるが特殊法人整理に当たって最初にしなければいけないことは「超過債務の解消」だ。このためには「公的資金」の投入が不可欠だが、その資金の出し手は郵便貯金を筆頭とする「財投システム」以外にない。民間金融部門は自らの「不良債権」処理に呻吟していて、とてもでないが余所の債権処理まで手が回らない状態だ。それにもし民間金融部門がよりいっそう逼迫してここでも「公的資金」の援助が必要となったら、むしろ「財投システム」を頼りとすることになるだろう。
現に政府与党内では不良債権処理について「整理回収機構が不良債権化した土地を買う、そのための資金を日本政策投資銀行から流すという案」が浮上してきているという(内橋克人・金子勝「米同時テロ以後の世界経済」『世界』2001 年11 月号)。具体的には「銀行の破綻懸念先以下の不良債権をRCC(整理回収機構)が買い取り、特殊法人である日本政策投資銀行をかませて民間と共同で設立したファンドが企業の再生の役割をするというプラン」らしい(金子勝「『最悪のシナリオ』を政府はなぜ呈示しないのか」『プレジデント』2001 年11 月12 日号)。
日本政策投資銀行というのは、苫小牧東開発やむつ小河原開発の失敗で破綻に瀕していた「北海道東北開発公庫」を原発向け融資などを行っている「日本開発銀行」が救済合併して1999 年度に発足した政府系金融機関である。ここには2001 年3 月末日現在で、財投システムから16 兆1824 億円の融資残があり、そのうち14 兆638 億円と九割以上は資金運用部からの融資だ。あとで詳しく見るように資金運用部の原資の圧倒的大部分は郵便貯金と年金資金である。
要するにこの案は不良債権を「財投金融機関の資金に全部ツケを回してしまおう」(「米同時テロ以後の世界経済」同前)というプランであり、その実態は郵貯資金・年金資金を不良債権処理に注ぎ込もうというものである。
もしこのプランが実行されたら、「郵貯解体=民営化」を中心とする財投改革ということなど民間金融機関側から金輪際口が裂けても言い出せなくなる。賀来景英(大和総研副理事長)は「素直に、郵貯の預金残高を民間銀行に移管すればいい」(「郵貯よ!民営化で銀行を鍛え直せ」同前)などと言っているが、そのいっぽうで自分たちの不始末は郵貯資金をアテにして処理するというのではモラルハザードもいいところだ。金融節度も何もあったものではない。そもそもそんなことは論理的に不可能だ。民間金融機関を一片の正常な倫理や論理が支配しているのなら、こんな矛盾を平気で口することは許されないはずだ。
話が横道に逸れた。ともかく現状で特殊法人改革を進めることは、財投システムという「改革されるべきシステム」をかえって温存しかねないのである。そしてその確率は非常に高いと言える。
このパラドックスの認識が、昨今の「財投改革」論議からすっぽり抜け落ちている。というより、この関係が国民一般の目からはほとんど見えていない。これは財投システムがあまりに肥大化していて、まさにブラックボックスのようになっていることに最大の理由がある。
そこで、まず現行の財投システムのなかで資金がどのように流れているのかを解明していくことによって、全体像に迫ってみることにしたい。
2 財投システム「入口」の資金規模
財投システムに集中する資金は、郵便貯金、簡易保険、年金資金の三大預託金のほか、この三大原資以外の国の特別会計や関係機関からの預託金、それにに政府保証債・政府保証借入金のかたちで民間金融機関等から貸り入れた資金のことである。
そのほとんどすべてが利子を付けて返済を約束した「有償資金」である。現在、それが財投システムのなかにどのくらい存在しているのであろうか。
最大の資金供給元は言わずと知れた郵便貯金である。その残高は約247 兆円となっている(2001 年3 月31 現在、以下同じ)。
つぎに多いのが年金資金で残高はおよそ142 兆円(厚生年金131 兆円・国民年金11 兆円)である。これら二つの原資は旧財投システムにおいて大蔵省(現・財務省)資金運用部への預託が義務づけられていたので、一度は全額をそこへ繰入れ、「自主運用」をする場合にもそこからの借入というかたちが採られていた。
三大原資の三番目は簡易保険資金で、運用部預託分(4 兆円)、財投資金協力分(62 兆円)、単独運用分(54 兆円)を合わせて121 兆円の資金量となっている。
このほか資金運用部には外国為替資金特別会計や共済組合などからの預託金があり、その残高は合計約34 兆円である。
さらに、財政投融資には、政府の産業投資特別会計からの出融資(約3 兆円)と政府保証債・保証借入の形式で民間金融機関から調達した資金(約24.5 兆円)がある。
これらに運用部が積立金等として保有しているもの(約7 兆円)を加えた約580 兆円が財投システム「入口」の総資金規模ということになる。(表1)
表1 財投システム「入口」の資金規模(単位:億円)
資金運用部預託財投資金協力自主運用計
郵便貯金及び郵便振替2,470,079 2,470,079
厚生保険特別会計1,315,206 1,315,206
国民年金特別会計110,720 110,720
簡易生命保険特別会計46,260 616,582 539,347 1,202,189
外国為替資金特別会計116,181 116,181
労働保険特別会計79,138 79,138
共済組合61,900 61,900
郵便貯金特別会計6,305 6,305
自賠責再保険特別会計21,874 21,874
特別保健福祉事業資金15,041 15,041
中小企業総合事業団14,280 14,280
地震再保険特別会計7,199 7,199
その他運用部預託金19,254 19,254
産業投資特別会計33,829 33,829
政府保証債・保証借入245,791 245,791
運用部積立金等72,187 72,187
4,355,374 896,202 539,347 5,791,173
出所:『財政投融資リポート2001』・『郵貯2001』・『簡保2001』
注簡易生命保険特別会計の運用部への預託残高は、簡易保険側の集計値
3 財投システム「中間」での資金ルート
つぎにこの約580 兆円がどのようなルートでどんなかたちで「運用」されているのか見てみよう。ところがこれが非常に複雑に入り組んでいて、一見して解るように出来ていない。したがって主要な会計単位がどのような「資産」構成になっているのかを解明し、そこから資金の流れを追う必要がある。
(1) 資金運用部
財投システムの中枢を占めるのは、435 兆円を超える莫大な資金量を抱える資金運用部であることは言うまでもない。
ここでは「財政投融資計画」に基づいて、国の一般会計・特別会計、地方自治体そして住宅金融公庫や日本道路公団といった特殊法人群に貸付が行われているほか、資金運用として国債購入などが行われている。
国に対しては一般会計・特別会計合わせて約101 兆円の貸付残高があり、国債も約73兆円保有している。ただし、特別会計貸付のうちには郵貯特別会計・金融自由化対策資金勘定への貸付約57 兆円があり、これは同特別会計の「自主運用」分だから、その他の特別会計への貸付とは区別して理解する必要がある。なお、郵貯特会を除く特別会計貸付で最大のものは「交付税及び譲与税配付金特別会計」への貸付で残高は30 兆円を超えている。
地方公共団体へは約70 兆円の融資残があり、特殊法人群へは約188 兆円の資金が投じられている。ここでも年金福祉事業団(現・年金資金運用基金)への融資は、年金特別会計の「自主運用」分と位置づけられるものなので、他の特殊法人向け貸付とは性格が異なることに留意すべきである。
以上のほか保有する外国債、現金などをすべて合計すると約440 兆円が運用部の「総資産」と推計される。
表2 資金運用部「資産」明細
財政投融資計画残高資金運用残高合計
国一般会計72,787 国債726,823 799,610
特別会計(長期特別会計( 短
貸付) 633,441 期貸付) 306,728 940,169
地方公共団体長期貸付696,179 短期貸付8 696,187
政府関係機関債券6,628 6,628
貸付金1,147,128 1,147,128
特別法人債券118,197 118,197
貸付金595,225 595,225
電源開発債券890 890
貸付金8,353 8,353
商工中金金融債3,111 3,111
外国債3,908 3,908
経過利子653 653
現金76,566 76,566
合計3,281,939 1,114,686 4,396,625
出所:『財政投融資リポート2001』
(2) 郵貯特別会計・金融自由化対策資金
先に述べたように、郵貯資金はいったんは全額資金運用部に預託されるが、その一部は郵貯特別会計に貸し出されて、主に金融自由化対策資金勘定で「自主運用」されている。その「資産」構成は表3のとおりで、国債25 兆円、地方債約10 兆円、特殊法人債2.5兆円、金融債3.3 兆円、外国債4.5 兆円そして簡易保険福祉事業団への寄託金10.5 兆円、これに保有現金を加えた57.4 兆円が「総資産残高」となる。
この簡保事業団への寄託金は「単独運用指定金銭信託」(通称、指定単)のかたちで運用されている。指定単方式とは「運用の方法および目的物の種類を指定した金銭信託のうち、各契約ごとに単独で運用するものをいう。具体的な銘柄の選定などは信託銀行に任せる指定金銭信託の一種で、委託者ごとの資産を単独で運用するもの」(資金運用に関する専門用語の解説− http://www.gpif.go.jp/unyou/yougosyuu.html より)で、主として信託銀行やその系列の証券会社を通じて株式や債券などの購入資金に寄託金が充てられている。
表3 自由化資金勘定「資産」明細
なお、年金資金に内訳金額おいても年金福祉事業団(現・
国債250,187 年金資金運用基金)の年金財源強化事業・資金確保
地方債97,948 事業として郵貯と同形態の「自主運用」がなされて
公社・公団債25,214 いる。
金融債33,716
外国債45,000
寄託金(簡保事業団) 105,401
現金17,013
合計574,479
出所:『郵貯2001』
(3) 簡易保険特別会計
簡保資金の「資産」構成はかなり複雑である。まず「財政投融資計画」に組み込まれて「運用」される部分がある。これは資金運用部に預託された資金については資金運用部経由で、財投資金協力として拠出する部分は直接貸し出すことになる。
さらにこれとは別に「単独運用」を行っている部分があって、国債や地方債などが購入されている。そして、ここでも資金運用部を経由した簡易保険福祉事業団への貸付があって、これも郵貯と同様に寄託金として「指定単」で「運用」されている。なお、簡保特別会計では資金運用部からの融資分と特別会計からの直接分を合算して簡保事業団への寄託金として整理されている。
これらをまとめて一表に整理すると、表4のようになる。
表4 簡易保険「資産」明細
相手先財投運用分単独運用分計
国3,041 273,521 276,562
地方公共団体176,521 74,608 251,129
特別法人282,302 28,322 310,624
金融債・社債0 37,654 37,654
外国債0 38,379 38,379
寄託金(簡保事業団) 154,718 8,293 163,011
現金0 51,620 51,620
契約者貸付金0 26,950 26,950
運用部預託金46,260 0 46,260
国庫0 6,000 6,000
合計662,842 539,347 1,208,189
出所:『簡保2001』
4 財投システム「出口」の「資産」構成
以上の分析結果ふまえ、財投システムが抱える種別ごとの「資産」残高を集計すると、おおむね以下のようになる。
・国債125兆円(運用部・郵貯・73 25 簡保27)
・一般会計貸付7兆円(運用部)
・郵貯特会除く特別会計貸付37兆円(運用部)
・地方債105兆円(運用部70・郵貯10・簡保25)
・年金福祉事業団を除く特殊法人貸付213兆円
(運用部151・郵貯3・簡保31・産投3・政保債25)
・年金福祉事業団36兆円(運用部)
・簡易保険福祉事業団(寄託金) 27兆円(郵貯11・簡保16)
・金融債7兆円(運用部0.3・郵貯3・簡保3.7)
・外国債9兆円(運用部0.4・郵貯4.5・簡保3.8)
・現金等14兆円(運用部7・郵貯1.7・簡保5)
「入口」から「中間」を経て「出口」にまで至る資金の張り付き状況を整理して図示しようと試みたところ、図1のようになった。出口に向かうしたがって、線が交錯して非常に見にくくなっている。いくら工夫してもこの程度にしか整理できなかった。それは作成者の能力の問題というより、それだけ制度が複雑に出来上がっていることの証左であろう。これでは「財投システム」の全体像が国民の目から一目瞭然になるはずがない。
5 財投の第一機能=政府債務の引受
冒頭で指摘したように特殊法人改革から抜け落ちている重要な論点に、財投システムが引受けている政府債務の問題がある。これがどのくらいの規模になっているのか、政府債務残高と比較したものが表5だ。
国債の三分の一、国庫借入金の九割そして地方債務の65 %で、総額331 兆円、総債務残高の半分以上を受け持っていることが理解される。ただし、より正確には郵貯特会の持つ国債と地方債権は国庫借入金の一部を使って購入したものだから、この部分はダブルカウントになっている。しかしこれを控除しても296 兆円と莫大な額に達している。 これは特殊法人群への貸付残高約250 兆円をかるく上回っている。先に述べた「この役割のほうが大きい」という意味が理解されるであろう。
政府債務総残高は80 年代に2.4 倍、90 年代に2.3 倍とまさに指数関数的に急膨張した。亡くなった元首相・小渕恵三は在任中に「世界一の借金王」と自身を揶揄すように語ったが、日本政府をして「世界一の借金王(シャッキング)」に至らしめた原動力は、この財投システムの政府債務引受にあったと考えても的外れではない。
表5 政府債務残高と財投システムの引受残高(2001 年3 月31 日現在)
残高うち財投システムの引受残高
運用部郵貯特会簡保特会計%
国債3,806,546 726,823 250,187 273,521 1,250,531 32.85%
国・借入金1,100,929 1,012,956 1,012,956 92.00%
地方債・借入金1,607,025 696,187 97,948 251,129 1,045,264 65.04%
合計6,514,500 2,435,966 348,135 524,650 3,308,751 50.79%
6 巨額「資産」への「利払い」は不能
国の説明によれば、「財政投融資とは、租税ではなく、有償資金、すなわち金利を付して返済しなければならない資金を用いて、民間では困難な大規模・超長期プロジェクトを実施したり、民間金融では困難な長期資金を供給したりすることにより、財政政策のなかで有償資金の活用が適切な政策分野に効率的・効果的に対応する仕組み」(財務省理財局『財政投融資リポート2001』2001 年8 月刊)となっている。
政府も財投資金が「有償資金」で「金利を付して返済しなければならない資金」ということは自覚しているようだ。しかしその残高はシステム全体で580 兆円という途方もない額に達しているのだ。この巨大な借金は果たして元利返済ができるのだろうか。
この巨大な「有償資金」に利子を付けて元金を返済するためには、国・地方自治体・特殊法人といった「財投機関」から財投システムへ貸付金が約束した利子を伴って返済される必要がある。それにはその財投機関に返済資金を手当するだけの実入りすなわち「現金収入」がなければいけない。
では財投機関はその返済資金をどこから稼ぎ出すのか。これは日本という国の「国民経済」以外にあり得ない。というのは財投機関の現金収入はODA(政府開発援助)名目で国際協力銀行などを通じて外国に貸し付けた資金の返済があるものの、それはごく一部であって圧倒的に大部分は国内から租税収入や事業収入であり、これは法人を含む国民各層の所得にその源泉があるからだ。
例えば、580 兆円という「有償資金」に平均1 %の金利を付けるとしよう。580 兆円× 0.01で5 兆8000 億円という資金が利払いのためだけに必要になる。財投機関から財投システムに戻されるカネが最低限これだけは必要になるということだ。
それはすなわち財投機関が国民経済から獲得しなければならないカネで、さらにそれは国民が一年間に稼ぎ出す付加価値総額である国内総生産(GDP)というフロー以外に出所はない。
わが国のGDP は約500 兆円ほどだ。もしここから5 兆8000 億円余りを財投システムが吸い上げ、それを各原資に戻したら、それだけで約1.2 %ほど経済は縮小してしまうことになるはずだ。何故なら、利払いされたカネは将来において消費や投資に振り向けられることはあっても、その時点においては消費や投資からの「控除」を意味するものだからである。言い換えれば、財投システムでたった1 %の利払いを問題なく行うためだけで、わが国経済は1.2 %程度の「成長」を必要としているのである。
たかが1.2 %と思いたいところだが、90 年代の10 年間を通じて日本のGDP は13 %しか増えていない。単純年平均1.3 %の「経済成長」だ。1.2 %というのはほぼそれに匹敵する今となってはかなり高レベルの経済成長率なのである。
ところがその10 年間の経済成長を下支えしたのはまさに「湯水の如く」使われた財政資金だった。この10 年間、歴代の政権はこぞって「景気対策」を最優先課題として掲げていた。この間、国と地方を合わせた長期債務残高の増加額は年間30 兆円台から50 兆円台へと加速的に増大し、気づいた時には608 兆円(99 年度末)にもなっていた。90 年度末の残高は266 兆円だったから、90 年代の10 年間になんと342 兆円も増えていたのだ。
その反面、GDP はたった57 兆円しか増えなかった。さらに2000 年度末には政府総債務残高650 兆円、特殊法人貸付残高250 兆円という途方もない額に達しているのである。
つまり90 年代に13 %の「経済成長」を達成するために、「有償資金」=「借金」を230 %にまで増やして政策的にバラ撒くことが必要だったのである。これが「効率的・効果的」とは関係なしに行われたことは言うまでもない。このバラ撒きに財投システムがしっかり利用され、実働部隊として活用されたのが地方政府を含む「財投機関」であったというわけだ。
このような「政策」が破綻しそうなゼネコンや不動産業、金融機関といった特定の利益集団救済のために用意されたという事実は押さえておかなければならないが、財投を含む財政支出の大盤振る舞いは国民経済の落ち込みを防ぐための「必要経費」でもあったということだ。
いまやこの国の財政は、過去の借金を返済するために経済成長を必要とし、しかしその経済成長を達成するためには止めどなく新しく借金をして財政支出を続けるしかない、という底なしのドロ沼にはまり込んでいるのである。それはちょうど過去のローンを新しい「サラ金」ローンで返している多重債務者にでも例えられよう。これでは利払いが利払いを呼んで債務残高は鰻登りに増えていくのも道理だ。事実、わが国財政の債務残高は、まさにフィギーが指摘した「ホッケースティック曲線(アイスホッケーのスティックのように途中から急激に右肩上がりになるカーブ)」(H・G・フィギーJr『1995年合衆国破産』竹村健一訳、クレスト社)を描いている。
この状態で利払いを続ければ「国家破産」へ向かってまっしぐらに突き進むしかない。すなわち、もはや財投システムが抱え込んだ兆円とい580 う巨大な資金への利払いは事実上不可能な段階に来ているということだ。この巨大借財に対して利払いしようとすれば資金をさらに「運用」しなければならない。しかしそのようなかたちで無理して「運用」すればするほど債務不履行の危険性は高まっていく。少し間違っただけで正常「資産」まで毀損しかねない。
ここはこのような巨大「資産」の裏返しである巨大「債務」をどのようにして縮小していくか知恵を絞るべきである。その意味で特殊法人の整理・統合を図り財投システム自体を小さくしようという今回の改革の方向性そのものは間違っていない。ただ残念ながら払いきれない債務をどう処理するのか、その具体論をまったく欠いている。それがなければどんなに立派な処理策を打ち出したとしても所詮「絵に書いた餅」になるしかない。
とにかく、ことここに至って「財政投融資」が「財政政策のなかで有償資金の活用が適切な政策分野に効率的・効果的に対応する仕組み」と暢気なことを言ってみても空々しく響くだけだ。
もちろん政府責任として「民間では困難な大規模・超長期プロジェクトを実施したり、民間金融では困難な長期資金を供給したりする」政策分野があることは否定しない。しかし政府が返済に最終責任を負う「負債」が900 兆円レベルとGDP の二倍近くに達したいま、そのような分野に手をのばす余裕など全くないことをまず考えるべきである。
7 財投改革と潜在的「国民負担」の増大
財投システムは2001 年4 月から各原資が運用に自己責任を負う体制に変わった。先に見たようにシステム自体が肥大化し過ぎて複雑になり過ぎ、おそらく大元締めの大蔵省(現・財務省)理財局でも手に負えなくなっていたのだろう。全額「自主運用」はある意味「必然の選択」だったと言える。しかし実態は旧財投とさして変わらない。いや、むしろ「改悪」とさえいえるのだ。
今回の改革の目玉は「財投機関債」と「財投債」の発行である。
「財投機関債」とは特殊法人自身が発行する資金調達のための債券で政府保証は付かない。
導入の狙いは「特殊法人が自身の事業内容や財務状況を市場評価にさらし」「投資家の『金融ビジネス』2001 年6 月号より目で効率化・合理化を促すことにある」とされている(日本経済新聞社編『検証特殊法人2001 改革』日本経済新聞社)。しかし、年度おいて財投機関債を発行を予定するのは対象33 機関のうち20 機関であり、その額は財投当初計画32 兆5472 億円のたった3.4 %、1 兆1000 億円少々だ。これでは「市場評価」もあったものではない。特殊法人群は相変わらず「財投債」によって調達された「政府資金」にその活動資金のほとんどを依存するのである。これでは旧財投とほぼ同じではないか。現状の「財投改革」とはこの程度のことでしかないのである。
いっぽう「財投債」とは、資金運用部資金特別会計を改組して新たに設けられた「財政投融資資金特別会計」が発行する一種の「国債」である。いちおう「将来の税収で返すのではなく、特殊法人に対する貸付金という位置づけだから」「財投債は一般政府債務にはあたらない」とされているようだ(『検証特殊法人改革』同前)。
しかしここで驚くべきことに、財投債は「国債のなかに紛れ込んで」売られているというのだ(『検証特殊法人改革』同前)。これについては「赤字国債や建設国債との違いを意識させず、市場関係者からでさえ『わかりにくい』との指摘を招いている」(『検証特殊法人改革』同前)ようだが、問題はそれに止まらない。
公債は償還方法に着目して二種類に区分されている。一つは税収など一般歳入を償還財源とする「一般財源債」(GB =ジェネラル・オブリゲーション・ボンド)であり、もう一つは公債の発行対象事業から上がる使用料などの収益を財源とする「特定財源債」(TB=トレジャリー・ボンド)である。
日本の国債はすべて一般財源債として発行されているが、税収など一般財源しか償還財源がない「赤字国債」は別として、「建設国債」は特定財源債として発行・償還が可能である。むしろそのほうが「建設国債」の趣旨に適っている。
建設国債は財政法第四条但し書により、公共事業費と出資金、貸付金の財源とする場合のみ発行ができ、その発行額は「国会の決議を経た金額の範囲内」とされている。財政法にこの規定が入れられたのは、法制定当時の1947 年には国に鉄道や逓信などの収益事業会計が存在しており、戦災復興を急ぐ必要もあって、「収益性と回収性」があるこれら事業会計については、例外的に建設国債の発行を認めるとの趣旨だった。つまり財政法は基本的に「収益性と回収性」がある事業についてのみ公債発行を可としているのである。政府は財政法によって毎年度「公債発行対象経費」を定めることを義務づられている。したがってその経費が充当される「対象事業」必ず存在するはずだ。その事業に投資の「収益性と回収性」があれば、そこから上がる収益や配当金、利息などを償還財源に「特定」することは原理的に可能だ。
アメリカの地方自治体の発行する公債は特定財源債が主流で、個別事業毎に事業の収益性が判断され、それに応じて金利も左右される。投資家が収益性に問題ありと判断したときは当然高い金利を要求され、自治体もそれによって事業実施を断念することもある。これが「市場評価」というものだ。わが国の場合、公共事業が全般にわたって高度に利権化していて、もはや国民が政治や行政を通じてコントロールすることは不可能な領域に達している。野放図に膨張した公共事業にタガを填めるためには「市場評価」に晒すしかない。そのために建設国債の「特定財源債」化を図る必要があるのである。
特殊法人など「財投機関」への再融資と目的が「特定」されていて、償還財源も財投機関からの返済金と「特定」されている財投債なら、建設国債以上に特定財源債とすることは可能だったはずである。政府が「財投債は一般政府債務にはあたらない」という見解を貫くなら、なおのことそうすべきだった。それなら新型国債として市場の評価ももしかすると上がったかもしれない。しかし政府はあえてそれをせず普通国債と混ぜ込ぜにして一般財源債扱いにした。ここに政府の隠された意図を感じぜずにはいられない。
すなわち政府としては、特殊法人群に対する市場信任が揺らいだとき特定財源債では思惑どおりに財投資金が集まらないことを危惧したのではないか。特殊法人の破綻が相次ぎ市場が財投債の償還に不安を感じた場合、新規財投債の消化は当然のこと支障をきたすことになろう。そうでなくとも普通国債より高い金利を要求されることになるはずだ。市場メカニズムが正常に働けばそういうことになる。これに対して一般財源債なら償還財源の担保するのは税収など将来の歳入全般である。国の財務状況が債券評価の基準にされることはあっても、とりあえず特殊法人の財務評価とは関係なく発行できる。
だが、これは浅知恵というしかない。財投債は特殊法人群への融資が焦げつき取立不能となったとき償還財源を失う。これは特定財源債であろうと一般財源債であろうと同じことだ。だが、ここでもし財投債が特定財源債なら償還財源が尽きたとして保有者に償還を断念させることも可能であるしかし財投債が赤字国債や建設。国債という一般財源債に「紛れ込んで」発行されている現状ではこうはいかない。政府がいくら「財投債は一般政府債務にはあたらない」と言い張ってもそんな言い訳が通るはずがない。何故なら、発行済み国債のどの部分が財投債であるか特定できないからだ。一般財源債である限りたとえ財投機関が破綻し貸金が取り戻せなくなっても、それと国債償還は関係ない。要するに財投債を一般財源債とすることで、特殊法人向け不良貸付を政府財政で丸抱えする可能性をいっそう高めてしまっているのである。
旧財投システムなら財投機関の破綻は郵貯や年金など財投原資の毀損に直結していた。この場合でも政府はその損失を赤字国債で補填する以外に手立てはなかった。だがその可否は別にして、その金額は新規国債の発行額に反映され納税者の側からも見えやすい構造になっていた。少なくとも新財投より明解だった。
これからはそうした関係がほとんど見えなくなるだろう。なんとなれば政府は不良貸付の返済不能を見込みその分を取り込んだかたちで財投債を発行することが可能だからだ。つまり財投債に実質的な「赤字国債」が「紛れ込んで」いても外見上は区別がつかないのだ。しかもそれは一般財源債だ。これから発行される財投債は今までの既発国債残高に単純に上乗せされることになる。その償還財源は一義的に未来の納税者から取り立てる税収一般である。極めて不明朗な状態で特殊法人に対して政府が持つ「不良債権」が処理されることもあり得るのだ。
つまり、新財投に移行したことで財投システムに対する潜在的「国民負担」はより増大したといえるのである。
8 悲惨な「自主運用」結果
先に述べたように三大原資では既に資金の一部を自主運用している。運用開始は意外に古く、簡保資金は1987 年から、郵貯資金は89 年からとなっている。ところがこれが「悲惨」の一言で言い表すことが出来るほどの惨状を呈しているのである。
表6は、2001 年3 月末日現在の郵貯・簡保資金の「指定単」運用状況をまとめたものである。両資金合わせて、およそ4 兆円近い評価損が出ている。同日の日経平均は1 万2999 円だった。 それが1 万円割れを起こす水準まで下がってきている現時点では含み損は大幅に拡大しているはずである。
総務省運用計画室の説明では含み損が解消できる水準は、日経平均で郵貯は1 万6200 円、簡保で1 万8000 円というから、含み損の解消はもはや不可能だ。
いっぽう年金資金も大きく傷ついている。年金資金は86 年に「資金確保事業」として自主運用が開始され、翌年「年金財源強化事業」が加わった。両事業とも資金運用部から年金福祉事業団(現・年金資金運用基金)が資金を借り入れて運営にあたっている。その残高は2000 年度末で両事業合わせて27 兆4230 億円。これに対して保有資産の総額は25 兆7202 億円であり、1 兆7000 億円あまりの「含み損」が生じている。1999 年度は約6000 億円程度の含み益があったから、2000 年度単年度で約2 兆3000 億円の「運用赤字」をこしらえたことになる。
このような運用「失敗」の第一義的な責任が簡保事業団、年福事業団にあるのは当然であろう。マスコミ報道もこの点は突いている。しかし不思議なことに運用委託先の信託銀行や証券会社などの「責任」についてはほぼ沈黙したままだ。
しかし「指定単」というのは「具体的な銘柄の選定などは信託銀行に任せる指定金銭信」。託の一種なのだ受託会社の運用「責任」をもっと追求してしかるべきなのではないか。まして高額な運用手数料を取っているとなればなおさらである。例えば年福事業団は委託四三社に対して年間総額404 億円もの手数料を支払っている。それで結果が年間2 兆3000億円も赤字というなら運用能力に疑問符を付けられても文句は言えないだろう。
表6 郵貯資金・簡保資金の「指定単」運用状況
郵貯資金簡保資金計
中央三井信託銀行24,405 34,761 59,166
住友信託銀行20,940 31,601 52,541
みずほ信託銀行12,315 16,113 28,428
大和銀行7,295 15,854 23,149
東洋信託銀行7,090 12,839 19,929
三菱信託銀行8,086 12,117 20,203
ドイチエ信託銀行3,380 7,689 11,069
ステト・ストリート銀行6,904 6,904
モルガン信託銀行3,680 6,340 10,020
日本信託銀行3,005 4,704 7,709
シティトラスト銀行3,995 4,051 8,046
ユービーエス信託銀行2,945 3,811 6,756
クレディ・スイス信託銀行5,135 3,414 8,549
バークレイズ・グローバル・インベスターズ信託銀行3,130 2,213 5,343
野村信託銀行600 600
計105,401 163,011 268,412
時価評価額96,873 132,916 229,789
評価損益▲ 8,528 ▲ 30,095 ▲ 38,623
出所:『郵貯2001』・『簡保2001』から作成
信託銀行や証券会社、生命保険会社という市場運用のプロフェッショナルが資金の「一部」を運用しただけでこのような大きな「含み損」を出してしまうのである。これも資金の運用先が枯渇している証拠ではないのか。
まして郵貯247 兆円、簡保121 兆円、年金142 兆円という巨額な資金の運用先などあろうはずがない。これで全額自主運用に回り、さらにより多くの資金がこうした形で「運用」されたらどうなるのか。どんどん損失が拡大して取り返しがつかないところまでいくのではないか。われわれは大きな不安を抱かずにはいられない。
とりわけ年金資金は郵貯や簡保という一応「任意性」のある貯蓄と違って「強制」貯蓄だ。これが毀損するとなると国民皆年金制度が根底から瓦解してしまう。もしそれを税で補うとすれば国民は謂われなき二重負担を強いられることになる。
いまや資産をいかに「増やすか」ではなく、いかに「減らさないか」ということに思考方法を転換すべき時代となっている。そのためにはまず資金「運用」を停止することから始めなければいけない。それが自主運用の「失敗」から導き出される教訓である。
9 貸し手と借り手が同一(法)人格であることの「究極的矛盾」
580 兆円に及ぶ巨額残高はほとんど解決不能としか言いようのない矛盾を財投システムに抱え込ませている。
利子とは、資金の貸し手にとっての儲けであり、それが高ければ高いほど利益は大きくなる。いっぽう借り手にとってはコストすなわち費用であって、逆に少なければ少ないほど損失が少なくて済む。つまり「利子」をめぐって貸し手と借り手の利害は真っ向から対立するのだ。
財投システムというのはじつはこの資金の貸し手と借り手が政府という同一の(法)人格のなかに同居しているシステムである。というより貸し手と借り手が同じなのである。額が些なうちはこうした「自己貸し」もそうは問題にならない。しかし580 兆円ともなるとはなしは違ってくる。年金に関して特にこの自己貸しの矛盾が集中的に現れている。年金方式には大きく分けて2種類の方式がある。一つは「賦課方式」といって、これは現役世代から拠出を受ける保険料で退職世代の年金を賄う方式である。これに対して現役時代に自分で積み立てた資金を退職後に払い戻しを受ける方式がある。これは「積立方式」と呼ばれている。2001 年10 月から導入された日本版401K 年金、「確定拠出型」年金はこの方式に含まれる。
わが国の厚生年金制度は「修正積立方式」といって賦課方式と積立方式の折衷型だ。現役世代の支払う保険料に、それまで積み上がった年金資金を「運用」して得た収益を足して年金給付原資とする制度設計になっているのである。このため、現行制度を破綻させずに維持しようとすれば、5.5 %の運用利回りを前提に2025 年には約400 兆円の積立金残高が必要となる(厚生省「平成6年財政再計算」による)。
この「運用」のなかには既に国債での運用もかなりの部分含まれている。つまり国債に5.5 %の金利を付けてやらないと現年金制度は破綻してしまうのである。
いっぽう、ここ十数年国債費のうち利払い費は年間ほぼ11 兆円内外から12 兆円に収まっている。発行残高が著しく伸びているにもかかわらずほぼ一定しているのだ。これは政府が露骨な低金利政策をとったことの反映で、国債利率が低く押さえられていることの証でもある。2000 年度末で国債残高は370 兆円を上回っているが、現行の国債表面利率は約2 %程度だ。
ここで国債金利が1 %でも上昇すれば、政府は利払いのために大きく「国債費」を追加しなければならなくなる。僅かな金利上昇にも耐えられないほど政府財政は傷んでいるのである。まして5.5 %という高金利を付けられるはずがない。そんなことをすれば国家財政が破滅してしまう。
要するに国家財政を優先すれば年金財政が保たず、年金財政を維持しようとすれば国家財政が成り立たない、という矛盾の極にわが国財政は置かれているのだ。現行の財投システムを抜本的に改革しない限りこの究極の矛盾から逃れる道はない。
10 対照的な「倒産処理」
旧国鉄が1987 年に「分割・民営化」されたとき37 兆1000 億円の累積債務が残された。この巨額累積が生じた根本原因は経営が慢性的な赤字体質であったにもかかわらず、地方新線に歯止めが掛からなかったことにあった。
これは地方出身の有力政治家が新線敷設を集票手段として利用し、それを利権化したことが最大の理由だ。が、旧国鉄の労使双方にも「国営であるかぎり、いくらでも赤字を補填してもらえる」という甘えがあったのではないか。
旧国鉄は、赤字地方線の建設停止、大都市圏の輸送力増強、幹線強化という「構造改革」にもっと早くから取り組むべきであった。もし旧態依然の経営を続け、それに自民党「運輸族」の政治(家)介入を相変わらず許していたら、国鉄そのものが自滅の道を辿っていただろうことは想像に難くない。
その意味で−ここでは真に国民的合意があったかどうかは問わないことにして−旧国鉄の解体は必然であった。
この37 兆1000 億円の累積債務は次のように処理されることになった。まずその約四割に当たる14 兆5000 億円をJR本州三社(JR東日本・JR東海・JR西日本)が継承する。残る22 兆6000 億円は「国鉄清算事業団」という財投機関を新たに設立して返済にあたらせる。清算期間は一〇年間。その期間が過ぎても借金が残った場合は国がそれを引き受ける。ということにしたのである。
問題はこの国鉄清算事業団にあった。清算事業団の債務清算財源は基本的に旧国鉄から引き継いだ土地の売却収入しかなかった。旧国鉄は汐留駅跡地を筆頭に全国各地に莫大な土地資産を持っていた。しかもときあたかもバブル経済の真っ最中、地価は止まるところ知らずに上昇を続けていた。政府としてはこの状態なら土地を切り売りすれば債務返済の財源捻出は可能との目論見だった。
ところが皮肉なことが起こる。あまりの地価高騰に慌てた政府は、清算事業団に土地売買の凍結を命じたのである。狂乱地価に激怒する世論もあって、政府は清算事業団が土地売却を進めることで地価暴騰に拍車をかけることを恐れたのだった。
ご都合主義といえばそれまでだが、もし清算事業団がこの時期土地売却を進めていれば、もしかするとそれを買った民間部門は今に倍する不良資産を抱えてしまったかもしれない。その意味でこの政府の措置は評価が分かれるところだ。
ともあれ、唯一の返済手段を失った清算事業団は債務返済財源を財投融資に求める以外になくなる。そのうえ90 年代に入りバブル経済が一気に崩壊する。地価が続落を続けるなか資産売却はいっこうに捗らず当初予定した土地売却収入はまったく得られなくなった。清算事業団はさらに財投融資に全面的に依存することなってしまったのだった。
その結果、清算期限が来た97 年度首には清算事業団の残債務は28 兆1000 億円にまで膨らんでいた。清算事業団は清算期間の一〇年間に通算9 兆6000 億円もの利払いをしていた。それでも逆に債務を膨張させてしまっていたのである。そしてこの後始末を政府に委ねて清算事業団は解散した。
これを受けて政府はJR各社に追加負担を求める。JR各社も渋々これに応ずるが、それはたった1800 億円にすぎなかった。残る債務の大部分は結局「国民負担」となった。一般会計が23 兆5000 億円、鉄道建設公団が4 兆1000 億円を受け持つことにしたのである。要するに、旧国鉄が残した債務の処理はさらに先送りされたのだった。
ところが、一般会計負担分のうち15 兆2000 億円は4.3%の利子付きだ。これを通常の国債償還方法である六〇年償還方式で計算すると元利返済総額はなんと38 兆円になる。当初の旧国鉄残債務より大きくなってしまうのだ。
こんなことなら、最初から旧国鉄の残債務は国家会計に帰属させたほうがまだマシだったということになりはしないか。この場合、清算事業団が抱える職員の人件費など必要費用は一切かからない。よほど合理的である。
つまり、こと債務処理に関して国鉄改革は完全に「失敗」との烙印を押さざるを得ないのだ。
この「国鉄清算」と好対照をなすのが、英仏間のドーバー海峡横断トンネルを経営するユーロトンネル社(ET 社)の倒産処理である。ET 社は、96 年1 月− 6 月期の売上が2億2000 万ポンドで、利払い費3 億3000 万ポンドに遠く及ばず同年秋に破綻した。同社の会社整理の基本は、利払い減免、債権カット、残り部分の返済繰延べであった。総額87億ポンド(約1 兆5000 億円)を出資した債権者は利息を放棄させられたり、元金回収を延期させられたりしたのだった。最大の出資割合を負担した邦銀各行もそれに付き合わされた。債権者は「貸し手責任」をきっちり取らされたのだ。しかしET 社の存続にはそれが止むを得ない手段だったのである。
ユーロトンネルは英・仏両国政府をまきこむ巨大プロジェクトだった。ET 社の破綻に際して、もし英・仏政府が、貸し手責任を問わず、営業部門だけ独立させて収益を保証し、そのかたわら債務を専門に引き受ける組織「ET 社清算事業団」をつくり、そこに「公金」(赤字国債で得た資金)を必要なだけ貸しつけて、利払いを継続させたとしたらどうなっていたか。さらにET 社の破綻で建設投資にブレーキがかかることのないように、新ユーロトンネル「建設事業団」をつくらせ、そこにふんだんに財政資金を貸付ける。新「建設事業団」はその資金で第二トンネルを造り(利用客は元の半分になる)、また政府に元利返済保証を求め、と続けていったらどうなっていただろうか。
おそらく英・仏両政府は有権者の支持を一挙に失いたちまち倒れていたに違いない。そしてET 社の倒産は単に一企業体に止まらず財政から経済全体に波及していたことだろう。
残念ながらわが国ではこのような「再建」案が臆面もなく公然と論議されているのである。自民党道路調査会が出してきた日本道路公団「改革案」はまさにこのような内容だ。政治(家)も、行政(官僚)も、業界(建設産業とその周辺産業)もあるのは既得権益に対する「驕り」と「甘え」だけだ。何とかそれにしがみついて何としてもそれを死守しようと汲々としている。世を挙げて完全に清算モードに入っているというのにその認識のかけらもない。その姿は驚き、呆れ、怒りを通り越してもはや「哀れ」というしかない。
11 あるべき「特殊法人改革」
ET 社の倒産処理はわが国においても例外的な方法ではない。どころか一般的な方法である。会社更生法や民事再生法などによる「法的整理」と何ら変わらない。
じつは水面下で大蔵省は1998 年あたりから特殊法人の破綻処理法制の整備を法務省に要望していたという。(『検証特殊法人改革』前掲書)
おそらく大蔵省としては(将来の)税金ですべて補填する羽目に陥った国鉄改革に懲りて、二度とこのかたちの債務処理はしたくないという心づもりだったのだろう。それを法務省に言わせようとしたところは大蔵省の狡猾さが現れているが、大蔵省がそこまで腹を括っているのなら今回の特殊法人改革でもその路線を基本とすべきである。
すなわち、現在ある債務を確定したうえで、それが返済可能かどうか判定し、もし全額返済が不可能ならどこまでなら返済できるかを算定する。そして債務超過部分は政府が責任をもって引き受ける。その代わりに特殊法人には徹底した合理化や場合によっては解散を命ずることにするのである。
この点をもう少し詳しく説明しよう。まず「現在ある債務を確定」するというのは、新規融資をストップするということだ。惰性的に融資を続けていては何時まで経っても処理すべき債務の額は確定できない。時点を限って返済すべき債務の額を確定する必要がある。これは超過債務処理の基本中の基本だ。
とはいえ人件費や維持補修費などランニングコストに一時的な融資は必要となるかもしれない。そのような必要最小限の費用には早急に債務処理計画を確立することを条件に暫定的な資金融通をすることも仕方なかろう。その場合は、その融資を「新債務」としてそれまで積み上がった「旧債務」と切り離して優先的に弁済させることにする。
これらの措置は自己改革にまったく不熱心な特殊法人に大いにプレッシャーを与えるはずだ。新規融資を受けられなければ当面する事務・事業は自動的に止まる。再開したければ市場評価に耐え、国民評価に耐えるだけの内容をもった債務処理計画を一刻も早く立案しなければいけない。特殊法人側に「借り手責任」を真に自覚させるにはこの方法以外にないのではないか。
もし「借り手責任」を特殊法人が真正面から自覚すればあとは一気呵成となる。特殊法人に「もはやこれまで」と観念させることが新規融資停止の一番の狙いだ。
しかしそうなったとしても債務超過部分をどう処理するかという問題は解決できない。これは政府が「貸し手責任」として「責任をもって引き受ける」しかない。
しかしこれを現行のような利付き国債でそれを手当てしてはならない。政府−特殊法人間の債権・債務を解消しても、その財源を利付き国債に求めるなら、政府−国民間の債権・債務に置き換わるだけだ。それは単なる債務の先送りに過ぎない。それでは完全に失敗にした国鉄債務処理と同様のことを繰り返すだけだ。違うのは清算事業団というワンクッションを置かないということだけである。それが現にある膨大な国債残高に上乗せされたら待ち受けるのは国家破産ということになる。
詳しくは別稿に譲ることとするが、「自己償却力」がある新しいタイプの国債を発行して処理財源を確保する必要がある。この種の国債はこれから正念場を向かえる民間部門が大量に抱える不良債権の処理にも有効に機能するはずだ。
12 「自己償却」型国債
金融システムを健全化するために「公的資金」の投入を求める見解がマスコミを賑わしている。が、「公的資金」が意味するところを明確にして論を進める論者は皆無である。もし「公的資金」の意味するところが「財投資金」や利付き「赤字国債」であるのなら、はっきりそう言うべきだ。そう言えないのは、そういった資金を注ぎ込んだら国家財政が保たなくなることが解っているからではないか。それなら無責任の誹りを免れようもない。
しかし金融システムが現に保有する引当金や内部留保を超える不良貸付を消滅させるためにはどんな形にせよ資金手当が必要だ。金融システムが一斉に破産してしまうというのなら、金融機関の一時国有化も公的資金の投入も覚悟しなければならない。「債務の国有化」だ。不良債権という「金融ゴミ」の最後のゴミ捨て場は国家財政にしかないのだ。
問題はそこから先で、そのような金融ゴミをどう最終処分するかだ。これを最終的に消し去る方法がなければ、財政破綻と経済崩壊というどっちが表か裏か分からないメビウスループから絶対に抜け出すことはできない。「大恐慌」という究極的な破局で最終決着をつけられるのを待つしかないのだ。
「恐慌」というのはじつは不良債務の一括処理過程のことで、資本主義経済に内在的に備わっているメカニズムなのである。カネという燃料を金融というエンジンで爆発させて推進力をつける資本主義経済は、いつか債務超過というカベに突き当たらずにはいられない。アメリカ標準の金融自由主義は債務超過を世界的規模で各国経済に植え付けてきた。それが一挙に露呈してきているのだ。しかしこの債務超過を解消しない限り、世界経済は次の段階には行けないのである。
9・11 米中枢同時テロ事件を契機に世界経済は完全にこの「恐慌」モードに突入した。今後、地球大の大きさで超過債務の一括「償却」が行われていくことになろう。好むと好まざるとにかかわらず、必ずそうなる。
とすれば、財政や金融システムという社会的に共通する制度資本を如何にして健全に機能させるかということが各国共通の課題となるはずだ。
日本が特殊法人改革を通じてそのモデルを提示できたら、それは人類史に残る偉業となろう。われわれはいま「債務国有化」をしてなお「国家破産」を防ぐという二律背反の問いを緊急に解く必要があるのだ。それに対する解答は「自己償却」型公債の発行という以外におそらくないだろう。
われわれには現在持つ「資産」に固執することでより大きな損失、壊滅的な損失を自ら呼び込むという愚かな行為を繰り返している余裕はもはや一刻も残されていない。