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元ヤマト社長、「宅急便」官と闘う――
社会インフラともなった「宅急便」の創始者で、元ヤマト運輸社長の小倉昌男(おぐら・まさお)氏が三十日午前六時七分(日本時間)、腎不全のためロサンゼルスの長女宅で死去した。八十歳。連絡先は同社グループ経営戦略本部。お別れの会を行うが日取りなどは未定。喪主は同社取締役で長男の康嗣(こうじ)氏。(評伝13面に)
一九二四年東京都生まれ。四七年に東京大学経済学部を卒業後、四八年に父康臣氏が社長を務める大和運輸(現ヤマト運輸)に入社した。
七一年に社長就任。七六年に宅急便を始めた。サービス網を拡大、年間三十億個の宅配便市場の基礎を築いた。
宅急便の対象地域拡大では「官」とのあつれきも多く、「官と闘う経営者」として名をはせた。八六年には路線免許を出さなかった運輸相(現国土交通相)を相手取って行政訴訟をおこした。
会長退任後は障害者福祉事業に尽くした。
二〇〇二年一月には日本経済新聞に「私の履歴書」を連載した。