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職場から
今やストレス職になっている教育現場
http://www.bund.org/culture/20050705-1.htm
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ヘビーメタルジェントルマンの教師生活
吉田 令
今年3月はじめに「…町教育委員会です。吉田さんですか?」と、私の携帯電話に意外なコールがかかってきた。勤務時間中だったので、取引先の営業マンと勘違いして、3回誰なのか聞き返したくらいだ。
「4月1日から中学で技術の常勤講師として勤務してほしい」と言われた。3月19日に3年間勤めた会社を辞めた。 なぜ中学校技術の講師の話が舞い込んできたのか? 去年7月に教員採用試験を受けたときに、講師の募集もしていたのでついでに申し込んでおいたのだ。試験結果は散々だったが、講師の募集名簿が教員への道を復活させてくれたのだ。半分諦めていたところにかかった電話だった。どう教えたらいいのか、中学校教師をしている友人に会いに行った。学校が違うとやり方がちがうから、参考にはならないかもしれないと言われた。まったくそうなってしまった。
授業では1年生と2年生にパソコンを教えている。電話回線1本で教師用とサーバーで2台、生徒用40台のパソコンがつながっている。同時にインターネットを開けるのはせいぜい8台ぐらいだ。なかなか開けなくて苦労している。
生徒達はインターネットを使わない授業でも、かってにインターネットで遊んでいたり、ソリティアで遊んでいたりする。1時間インターネットやソリティアで終わってしまうのだ。3年生の授業でも5教科の授業ではないので、好き勝手に操作をしている生徒が多い。技術の成績も推薦入学を狙っている場合は重要な場合がある。そのことがわかっていないのかもしれない。直接生徒に成績に響くことを教えると、脅しながら授業をすることになる。あまりにも授業態度がよくない場合はそうするしかない。
そうならないように、授業内容で生徒の集中力を惹きつけたいのだが、それが難しい。サッカー部の指導もやることになった。部活初日、様子をよく見て指導していこうと思っていたが、あまりのひどさに怒ってしまった。キャプテンの言うことを無視して、かってにシュートして遊んでいる生徒とか、練習中なのにふざけて遊んでいたのだ。生徒が何かやるたびに注意した。するとサッカー部の3年生全員が口も聞いてくれなくなった。3年生と2年生は仲が非常に悪く、2年生はまじめで、彼等からは嫌われずにすんだ。
ある日サッカー部の部室に入ったとき、ゴミ箱がなく汚かった。家に余っているゴミ箱をもっていき、散らかっているゴミを拾って掃き掃除もした。次の日部室に入ったら、せっかく片付けたゴミは元の位置へ散らかっていた。ゴミ箱は部室の上を横にはしっている柱の上にご丁寧に置いてあった。なかなか面白いことをするなあと感心した。
給食の時間は班ごとに座席が分かれているので、毎日違う班と給食を食べる。私が話をして聞いてくれるのは女子で、男子はサッカー部でない生徒からも嫌われているようだ。サッカー部の2人は私に背を向けて食べている人がいた。2人は技術があっていい先輩であること、2人が私に背を向ける行動はとてもかわいい表現であると他の生徒に話した。それでやっと向きが戻った。
大学時代の自転車旅行の話や、つい最近までバンドのボーカルをやっていたときの話を生徒に一方的に話して聞かせた。どの生徒もある程度反応してくれた。それでもまったく話ができなかった班がある。話しかけても返事は一言で終わってしまう。あとは私を無視してそれぞれがしゃべっている。担任の先生に相談したら、「あの班は私がいっしょに食べると一言もしゃべらない」と言われた。
1年生のときから3年までいっしょに過ごしてきた教師と、突然3年生になってから付き合う教師とでは、生徒の反応の仕方が違うのは仕方がない。しかし他の教師の方々も、異動してすぐに3年生担当になると、同様か、それ以上に苦労することが多いと言っていた。
毎日精神的に疲れはするが、めげないでがんばっていきたい。相談できる先生は何人かいるので、生徒が成長するのを手助けできるようにしていきたい。
(中学校教師)
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学校現場から子供たちの安全を考える
足尾 衛
私は都内の小学校に勤める用務員である。ここ数年、学校を対象にした事件が続発している。その中で子供たちの安全確保の内容が、大きく変遷してきたのを実感する。
数年前までは、登下校時に自動車や電車から身を守る、交通安全的なものが中心であった。しかし今では、登下校時や学校内での犯罪から子供達を守る、防犯的なものが大きなウェイトを占めるようになってきたのだ。きっかけとなったのは、2001年6月の大阪池田小学校で児童8人が外部からの侵入者に殺害された事件である。すでに死刑執行となった宅間死刑囚の名前は記憶に残っている人が多いのでは。
今年2月には大阪の寝屋川市立中央小学校で、卒業生が何の関係もない教師を殺害するという事件が起こった。いずれの事件も、私達学校に勤めるものには他人事ではない。
私の学校では用務員の部屋は学校の受付窓口になっている。仕事の合間に部屋にいれば最初に来校者に接する。もし「不審者」なる人物が来れば、最初に対応をしなければならない。危険な職業のひとつに数えてもいいのではと思ってしまう位だ。
学校は基本的には正門が施錠されていない。そうでなくても卒業生はもちろんのこと、様々な人が来校する。子供の親・祖父母、近隣住民、教育委員会職員、他の学校の教職員、契約業者、宅急便屋、郵便局員、交換便の集配業者、教育関係の業者、保険勧誘員、放課後の学校利用者などだ。
これほどにも来校者が多いと、「不審人物」として一人一人を疑ってかかるわけにはいかない。ましてや私達の仕事は学校敷地内の清掃・維持・管理が中心である。用務員室を空けている時間の方が圧倒的に多い。
そのため受付には誰もいないことの方が多い。事実上学校への出入りは自由なのだ。もちろん、何の対策も施されていないわけではない。2年前、子供達に防犯ブザーが配布された。毎月行われる防災・避難訓練の中には、「不審者」の学校敷地内への侵入を想定した訓練もある。去年、用務員室と職員室にさすまたも配布された。私服刑事によるさすまたの使い方と実技講習会が全教職員に行われている。
新聞報道によれば、東京新宿区は今年3月に催涙スプレーを各校に5本程度と、護身用の警棒を配布したそうだ。東京江東区では、区立の全保育園・小・中学校内のパトロールを警察に要請することを決めている。東京港区では2年前からテレビカメラを導入、今年4月からは警備員を配置した。
埼玉県戸田市でも、3年前から民間警備会社の警備員を一人ずつ配置している。大阪府も4月から大阪市を除く全市町村の公立小学校に警備員を配置した。
私の学校のように自衛を基本とし、さすまたで闘えと言われても、懐疑的に感じている人もいる。また、いざというときに、どれほどの子供たちが防犯ブザーを使えるのかも疑わしい。
防犯ブザーやさすまた、催涙ガス等の配布でとどまっている自治体は財政難が理由だ。警備員の配置まで予算が取れないのだ。子供の命、何よりも優先しなければならないところを節約して、いったい行政は税金を何に費やしているのかと言いたくなる。
しかし、先の東京港区や大阪府、埼玉県戸田市の例は稀な方で、大阪府などは池田小学校の事件から4年も経ってからの処置だ。
行政改革は必要だが、財政難を理由に支出削減ばかりが優先され至上命令化されている。地域住民の安全や生活をお座なりにする政策が、そこでまかり通ってきたのである。以前、本紙紙上でも、子供たちに護身術の指導をという声もあったように記憶する。しかし、防犯には防犯のプロがいる。子供や教職員に防犯ブザーやさすまたを配布して自覚を促すだけでは不十分である。プロの警備員の配置が今考えられる最善の策ではないかと私は考えている。
(小学校用務員)
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親になって教師としての自覚が変わった
田中 ダン
5月に待望の女の子を出産した。 「どんな子でも親にとっては宝だから」 私が初めて担任としてクラスを持った年に、ベテランの先生から言われた言葉である。そのときは「それはそうかもしれないけど。だからといって躾をしないわけにはいかないし」と思っていた。しかし、私自身が出産した今、その言葉に重みを感じる。
妊娠をしてから何ヶ月かで「悪阻」を経験し、食べ物が食べられなくなると思っていた。しかし、実際に自分で体験してみると、吐き気よりも立ちくらみやめまいの方が強く、仕事中ふらふらになってしまうことが多くあった。人それぞれ症状が異なるのだ。ひどい人になると水を飲んでも吐いてしまったり、においだけで吐くという人もいるというが。妊娠中は仕事を終え、うちに帰って食事の用意をするのが辛かった。夫が自分の分は自分で作ってくれたので助かったが、何よりも嫌だったのがご飯が炊ける臭いだった。そのあと悪阻さえ治まってしまえば、妊婦というのは「ただお腹が大きいだけ」と思っていた。しかし予想に反して普通に食事をしても体重は増え、足の付け根やもも、それに腰にも痛みを感じた。
また、水分を十分とっていても便秘になってしまうこともあり、トイレがとても近くなった。転んだりしてもいけないので、当然のことながら動作もゆっくりになった。
しかし、職業柄時間厳守で授業に遅れてはいけないので、どうしてもせかせかとしてしまい、女性の先輩教師に「走っちゃだめ!」と注意を受けることがしばしばだった。
そんな中、ある生徒が家出をしてしまった。担任の先生が忙しく働いていたが、テスト期間中だったので、先生の受け持つ答案用紙の添削を手伝った。帰る時間が遅くなる日が続いた。また自分が受け持つ授業で態度の悪い生徒がいて注意をしたところ、生徒の親が逆にクレームをつけてきたりして、ごたごたした。
その後、下腹部に痛みを感じ、病院に行ったところ「切迫流産のおそれ」という診断を受けた。とても怖くなってしまった。(せっかくできた子なのに、自分のせいで死んでしまったらどうしよう)という思いと、(生徒が授業に最近乗ってきているのに、生徒にも先生方にもみんなに迷惑をかけてしまう)という思いが交錯してパニックになってしまった。
仕事を休む旨を上司に伝えなければいけないのに、勝手に涙が流れてうまく伝えることができなかった。妊娠中、人によっては情緒不安定になる人もいるというが、まさにその状態だった。流産は妊娠11週頃までは胎児の方に問題があり、12週から21週までは母親の方に問題があると言われている。妊娠の周期は前回の月経が始まった日を0日目としてカウントする。だいたい妊娠して5ヶ月半を過ぎると、流産での胎児の死亡率は低くなるのだ。その後は「早産」と呼ばれ、何かの拍子で産まれてしまったとしても未熟児となる。
上司と同僚の理解を得て私は自宅で療養することになった。怖くて怖くて、ただ寝ているだけだった。そうして何週間かが過ぎ、病院に行くと「だいぶ安定しているから軽い家事はいいです」と言われたので、心が本当に軽くなった。仕事には行けないものの、「赤ちゃんを無事に産むために何ができるか」を考え、本を読んだり、食事の栄養バランスや、塩分により気を付けるようになった。
正規の産休の期間である9ヶ月目に入るとお腹はどんどん大きくなり、皮膚がお腹の成長について行けなくなった。クリームなどを塗ったにもかかわらず、妊娠線までできてしまった。心配だった赤ちゃんも痛いくらいお腹を蹴ったり、叩いたり、転がったりするようになっていった。
町や病院で開かれた「両親学級」にも何度か顔を出した。中学時代の同級生2人にあった。2人とも奥さんが6月に出産ということだった。両親学級の前に保健士さんが自己紹介の場を設けた。私の友達は「6月に父親になります。」と言っていた。
それを聞いて私は内心、驚いてしまった。産まれるのは6月かもしれないけれど、もう赤ちゃんはお母さんのお腹の中で生きているのだ。「母親は父親より9ヶ月早く親になる」と言うことを実感した。死ぬほど痛い思いをしてやっと一つの命が産まれるのだと改めて知った。自分が出産を経験し、子育てを経験することで、今までとは違った形で生徒に対しても接することができるように思う。大切な命を預かるのだから、今まで以上に自覚と責任を持って仕事をしていけたら、と思っている。
(中学校教師)
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(2005年7月5日発行 『SENKI』 1183号4面から)
http://www.bund.org/culture/20050705-1.htm