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モノづくりの“もと” 掘り起こそう
川崎・工場跡地に温泉施設
縄文をイメージした木立の中の露天風呂に身を沈めると心底癒やされそう=写真はいずれも川崎市幸区の志楽の湯で
マンションが立ち並ぶ川崎市幸区塚越の一角に温泉施設「志楽(しらく)の湯」が誕生した。温泉を掘り当てたのは、かつてここで町工場を経営していた柳平彬(さかん)さん(65)。製造業の空洞化という荒波にもまれ、じり貧になってしまった工場経営。再起をかけた柳平さんが温泉に着目した理由とは−。
「日本のものづくりの時代の終わりだ」。近隣の工場が次々と閉鎖されるのを見て、柳平さんはそう感じてしまったのだという。
一九五〇(昭和二十五)年から半導体検査などを行う「タカラ工業」を経営してきた柳平さん。主要取引先だった大手電機メーカーの工場が川崎市内から撤退し、同社の仕事も徐々に減っていった。
「跡地にマンションを建てないか」「スーパーマーケットを出店したいのだが」。柳平さんのもとに多数の誘いの声がかかるようになった。だが、すべて断った。
柳平さんの胸に浮かんだプランは、川崎の市街地という立地には意外な感じさえする温泉施設。そこには長年ものづくりに携わった柳平さんの強いこだわりがにじむ。「自分の手でもう一度、日本のものづくりを元気にしたかった。そのためには温泉だと思って挑戦したんです」
JR川崎駅西口には以前、川崎温泉があった。柳平さんは「掘れば絶対に出てくる」と確信。特別な事前調査もしないでいきなり三年前、工場の敷地内を掘ってみた。三カ月ほどのうちに、地下約千五百メートルで弱アルカリ性、約四〇度の塩泉を掘り当てた。
「最初はスーパー銭湯か健康ランドにするつもり」だった柳平さんだが、各地のそうした施設を見学して回るうちに考えが変わった。「どれもパチンコ店と似たような施設。ありきたりで面白くない」
そして、ひらめいたのが「ものづくりの原点は縄文時代にある」という柳平さんの持論だった。
「バラエティー豊かな縄文土器を見ていると、そう思えてくる。いっそ縄文時代をコンセプトにした温泉施設ができないだろうか」−。そう考えて全国の温泉を回り、一人の男性に出会う。
熊本県の黒川温泉を日本有数の人気温泉に押し上げた旅館経営者の後藤哲也さん(73)だ。今では集客に悩む全国の温泉旅館のアドバイザーを務める温泉再生のカリスマ的存在でもある。
柳平さんは、一面識もなかった後藤さんを訪ねて直談判。「縄文人が木の実を採っていた古代の雑木林を温泉施設で再現できないか。一本一本の木の植え方にこだわった黒川温泉を見て、後藤さんにこそ力を借りたいと思った」と迫った。
この熱意に押されるように、後藤さんは協力を快諾。「やるからには徹底的にやろう」と八ケ岳から木を切り出し、これまでに監修した旅館と同様、植栽の細部にまでこだわって計画を練った。昨年六月から建設に取り掛かり、七種類の風呂を備えた「志楽の湯」が今年四月末、完成した。
コナラなどが植わる雑木林に囲まれた大きな露天風呂をはじめ、縄文時代から古墳時代につくられた装飾品の勾玉(まがたま)をかたどった水風呂など、志楽の湯はユニークな風呂に仕上がった。親しかった川崎市高津区出身の芸術家、故岡本太郎氏のオブジェ「縄文人」も展示。施設の随所に縄文時代の息吹が感じられる。
工場跡地にできた志楽の湯を見ながら柳平さんは「この温泉に入れてあげたかった人がいる…」とぽつり。
日本経済新聞元役員の武山泰雄さん。人材研修所も経営する柳平さんが講師に招いた縁で、付き合いを深めていた。縄文時代に日本人の原点を見ていた点でも意気投合。「温泉を開業させると聞いて一番、喜んでくれたのは武山さんでした」
だが、志楽の湯オープン当日の四月二十日、武山さんは肺気腫で帰らぬ人に。「あと少し、長生きしてもらえれば」。柳平さんは悲しむ。
開業以来、志楽の湯は付近の住民らで連日にぎわっている。誰もが日ごろのストレスを癒やし、和らいだ表情を見せる。
「やはり、温泉を掘って良かった。この湯に漬かる人たちに、日本のものづくりの再生に関心を持ってもらえれば」。柳平さんの顔も、どこか和らいで見えた。
文・鈴木洋生/写真・圷真一
http://www.tokyo-np.co.jp/00/thatu/20050624/mng_____thatu___000.shtml