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『世界一の情報都市』三鷹の戦略
情報通信などにかかわる企業や自治体が集まる民間団体で米ニューヨークに本部を置く「世界テレポート連合(WTA)」のフォーラムが十四日、今年の「世界の情報都市」ナンバーワンに東京都三鷹市を選出した。「自然環境はいいが税金が高い。情報都市といわれても実感はない」と同市民が言う三鷹市。その情報技術(IT)戦略とは。
「驚きました」。三鷹市企画部情報推進室の宇山正幸室長は、他に言葉が見つからない様子だった。「世界の情報都市」ナンバーワンに選ばれた件である。WTAは一九八五年に設立され、現在、世界で百十六団体が加盟する。
情報都市選出は九九年に始まった。これまでシンガポール、ニューヨーク、ソウルなどが受賞した。日本では過去、神奈川県横須賀市がベスト7入りしたのが最高。武蔵野の人口十七万ベッドタウンがニューヨークと肩を並べてしまった。
主に評価されたのは「SOHOの育成」事業。SOHOは「スモールオフィス・ホームオフィス」の略。自宅規模の仕事場で、パソコンなど情報通信を使い、ビジネスを展開する。その環境を三鷹市が提供してきた点が評価された。
同市に第三セクター「株式会社まちづくり三鷹」を核に、「SOHOパイロットオフィス」「三鷹産業プラザ」「三立SOHOセンター」の三拠点がある。通産省(当時)の支援を受けた事業の本格化は九八年。
三拠点は、高速大容量回線(ブロードバンド)などの通信環境、税理士相談、それに会議室などの共用スペースが付いた施設を安価に貸し出し、新事業に挑戦してもらう仕組み。二十二のブース状スペースがある産業プラザでは、一スペースを月十五万四千円で貸し出している。
パイロットオフィスと産業プラザに入っているSOHO事業者はまだ三十七でしかないが、「職種はさまざま。デザイナー、コンサルタント業務、さらにはレンズ設計」と宇山室長。
■戦前・戦中は軍需産業盛ん
実は、このレンズ設計だけみても、この事業に市が取り組んだ思いが浮かび上がる。三鷹市は今でこそベッドタウンだが、戦前、戦中は「中島飛行機三鷹研究所」に代表される軍需関連企業の企業城下町だった。レンズは計測器には欠かせず、下請けの中小企業は少なくなかった。
戦後、軍需企業が織機工場などに転用されたが、ベッドタウン化とともに公害批判や地価高騰から税金も上がり、企業は市外へ脱出した。法人市民税は歳入の5%に細り、用途区分でも工業、商業地域が10%のみと工場誘致などは無理な状況に陥った。「どこにでもある中核都市の空洞化現象です。さらにはバブル崩壊後の不景気。しかし、この不景気を逆手にとったんです」(宇山室長)
中心部からファストフード店が一時撤退するなど街はさびれ始めていた。同市はコンサルタント会社頼みの事業策定とは縁を切っている。世間の流れにくみしない、どこかオタク気の根強い「中央線気質」がここでよみがえってきた。
「ハコモノ行政をやめ、人によって街を活性化しよう、と前市長がかじをきった。市外を含め、不景気で勤め先がなくなったり、既存企業の枠から飛び出してしまった人々に受け皿をつくること。人集めです。それがSOHO事業の根幹にあり、現市長もそれを引き継いでいる」(宇山室長)
米国のシリコンバレーが影響を与えたという。半導体不況の後、この街からマイクロソフト社のビル・ゲイツが生まれた。また、八四年から二年半、旧電電公社「武蔵野通信研究所」が主導して行われた家庭の端末によるホームショッピングなどのINS(高度情報通信システム)実験の際の人的なつながりは、SOHOの追い風になった。
「前市長は千人くらいこんな起業家が集まれば、と夢を語っていたけど、そうなるとアキバ(秋葉原)になっちゃう。やや誤算といえば、ニートの存在ですねえ。引きこもられちゃうと人が集まらない」(同)
「三鷹版ビル・ゲイツ」はまだ誕生せず、集まる人々も年収三百万から四百万円の人々が多い。歳入面での効果は見えないが、宇山室長は「産業振興の視点からだけで評価してはいけない。少子高齢化の中でのマンパワー、街づくりの観点が重要」と強調する。
「情報都市」として評価を得た三鷹市の取り組みについて、財団法人日本SOHO協会の斎藤信男理事長は「INSや(文字と画像情報を提供する)キャプテンシステムなど、以前から地域の情報通信サービスを徹底し、それに市民が参加していることが、評価されたのだろう」と話す。
「実験都市」でもある同市で行われたINSは、参加市民から「生活者の視点からは魅力に欠ける」との評価の中で終了した。ブロードバンドを用いたSOHO事業は大丈夫なのか。
グラフィックデザイナーで民間非営利団体・日本SOHOセンターの石塚哲也事務局長は「INS実験は、インターネットもブロードバンドもなく早すぎたが、今は時代背景が違う」と取り組みを評価する。
特定非営利活動法人SOHOシンクタンクの久保京子代表理事は「同市は以前、SOHOと言っていたが、最近はコミュニティービジネスという言い方に変わってきているようだ。他の自治体でもインキュベーター(育成機関)をつくるなど、先駆的な取り組みをしている自治体はあるが、三鷹市は昔からコミュニティービジネスに力を入れてきた」と話す。商工業の立地条件を欠く同市の身の丈サイズのビジネスだ。
さて、日本におけるSOHOの現状について、斎藤氏は「数年前で、SOHO事業者は五百万人いるといわれた」と言う。
石塚氏は「独立したい人やベンチャーで行く人、内職でやりたい人などニーズはさまざま」と話し、久保氏も「企業が社員を抱えきれなくなっている。副業として仕事をする人、リタイアをした後で起業する人もいる。もともとITにかかわる人たちだったが、ITが当たり前の現在、IT関連だけでなく起業をする人も増えている」。
三鷹市などが進めるSOHO事業の展開では、今後どんな支援が必要か。
■「人と人結ぶ調整役必要」
石塚氏は「家庭内電脳内職からベンチャーまで幅広い。ライターやグラフィックデザイナーは一部上場を目指すわけではない。行政がやっているSOHO支援は設備や場所を提供することで、どちらかと言えばベンチャーが対象。必要なのは、SOHOで働く人と人とをビジネスでつなぐコーディネーター」と話す。
SOHOをめぐる国内環境について、久保氏は「問題は、どこから仕事を引っ張ってくるかということ。行政としてやれる部分と、SOHOをコーディネートする民間団体とが協力できれば良いが」と指摘する。
斎藤氏はSOHOの将来についてこう話す。
「大企業志向が減っているといわれる。ベンチャーや小さな企業で面白いことができるとなれば、SOHOは増えていく。ただ、米国のシリコンバレーでは、成功した人が次の世代に投資するが、日本ではそれがない。投資する人が出てくると、もっと活発になるのだが」
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050622/mng_____tokuho__000.shtml