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職場から
人間の改善こそ必要だ
http://www.bund.org/culture/20050625-1.htm
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「トヨタ生産方式」で中小企業は生き残れるか
高橋佐知子
私の職場は名古屋市内にある。さて、何でもいきなり思いついたことをやりはじめる社長なのだが、ある日、トヨタ自動車を定年退職したというS氏が「顧問」として我が社にやってきた。
「今度は何をはじめる気だ?」「忙しいんだから面倒なことは勘弁してくれよ」などと囁きあっていたら、S氏の陣頭指揮の下で、我が社に「トヨタ生産方式」を導入するという。「トヨタ生産方式!」現場のおじさんたちは何の事やらさっぱりわからずポカンとしている。何の事やら少しはわかる人たちも「うちのような町工場でそんなことできるか!」とあきれていた。
トヨタ生産方式(Toyota Production System)は多くの企業で採用され、「最強のビジネスモデル」といわれている。実際にトヨタは高収益を上げ続けているのだから、本当に「最強」なのかもしれない。トヨタは自らが確立したトヨタ生産方式を公開しており、本屋に行けばトヨタOBがまるで伝道師のように綴った、トヨタ生産方式の紹介本が所狭しと並んでいる。だってここは名古屋ですから。多くの人がトヨタ生産方式に少なからず興味を持っているのだろう。そしてたいていの本が、「中小企業でこそトヨタ生産方式を採用すべき」とうたっている。我が社の社長は、すっかりオルグされてしまったようだ。
S氏によるとトヨタ生産方式の目指すものは、「徹底的なムダと異常を排除することによる原価低減」だそうだ。ムダと異常は「カイゼン」によって排除されるという。「自分は工程カイゼンのためにここに来た」と胸を張る。「カイゼン」とは「改善」のことだ。異常やムダを日々継続して「カイゼン」することによってこそ、企業の体質は強化されるという。
トヨタ生産方式というと誰もが「カンバン方式」、「ジャストインタイム」を思い描く。しかし「カンバン方式」や「ジャストインタイム」は決して目的ではなく、「カイゼン」すべき点を見つけ出すためのあくまでも手段なのだそうだ。単なる道具に過ぎないのだという。
「ジャストインタイム」は「必要なものを、必要なときに必要なだけ」生産するということだ。現実問題としては、「トヨタが必要というときに必要なだけ」製品を納入しなければならない。下請け業者はこの方式によって相当厳しい要求をされている。「日本中の道路がトヨタの倉庫」だといわれるほど、おおむねトヨタにとってだけ都合のいい方式だ。しかしそうではないとS氏はいう。在庫が0とはならないが、必要以上に在庫を持つことはどこの企業にとっても大きなムダなのだから。下請け業者もこの方式を採用すべきなのだという。下請けに要求するだけでなく、トヨタ社内でも各工程でカンバンを用いて「ジャストインタイム」を実践しているそうだ。お客の注文にあわせてカンバンをつくり、たとえラインを段取り替えしてでも、そのとおりに製造するのだという。
段取り替えするにも時間がかかるし、一度に同じ物を作り置きしたほうが合理的なように思う。しかしそうではなくて、お客の注文にあわせて生産し、物の停滞(在庫)をなくして、仕事の流れを一方向にすることこそが「ジャストインタイム」の真髄なのだという。そうすると、この道何十年というベテランでも新人でも同じように流れが止まったとき(トラブルが発生したとき)の原因がわかりやすく、「カイゼン」すべき問題も見えてくるのだという。そうして現場レベルで知恵を出し合い「カイゼン」していくことで、企業体質は強化される。なんだかそうかもしれないと思えてくる。
さすが「世界のトヨタ」、レベルの高い仕事をしている。しかし、我が社にこんなハイレベルなシステムがはたして根付くのだろうか。
S氏主導で、さっそく「カンバン方式」導入に向けた準備が開始された。とりあえずS氏のねらいは「工程ごとの負荷のばらつきと、どの工程で仕事の流れが止まっているのか」を見極めることだという。「カンバン方式」の導入で、問題点を誰にでも見えるようにする。それをふまえた上で「カイゼン」をすすめていきたいとの意向だ。
しかしS氏も薄々は感じているようだが、「世界のトヨタ」のように現場レベルで「カイゼン」の方向を、我が社のみなさんが果たして出せるのかどうか。そこがおおいに疑問である。何故って、人も「カイゼン」されなければならないのだ。
まだまだチャレンジは開始されたばかりである。しかし我が社の「トヨタへの道」は、かなり険しいと思われる。
(OL)
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補強工事でも手抜きでは先が思いやられる
斉木勝
先日の尼崎の列車事故以降、電車に乗るとき、先頭から1、2両目に乗るのを避けている人はいませんか? 実は検査技師を職業とする私も、なるべく後ろの車両に乗っています。あれほどの列車事故にあう確率は相当小さい。何万分の一かそれ以上小さいでしょう。しかし、当事者にとってはいくらリスクが小さいからといっても、不安は解消されないのです。
このことは、安心や不安は数値としては表せないということです。いくら安全性の高さやリスクの少なさを科学的(確率的に)に示したからといって、すべての人が納得するわけではないということなのです。
さて、4月24日付けの東京新聞で、浜岡原発の耐震設計のいい加減さが告発されていました。2号炉予定地の岩盤強度が弱いにも関わらず、それに見合う建屋の耐震設計がなされなかったというのです。
それは何を意味するのかといえば、想定された地震には浜岡原発は保たないということです。このことは設計段階からすでに浜岡原発は危険な物であり、たとえ設計通りに作られたとしても想定された地震には保たないということです。しかも当時は、今心配されている東海地震の震源域が浜岡の直下にあることなどもわかっていなかった。
この告発者の勇気に感心すると同時に、早急な対策をとることが必要であると思います。せっかくの勇気ある指摘を無にしないようするべきなのです。実際の現場はどうなのかを皆さんにも知ってもらいたいのです。設計の段階でさえこのような状況です。実際建設現場で働く私にとっては、現場段階での様々なごまかしが思い起こされます。このことは、別に最近になって多くなってきたということではなく、未だに続いているごまかしとして知ってもらいたいのです。
今年に入って、ある橋梁の耐震補強工事に携わりました。その橋は1キロぐらいの長さの高架橋で、3ブロックに分け、それぞれ違ったゼネコンが担当していました。それほど大きな工事ではないので、うちの会社が3ブロックすべての検査を請け負うことになりました。
耐震補強工事とは、以前の耐震基準で作られた物を、最近の耐震基準に合わせて補強する工事です。橋梁の場合は、阪神大震災の時阪神高速が床版ごと橋脚から落ちたのを防ぐため、橋桁と橋脚がはずれないように落橋防止装置をつけたり、橋桁と橋脚をつなぐアンカーボルトを長い物に交換したり、増設するといった工事です。
そこでアンカーボルトを交換するのが結構大変なのです。既存の鉄筋コンクリートの橋脚に穴を開け、ボルトを再度埋める作業です。穴の長さを確保するのが大変なために、設計より短いボルトですませてしまうという手抜き工事が横行します。できてしまった後では、設計通りのアンカーボルトが入っているかは見た目にはわからないからです。
しかし手抜き工事が発覚し、ボルトの長さを超音波を使って計る仕事が回ってきました。超音波で計ると、ほぼ正確にボルトの長さが出てきます。ざっと100本のボルトに対して、1、2本は設計より短い物が見つかりました。そのことを指摘しましたが、ゼネコンは直さないのです。これでは一体何のために補強しているのでしょうか。
ある高速道路の橋脚の耐震補強工事の時には、コンクリートの橋脚を掘っていると、中から現場足場用のパイプが出てきたことがあります。普通あるはずのない物があったのです。これも建設時の手抜き工事の結果なのです。
安全と安心について、いくら安全だと強調されても安心できないのは、こうした現場での手抜きまで考慮して、そこで安全だと言っているのではないからです。こうした手抜き工事がどれだけ強度に影響するのか、私には定量的には把握できません。しかし、こうした手抜き工事が横行する社会はどうしたら変えられるのか。私にとっての永遠の課題だと思います。
(検査技師)
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「電子カルテ」の導入は医療の質の向上を増進させるか
岩井重人
私は精神科のクリニックを経営しているが、電子カルテの導入についての是非を検討してみたい。政府、厚生労働省は1999年、電子カルテの導入を推進し「診療録等の電子媒体による保存について」によって、診療録等の電子媒体による保存は@真正性A見認性B保存性が確保され、プライバシー保証や相互利用性、運用管理規定などが適切に対応されていれば必要とした。
ここでいわれる@真正性とは虚偽入力や書き換えができないこと、A見認性とは、データが容易に検索でき、要求があればクライアントからの診療情報の提供要望に即応することができること、B保存性とは法律で決められた期間(カルテ保存は5年間と義務づけられている)は保存と復元ができることを意味する。電子カルテの運用についての「ガイドライン」も作成されている。
電子カルテの導入によって、診療情報の収集、保管、管理がスペースをとらずに可能となり、いつでも即座に診療情報を検索、引き出すことができるのは、たしかに非常な利便性である。しかし電子機器導入のための設備投資は、医院経営を圧迫する。ちなみに現在、全国の病院、診療所で既に約400の病院と約2500の診療所が電子カルテを導入している(2004年6月)。現在はもっと増えているだろう。
オランダの診療所の90%、スコットランドの診療所の80%が電子カルテを導入しているのだから、日本の医療機関は諸外国に比して電子化は遅れているといえる。
電子カルテは、従来の紙のカルテ(診療録)を「電子媒体」へ入力、記録、保存したカルテであり、このことによって従来の紙のカルテは不要となる。従来のカルテではカルテ保管にかなりのスペースをとられた。電子カルテは、診断名、病歴、処方内容、検査データ等を、コンピューターに入力、保管しておけばよくスペースをとらない。診療情報を蓄積でき、必要時に検索できる、クライアントからの診療情報開示の要望に即座に答えることもできる。そういうメリットを持つのだ。
しかし電子カルテの導入には、まず電子機器の設備を設置しなければならない。ソフトの導入も必要であり、多額の資金を必要とする。経営的に厳しい状況の私のクリニックには資金的にはまず導入は困難である。
資金面で何とかやりくりができたとしても、実際の運用面では問題はないのか。電子カルテを作成するためには、診察場面で医師がクライアントとの対話の内容を入力したり、処方内容を入力する。クライアントの顔を見ながら対話するより、パソコンへ入力する時間の方が多くなってくると思われる。
特に精神科の診療の場合、クライアントとの対話を通じて、病気の原因を把握し、病気を克服するための方法を医師は考える。クライアントも医師との対話を通じ自ら自覚し、実践してゆくことが問われている。対話を通じての治療が最も大切であり、対話時間を確保することが、患者サービスの観点からも非常に重要なのである。
例えばこんなことがあった。通常はうつ病の診断で治療しているAさんが、ある日、暗い顔をしているのに気づいた。朝が特に血圧上昇しており、吐き気を訴え「今日は会社を休みました」と言う。本人に過重なストレスがかかっていると直観したので、よく話を聞くと、最近仕事が過重となり、残業も多く、ストレスを発散させるため、飲酒量も多く、単身赴任で食事もコンビニ弁当だという。脂肪分、塩分の摂取量が多くなり、Aさんはアルコール性肝炎、胃腸炎にも罹患していた。
すぐに彼の妻に来院を要請し、本人に対しては節制することを指示し、奥さんには高血圧と肝炎を治療するため、同居することと食事療法の内容を提案した。休息をとるため会社は1週間は休むことを指示し、診断書を作成した。
その後Aさんは徐々に快復に向かったのであるが、このような治療には、かなり多くの対話時間が必要なのだ。入力に時間のかかる電子カルテでは、そうした対話の時間はとれないのではと思う。結局クライアントは長時間待たされたあげく、医師と対話が殆どできないという不満を募らせるだろう。それではクライアントは欲求不満を抱いたまま、診療室を出て行かざるをえなくなる。
そう考えると、私は電子カルテの導入は見送り、クライアントが納得できる診療が行われるよう「手作りの医療」をこころがけるほうがよいと思う。医療にも手作りが求められている時代なのだ。
(クリニック院長)
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困った親たちが増えてきた〜保育所からの報告
三田洋子
郵政民営化の大騒動が連日新聞を賑わしているが、保育所の民営化も各市町村で着々と進行している。わたしは公立保育園で調理員として働いているので、このことには気が重い。なぜかというと、一つは言うまでもなく、この先も働き続けることができるのだろうかという不安。もう一つは民営化するしないは専ら自治体の財政事情による話であって、子育てという一番本質的なところを吟味する、子育ての現状をおもんぱかることはなく、民営化が推し進められているように思うからだ。
保育所は働いている親に代わって子供をみる施設で、私のところは最大12時間預かっている。その間乳児だけ9時半に朝のおやつを出し、11時半乳児幼児ともに昼ご飯、昼寝を挟んで3時半に全員におやつを出している。
この保育時間が、利用者のニーズに合わせてどんどん延長されている。今でさえ保育園に預ければ何か食べさせてもらえるとばかり、朝から牛乳だけとか、何も食べてこないとかいう子供が多いのに、はい夕飯も出しましょう、24時間預かりましょうとなったら、いつ親は子育てするのだろうか。
そこまで踏み込まない、踏み込めない公立保育所が、民間に淘汰されていくということが民営化の中身になるのだ。 利用者の立場からすれば、月額5万も6万も高い保育料を払ってるのだから、社会人の勤務実態を考慮してほしいと思うだろう。しかし保育所への入所審査は役所に提出される書類によって決められる。パートでもアルバイトでも良いし、求職中でも入れる。月に5万も払っている人は両親共働き、しかも高額所得者というケースでそう多くはない。
役所で書類さえ通ってしまえば、勤務先が代わりました、勤務時間が代わりましたと、次々に変更してくる親が多いのが実状なのだ。
こんな事もあった。子供が熱性けいれんを起こす子で、急な発熱があった。迎えにきてもらおうと思って会社に電話すると、「子供の具合が悪いからと今日は休んでいる」という。本人の携帯に電話すると「自分の病院に行ってからまた会社に戻ろうと思ってた」。子供がいるんだから、せめて通常の保育時間までに迎えにきたっていいんじゃないか。この子の場合は、もうとっくに延長保育の時間になっていたのに親が来なかったのだ。
最近は「会社には絶対に電話をしないでください。携帯にでられなくても折り返し連絡しますから」と先手を打つ親もいる。ちゃんと働いているかどうかって、結構毎日の送り迎えのやりとりでこちら側でも分かったりする。
最近とみに多いのがまだ乳児なのに母親が家出してしまうケースだ。昨年度も1歳と2歳の姉妹がおいて行かれた。この子たちの父親がすごくがんばって子育てをするようになり、数ヶ月後母親は戻ってきたからよかったのだが、母親としては昼間は保育園でみてもらえるという安心感があるのだろうか。あまりに無責任だと担任がぼやいていた。
今年度の入所予定児のなかには、牛乳だめ、鶏肉以外の肉はだめというアレルギー児がいた。給食は除去食で対応するので別に問題はないのだが、やっかいなのが薬は一切塗れない飲めないということだった。保育所では原則的に子供に薬を飲ませることはないのだが、それでも蚊にくわれた、転んですりむいたぐらいは対応する。そうした場合にどう対処したらいいかは、親と保育所がきちんと話し合っておく必要がある。しかし当の親は仕事が忙しくて、面接の時間がとれないと言う。必要なことは役所に提出した用紙に全部書いたのだから、それで十分だと言うのだ。アレルギーを持つ子のアナフィラキシー・ショックが起きたらどうするのかなど、親が考えたくないのだ。自分の子なのに役所任せにしているのだ。
毎年3月の卒園式では、園長からもらった卒園証書の筒を、卒園児が高々と掲げて会場を一周し、父兄席の母親に差し出して、「いつも送り迎えありがとう」とか「いつもご飯作ってくれてありがとう」とか言ったりする。親は「卒園おめでとう」と言って受け取るのだが、大半の母親は目に涙を浮かべている。毎年みても何度みても、それを見ると私はもらい泣きしてしまう。どんなに手を焼かせた子だってうれしそうだし、どんなに問題の多かった親に対しても子はそう言う。卒園式の親の涙が、大変だったこととか悩んだりしただろう事、悲喜こもごもをもの語っているのだが、でも子育ては人任せにするなよとも思っているのだ。
(調理員)
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(2005年6月25日発行 『SENKI』 1182号6面から)
http://www.bund.org/culture/20050625-1.htm