★阿修羅♪ > 国家破産40 > 779.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
知は現場に宿っている
知の社会的責任が問われる時代になった
http://www.bund.org/opinion/20050525-2.htm
荒 岱介
---------------------------------------------------------------------------
あら・たいすけ
作家・編集者。1945年生れ。60年代全共闘運動以来の実践家でもある。著書に『行動するエチカ』『環境革命の世紀へ』『破天荒伝』『大逆のゲリラ』『廣松渉理解』ほか。
---------------------------------------------------------------------------
「象牙の塔」という幻想
お手元に資料が回っていると思いますが、これは野家啓一さんの『科学の哲学』からの抜粋です。野家さんは廣松渉の弟子の一人で知り合いなので、『廣松渉理解』を謹呈したところ、「お役に立てれば」という手紙を添えて送っていただいたのが、この『科学の哲学』です。野家さんは最近は、加藤尚武(現・鳥取環境大学学長)さんの後任として日本哲学会の会長にもなったと聞いています。
さて、『科学の哲学』はNHK放送大学の教科書なのです。今、科学哲学の最前線では何が問題にされてるのか。知の最前線での大きい考え方、方法論を押さえていきたいと思います。
ところで、山本義隆さんという全共闘運動当時、東大全共闘のリーダーだった人を知っていますか? 駿台予備校の物理学の講師をしていますが、その山本義隆さんが2003年の5月に『磁力と重力の発見』(みすず書房)を出版し、第30回大佛次郎賞を受賞しました。その受賞記念講演「16世紀文化革命」では、野家さんの『科学の哲学』とほとんど同じようなことを言っています。
「人間の知」というのは、最高学府=大学の「象牙の塔」にあると思っている人が多い。でも、それは違うというのです。そうした知に関する大いなる勘違いが生み出されてきた原因は、世界史の発展に関する認識そのものに瑕疵があったからではないのかというのが、山本義隆さんが『磁力と重力の発見』で明らかにしていることです。
世界史を振り返ると、17〜18世紀に産業革命が起きて近代社会が始まります。では、産業革命を用意したのは誰だったのでしょうか。大学の研究者でしょうか。違います。山本義隆さんは、産業革命を用意したそれに先立つ世紀の「偉大な発見」は、現場の技術者、卑しい身分とされた職人が生み出したものだといっています。
左翼・リベラル派の世界では、「学の独立」あるいは「学問の不可侵」といった考え方が支配的でした。全共闘運動も「産学協同粉砕」をスローガンの一つにしていました。産学協同とは、産業界と学校とが相互に協力し合って、研究や技術者教育の促進を図ることです。「産学協同粉砕」は、65〜66年の早大学費学館闘争のスローガンの一つです。当時は私もそれに違和感など持っていませんでした。「学の独立」が資本によって犯されてはならないと訴えるスローガンでした。
学問が一企業や一個人の利害に従属されてしまうのは問題でしょう。しかし人間の社会生活から完全に独立した学問など不可能であり、社会の発展・産業の発達に役立つ学問でなければ意味がないと思いませんか。
問題は、知・学問が、人間社会の発展、ひいては文明社会の発展に、どのような形で寄与できるのか、その中身にこそあったのです。そこを考えず「産業界と協力するから」という理由だけで、「産学協同粉砕!」などと批判する考え方は時代にそくしてはいなかったのですね。前衛が知を独占するなどという、マルクス・レーニン主義の「前衛―大衆理論」とも関連する最高学府願望の表れだったのです。その頃ソ連では、知を独占する前衛の指導のもとに労働者が働くという形で、プロレタリア独裁が措定されていました。いわゆるノーメンクラトゥーラの支配です。しかし、知というものは、実際には現場を離れた「前衛」なるものが独占できるわけがありません。
逆に言えば、現場を離れたところに成立するような知―学問には、ほとんど意味がないのです。 職場・工場、そこで働く様々な技術者・労働者のなかに、実際に社会に役立つ知は宿っているべきなのであり、そうした実践的な知こそが人類文明発達の源になってきたことを、全共闘運動は理解できなかったんですね。
プラトン主義を超えて
今日は大里晃弘さんも学習会に顔を出してくれました。大里さんはこの度、視覚障害者として日本で2人目にドクター免許を取得したということで、近頃、メディアに登場しています。それで医学の問題についても、実はこういうことだったんですね。
中世ヨーロッパでは、血まみれになる外科手術は卑しいことだとされ、医師が外科手術を行うことはありませんでした。では誰が外科手術を行ったのかといえば、理髪師だったのです。人の体を切ったりするのは、みんな理髪師の仕事だった。今でも床屋さんは「三色ねじり棒」を看板にしていますが、あれは元々、赤は動脈、青は静脈、白は包帯を表したものでした。
中世ヨーロッパにおいては理髪師は、医師よりもずっと低い身分でした。ところがその理髪師たちこそが、現場での外科手術に従事する経験を通して、当時の外科的知見の発展を担っていたのです。同様のことは、科学技術の発達全般にいえることです。
つまり現場にはほとんど関心が無く、本ばかり読んでいるのではダメなのです。本から本への知識で知的な世界が形成されるなんていうのは、リチャード・ローティが批判するプラトン主義そのものだということです。実際の知は、本の中なんかにはありません。労働者や職人の技術の中にある。工場にあるのです。例えば最近の大発明でも、青色発光ダイオードの発明は工場の技術者によって行われました。大学の研究室で発見されたわけではありません。ノーベル賞をとった田中耕一さんも京都の島津製作所のエンジニアでしょう。
そして、このように「知」を具体的な産業社会に宿るものと位置づけ直していくと、エシックス(倫理)が問題になってきます。その研究がどういう結果をもたらすのか、人類にとってどういう意味があるのかです。そうした倫理的な問題が当然問われてきます。科学技術をめぐるエシックスの問題は、21世紀の現代では「成長の限界」とどう向き合っていくのかが最大の問題になります。つまり地球環境問題や資源エネルギー問題が最大のテーマだということです。
「がんばれ! マルチチュード」とか、「職場から」が肝なのはその文脈においてです。職場の労働者の声を中心にしながら知を形成する。労働者は自分が日々工場や職場でやっていることを、もう一回見直し、位置づけ直してみる。それが知の発展だということです。これは余談ですが埼玉県の某市にクリーン産業(仮名)という浄化槽の点検等の仕事をやっている会社があります。がんばって仕事をしています。それで私は一貫して、クリーン産業の人たちに、浄化槽の話を是非聞きたいとお願いしてます。オシッコ・ウンコの話は人間にとって大問題です。大便の処理など、一つの文明史を形作っているといっても過言じゃない。どんな家を建てようと、下水をどうするのか、トイレをどうするのかは核心です。それ抜きには人間は生きていけない。最も重要な仕事をしている人達なわけですよね。それで浄化槽の技術には今どんなのがあるのか、下水処理についてどう考えたらいいのかなどなどですが、是非教えて欲しいと再三に渡ってお願いしています。
しかしクリーン産業の人たちには、一言でいうと左翼思想に固まった人達が多いんじゃないかと思います。別に前衛―大衆理論で考えていて、浄化槽のことは下賤なことだと思ってるわけじゃないと思うのですが、仕事の話に触れたがらないのです。そこが残念ですね。
知的ぶって、形而上学でしかないわけの分からないことを言ってるのが知的なんじゃない。実際は工場や作業場などの「現場」で現実がつくられていき、そこで考えられていることこそが肝なのです。そこから言ってもノーメン・クラトゥーラの支配に依拠したソ連邦が滅びたのがわかります。
16世紀文化革命という呼び方
野家さんの書いてることから、今の話を説き直します。 「ヨーロッパでは『科学』という理論的学問と『技術』という実践的労働とは相容れないものだと考えられてきた。理論的考察(テオーリア)は自由市民の理性的な営みであるのに対して、技術的生産(テクネー)は奴隷労働と結びつく一段低いものと見られてきたのである。このことは『自由学芸』(liberal arts)と『機械技術』(mechanical arts)との対立や、技術教育を行う高等教育機関が大学(university)の中には作られず、大学の外に設置されてきた(エコール・ポリテクニック、THなど)という事実の中にも表れている」
古代ギリシャ以来、ヨーロッパでは自由学芸と機械技術に分けて考える伝統があったわけです。そこではインテリを自称する人たちは、機械技術には手を出してはいけないという不文律があった。
日本語の「科学技術」にあたるヨーロッパ語は存在しないのです。英語ではscience and technology、つまり『科学と技術』という3つの言葉で表現します。「科学技術」という日本語は、科学と技術に不可分一体の結びつきを表していますが、science and technologyという英語は、科学と技術という別々の分野を連結させてるだけなのです。 それに対して日本では、明治以降の近代化・西欧化の過程で、科学と技術は一体のものとして導入されました。東京大学(帝国大学)には工学部が設置されましたが、それは世界の大学で初めてだったのです。ヨーロッパでは、「大学」というのは、テオーリア(理論的考察)・自由学芸をやるところであって、テクネー(技術的生産)・機械技術をやるところではないと長らく考えられてきたからです。
自由学芸(liberal arts)は、なぜliberalなのかといえば、奴隷制度が存在した古代ギリシャにあって、「自由人」たる市民が人格形成するのにふさわしい理性的学問という意味で自由学芸と呼ばれていたのです。機械技術(mechanical arts)は、おなじartsという言葉が使われていますが、こちらは「奴隷の手仕事」を表すものとして蔑まれていました。こうした考え方がヨーロッパの知的伝統だったのです。それが明治期には未消化のまま日本にも導入されたんですね。『科学の哲学』から引用します。
「英語mechanicalあるいはmachineという言葉は、ギリシャ語では『メカネ』、ラテン語では『マキーナ』に当たるが、これは『てこ、輪軸、滑車、くさび、螺旋』の単一機械と呼ばれる道具を指していた。これらは自由市民が手にすべき道具ではないと考えられており、プラトンは『法律』の中で、『市民は誰一人として、職人の仕事に従事してはなりません』と述べている」
つまり、mechanicalという言葉は「思考を必要としない決まりきった労働に従事する」というマイナスのイメージと軽蔑的な意味を含んだ言葉だったのです。知は自由学芸のテオーリア(理論的考察)の中に宿っていると信じられていたからです。
そして実際には、ヨーロッパの近代化=科学革命・産業革命を準備した「大発見」を成し遂げたのは、「自由学芸」を研究していた大学のインテリではなかったということです。それは一番貶められてきた機械工芸に従事する人たちでした。
職人・技術者・船乗り・軍人・理髪師(外科医)といった人たちが、実際に自分の仕事で行き当たった問題を解決しようと自分の頭で考え、新たに発見した知見や技術を本に書いて他の職人・技術者に伝えはじめたのです。山本義隆さんは、こうした一大変化を「16世紀文化革命」という言葉で呼んでいます。それ以前の自由学芸に関する書物というのは、みなラテン語で書かれていました。だからラテン語なんて分からない一般庶民は、自由学芸に関する書物を読むことすらできませんでした。中世ヨーロッパの大学では、一部研究者にしか分からないラテン語で研究することが「最高の学問」とされていたからです。
それに対し、「機械工芸」に従事する職人達は、現場で役立つ技術や知識について、ラテン語ではなくて自分たちが普段使っている言葉、フランス語やドイツ語、英語などで書き始めました。それを大学で自由学芸を研究している「自由市民」の人達はバカにしたわけだけど、産業革命は、機械工芸に従事する職人たち・労働者たちの実際的な知識の積み重ねによる、数々の発見・発明によってはじめて可能になったのです。テキストから引用しておきます。
「われわれは通常『産業革命』といえば、その背景に科学理論の発達や新たな法則の発見を予想し、科学者と技術者とが協力し合って産業革命を推進したと考えがちである。しかし、蒸気機関を発明したワット、水力紡績機と発明したアークライト、さらには電球や蓄音機を発明したエジソンなどは、大学教育とは無関係の技術者であった。産業革命は大学に籍を置く科学者によってではなく、学歴ももたない『アントレプレヌール(起業家)』と呼ばれる人々によって担われていたのである」
つまり、社会的に差別されていた職人・技術者たちの、現場での経験を通した創意工夫こそが産業革命を準備したということです。
科学史上のブッシュ主義
そうして20世紀に入ると、科学と技術の融合がはじまります。きっかけになったのは二度にわたる世界大戦の勃発でした。この二つの戦争は「総力戦」と言われるように、国民国家の総力を挙げた戦争でした。科学および技術も、国家が行う兵器開発に全面的に動員されるようになります。
なかでも有名なのが、アメリカが第二次大戦中に行った極秘の原爆開発計画「マンハッタン計画」でしょう。アメリカはナチスよりも早く原爆を開発するための一大国家プロジェクトとして、マンハッタン計画に膨大な国家予算を投入します。マンハッタン計画には当時有数の物理学者がこぞって参加しました。知っとくべきなのは、そもそもローズベルト大統領に原爆開発推進の提言書を送ったのは、アインシュタインなどナチスに追われた物理学者たちだったということです。
アメリカの科学技術の総力を結集したマンハッタン計画は、かくして原爆開発に成功します。それは広島・長崎の悲劇を生みだします。しかし、その「成功」は、戦後の科学技術研究に大きな影響を与えました。テキストからいえば「戦後になって盛んになるプロジェクト達成型の科学研究、しかも多数の科学者が課題を分担して協力し合う共同研究の原型を形作ったのが、このマンハッタン計画だったのである」ということです。
ところで、こうしたアメリカの科学者総動員体制の責任者を勤めたのがヴァーネバー・ブッシュという人物です。ブッシュと言っても、現アメリカ大統領のブッシュとは関係ないですよ。科学哲学ではこっちのブッシュの方が有名なんです。ブッシュはマンハッタン計画を引き継ぐアメリカの戦後科学政策の立案を、F・ローズヴェルト大統領から要請されて『科学・果てしなきフロンティア』(1945)と題した報告書を提出します。この報告書は、戦後世界の科学研究開発計画のモデルとなった報告書です。
このように政府が科学研究に対して資金援助を行い、プロジェクトの達成を目指すというシステムを「ブッシュ主義」といいます。今も各国の科学政策はこの「ブッシュ主義」に基づいて展開されています。「ブッシュ主義」を戦争をガンガンやることと考えるのは、ちょっとちがってるんですね。
民力導入で勝利した米国
先にも述べたように、全共闘運動は「産学協同路線粉砕!」のスローガンを掲げていました。しかし「産学協同」こそが、現代における科学技術の急速な発展を実現した大きな要因だったわけです。それは、日本がアメリカと戦争やって負けたプロセスを考えても分かることです。
戦前の日本は、陸軍士官学校や海軍兵学校にいい人材をみんな集めて、軍部が全ての力を独占しようとした。その結果、民間の研究や技術を効果的に動員することができなかったのです。それに対してアメリカは、「ブッシュ主義」に見られるように、広く民間を登用することに成功したわけです。
知ってのとおり、1941年12月、日本が真珠湾を攻撃して太平洋戦争が開始されます。その翌年の1942年には、早くもアメリカは東京への空襲を計画します。航続距離の長い陸軍爆撃機B25を空母から発艦させ、東京空襲をやろうとしたのです。しかし陸軍の爆撃機は非常に重くて、離陸には長い滑走路を必要とした。空母の短い飛行甲板から発進するのは至難の業だったのです。
米軍はこの重大極秘作戦のキャップにですよ、職業軍人ではなく数々の飛行機レースに優勝している民間の曲乗りパイロット、ジミー・ドーリットルを指揮官に抜擢したのです。ジミー・ドーリットルは短い滑走路から飛び上がったりするのが得意で、1929年9月には、計器飛行の実験のために、操縦席を目隠しした飛行機で、離陸、旋回、着陸に成功したりもしている。このドーリットルは本番でも先頭にたって空母の甲板から飛び立ち、陣頭指揮をとって初の東京空襲を成功させます。民間活力こそ偉大なんだということですね。
アメリカ映画に『アルマゲドン』とかあるじゃないですか。ブルース・ウィリスとか、なんか変な民間のオヤジたちが(笑)大抜擢されて、巨大隕石の衝突から地球を救うという映画です。『アルマゲドン』はもちろん作り話ですが、民間活力をどんどん活用するというのは、アメリカ流のやり方なのです。官民一体というよりも、民を主導にした力で事態を切り開いていくという発想です。これがアメリカの強さの秘密かなと思います。
これに対して戦前の日本は、とにかく「軍人が偉い」とされていて、民間人は蔑まされていました。それで、民間活力の動員、民間の技術力の吸い上げといったことは問題にもされなかったのです。
そのくせ日本軍は、沖縄戦などでは民間人を米軍からの攻撃の盾にするなどひどい作戦をやった。日本軍は避難してきた沖縄の人たちを洞窟から追い出したりまでしています。これじゃアメリカに勝てるわけがないでしょう。「サムライ日本」のダメなところはこんなところにあったのですね。
要は、アメリカのブッシュ主義にみられるように、現代においては大学などにおける学問的な研究も、産業社会と不可分一体のものとなっているということです。大学での研究も実際の世の中で、人々の生活に役立たなければ意味がない。字から字へ、本ばっかり読んでて、実際上の生活には無力な「理論オタク」ではしょうがない。知は現場にある、工場にあるということです。
だから大学の研究もまた、生活に役立つ「実学」でなければならないのです。そしてそこから、科学技術研究にもエシックスが厳しく問われる時代がやってきているということがいえます。
http://www.bund.org/opinion/20050525-2.htm