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ハゲタカ外資に乗っ取られつつあるゴルフ場の現状を報告する。 副島隆彦
http://www.asyura2.com/0505/hasan40/msg/692.html
投稿者 TORA 日時 2005 年 6 月 13 日 04:39:16: CP1Vgnax47n1s
 

「668」 我ら学問道場は今後は貧乏ゴルフを必修科目とする。フィールドワーク(現地調査の野外活動)としてゴルフ場から、衰退(すいたい)国家・日本を悠然と眺める。同時にハゲタカ外資に乗っ取られつつあるゴルフ場の現状を報告する。 2005.6.11

http://snsi-j.jp/boyaki/diary.cgi

副島隆彦です。今日は2005年6月11日です。

 今日は、「我ら学問道場はこれから貧乏ゴルフをやる。これを教科課程のひとつとする」、「私のゴルフ論」、「フィールドワークとしての、日本におけるゴルフ場の現状の分析」の3つの趣旨を併せて書きます。

 我が学問道場は、教科必修課程として、若い弟子たちに次々に、私が直接ゴルフを教えることにしました。伊豆半島に私の仕事場を兼ねた熱海支部の建物があるので、一回あたり3人連れて行って、私を入れて4人でグリーンに出て、実地で体で、「上層サラリーマンと企業経営者の体質」を学ぶという計画をたてました。

 私たちの熱海支部に来る弟子たちに、ゴルフのクラブの握り方から教え始める。グリーン(ゴルフ場)で必要なマナーとルールの最低限度を彼らに教える。そのために近くの打ちっぱなし(練習場)で最低、2日間は訓練します。そうしないとゴルフ場に迷惑をかける。 企業サラリーマンなら先輩が、ゴルフのてほどきをしてくれるのが日本の高度成長経済およびバブル時代の慣行だった。私は、この「手解(ほど)き」という言葉は相当に優れた日本語(和語)だと思う。 若い人や、初心者に、誰かがその道への入門の初歩を教えるきっかけを与えなければ、誰もその世界には入ってゆけない。

私は、どんな分野で親切心で人を、ある新しい世界に、誘って導いて、連れて行ってくれる人というのは、その人の人生にとってものすごく重要な存在だと思っている。誰に道案内されたか、でその分野でのその人の一生が決まる、と言っても過言ではない。 学問でも政治思想の世界でも、誰を導きの糸とし、「手習いの師匠」にしたかが重要である。 

それでも、先生に恵まれない人は自分自身の体を使っての苦行難行と、試行錯誤の果てにひとつの到達点に達する。あとはその人自身の才能と知力の問題であって、到達度は人それぞれに違う。

ゴルフなどどいう、今でも「金持ちたちの道楽、金のかかる遊び」と多数派の一般国民には思われているスポーツだが、実情は、もはやそういうものではない。日本全国のゴルフ場は、どこも閑散とした、美しい芝生の丘陵地になっている。日本の経済停滞と、打ち続く大不況が、ゴルフ場を日本の苦境の代表的な場所に変えた。

ゴルフの手ほどきは、20台から30台の勤め人にとっては、職場の先輩や、中小企業の経営者が誘って初めて教える世界であった。 その美しい伝統が今は崩れている。今のゴルフ場は閑散としている。本当に、土日以外の平日は、特にシーズンを越すとガラーンとしている。 客がほとんどいない、と言っていい。 どこの業種の、どこの企業も皆、不況にあえいでいる。倒産、破綻すべき企業はもう潰(つぶ)れてしまったか、まだ、名前だけを生き残らしている状態である。社員の総数は、15年前の最盛期の5分の1ぐらいになっているだろう。 

これだけ不景気(デフレ経済)が続くと、もうゴルフなどやっていられない人が増えた。景気よく毎週でも、週に3回でもゴルフをやっていた、企業経営者たちの多くは、文字通り「滅んだ」だろう。
その馬鹿息子たちは、どうなっただろうか。大半は、創業者で偉かった親父(おやじ、父親)の残した遺産の売り食いをして、つぶれた会社の残りの「一族の蓄え」か何かで今は細々と生きているだろう。あまりにも現状がきつすぎて、借金(返せなくなった金)を数十億円も抱え込んで、喘(あえ)いでいた人たちは、本当に次々と病気で死んでいったろう。 それが、日本のこの15年間の原風景だ。それを亡羊(ぼうよう)と眺めるのには、ゴルフ場が最適なのだ。 まさしく「さびれ果てたゴルフ場から日本が一番よく見える」なのである。

この苦しい現状を誰も指摘しようとない。日本は、低成長国家などではななくて、文字通り、衰退(すいたい)国家なのである。繁栄の絶滅に向かって、今も奈落の底へ向かいつつあるのである。今もニューヨークのハゲタカ外資(金融ユダヤ人)どもによる日本乗っ取り、合法的な株式買収の形をとった策動が続いている。誰もこれを止めることはできない。

私は、最近は、宮澤喜一元首相を見直している。彼が、なぜ小渕内閣のとき、国民には全く不明であったが、首相経験者であったのに3年間も大蔵大臣に復帰して、無為無策(むいむさく)と罵(ののし)られながらも経済運営を担当した。彼は、「もうどうやっても不況から脱出できませんよ。日本はもうだめだ」と平気で、記者たちに向かって発言していた。その理由が、私に最近分かった。実力者政治家・宮澤喜一のあの時の役割は、「長銀 (現新生銀行)を’世界皇帝’デイヴィッド・ロックフェラーに、やらないための日本国の防波堤」の役割だったのだ。

日本政府は、最後まで抵抗し続けたのだ。このことは、デイヴィッドの腹心であるポール・ボルカーの日経新聞の昨年10月の30回連載の「私の履歴書」の中に、理由が書かれていた。宮澤は、「(私は、)この件には、ハンズ・オフ 、ハンズ・オフ hands-off , hands-off (無関係、権限なし)だ」といって、ボルカーに抵抗し続けたのである。 現職の大蔵大臣が、破綻し国有化された大銀行の処分先(払い下げ)について、権限が無い、ということは無い。宮澤は、長銀のリップルウッド・ホールディングズによる払い下げに、最後まで抵抗するための日本の愛国派大臣の役回りだったのである。  

 そういうきつい役回りをやらされるのが、国民の代表たる政治家たち本当の仕事である。その重圧たるや大変なものだと思う。 だから、私は、宮澤喜一、加藤紘一(このふたりは仲が悪かった)もこのお公家(くげ)様派閥と呼ばれた流れである吉田茂の宏池会(こうちかい)の伝統が、今は一番好きだ。彼らは、自民党内の反戦平和勢力である。 

「日本は戦争にだけは引き釣り込まされてはならない」というハト派勢力だ。吉田茂の宏池会の伝統のおかげで、日本は、のらりくらりと、だらだらと言を左右にして、アメリカ帝国からの厳しい属国群への、「各藩ごとへの出兵割り当て」に逆らい続けることが出来た。

だから、この「保守派護憲」の「吉田ドクトリン」での抵抗があったので、日本は、朝鮮戦争(1950年)と、ベトナム戦争(1970年前後)には、出兵(海外派兵)されられなくて済んだのだ。それが、イラク戦争(2003年から)では遂に海外派兵させられた。 外国に、外国の軍隊が駐留したら、それは侵略なのだ。このことの意味を、私たち日本国民は、唇から血が出るぐらいにかみ締めて、思い知らなければならない。

アメリカのCIAの手先である文藝春秋や産経新聞、石原慎太郎その他の「日本の愛国派を気取る」手先どもが、日本を戦争に引き釣り込むための、「勇ましい日本男児は、チャンコロ、チョン公を今こそ叩きのめそう」という、盲目の馬鹿の役割を演じて、日本国民を戦争に引き釣り込もうとしている。

私たち学問道場は、彼らとの言論戦での死闘を覚悟せねばならない。日本国民を戦争で死なせるわけにはゆかない。そんなに戦場で死にたければ、お前たちだけ死にに行くがいい。止(と)めはしないよ。人びとを騙(だま)さないで自分が率先して死ににゆくがいい。生来のノータリンの愚か者どもめが。

だから、私たちは今こそゴルフをやるのだ。ゴルフ場のきれいな芝生(人工的な芝生。日本のカモシカとサルとイノシシをいじめて絶滅にまで追いやった、憎きゴルフ場の芝生だ。そして、今、イノシシとサルとカモシカがゴルフ場に、復讐をしている。潰れだしたゴルフ場が、笹薮に戻り、そして雑木林に戻ってゆく。いいことだ) このきれいな芝生のグリーンから、私たちは、悠然と日本を見つめる。

今こそ、学問道場に結集する若者たちは、貧乏人での出来るようになった、この旧金持ちたちの遊びをやる。気分は、猪と猿と鹿である。馬鹿は、アメリカに仕組まれて扇動される、アジア人どうしが殺しあう戦争に行け。

日本はこの大不況のまま、このまま次は、戦争(戦乱)の時代に突入してゆく。それが、人類の歴史の繰り返しだった、と言えば、分かってもらえるだろうか。 私が、各書で何度も書いてきたとおり、「1945年の敗戦から、今の2005年までで丁度、60年であり、この60年周期=コンドラチェフの波 で人類の一周期は回っているのである。だから、2005年からが、新しい周期の始まり」なのだ。

だから、ゴルフこそは、今一番やるべきスポーツだ。なぜなら疎(まば)らにしか人が居なくて、閑散としているのだから。 昔、企業経営者のボンボンどもが金に飽かして、遊びほうけていたゴルフ場のクラブハウスは、設備投資が出来ないので改装費用も出ないので、ぼろぼろになっている。この環境で、私たち貧乏ガキ集団が、ゴルフをはじめる、というのが一番、諧謔(かいぎゃく)に満ちていてよろしい。

ヨット遊びをやろうとかとも思ったし、数人、大学時代にずっとヨットをやっていた者たちが弟子にいるのでこれもやろうかと考えたがやめた。海は危険がいっぱいだ。海は危ない。ヨットが漁民の網にひっかかって、事故を起こすのが怖い。海はいつ何が起きるか分からない危ない世界なので、浜辺での海水浴以外は、私たちは集団ではやらない。だからゴルフだ。テニスや野球、サッカーは、実にきついスポーツだ。5分間も本気でやるとへばってしまう。私たちのように、知識、思想、言論で生きている文科系の本読み人間たちには、そういう激しいスポーツは向かない。 私たちは、スポーツマンではなくて、筋力なしのへなへなの本読み人間だから、こういう思想、言論活動やっているのだ。

魚釣りは、私はたった一回だけやっただけなのに、ああやって「ぼやき」の「熱海から物語」に、堂々と「私の釣り体験記」を長々と書いた。それが副島隆彦である。何でも、一回やった(経験した)だけで、すべてを見切ってしまう。それが生来の知識人というものだ。思想家とはそういうものだ。

 この5月の連休に、私は実際に3人弟子をつれて、ゴルフ練習場に行ってゴルフクラブの握り方とスイングの練習をさせた。本当はこれを2回か3回やってからでないとグリーンにあがらせてはいけないのだが、今はもうゴルフ場はがらがらしているから、平日だったらゴルフ場に直接、初心者のど素人を連れて行ってもかまわなくなった。ボールを打って玉が前に飛びさえすればなんとかなる。

ところがインターネットで調べて行った先がなんと、練習場(打ちっぱなし)ではなくて、ミニゴルフ場の小さなゴルフ場であった。各コースが、150から200ヤードぐらいしかないからとてもゴルフ場と呼べる物ではないのだが、一応コースになっていて、アイアンでとばしながら、穴に入れてゆくという形にはなってはいた。これで私はびっくりしてしまって、初心者の弟子たちを連れて、前後の客たちの顰蹙(ひんしゅく)を買いながら、相当に負担を感じながらコースを回ったが、なんとかやり終えた。ゴルフは4人で回ることに決まっている。

このゴルフというスポートは、もともとイギリスのヒースと呼ばれる痩(や)せた土地の牧草地のようなところで、イギリス人たちがはじめた。スポーツsports の「スポート」 sport というのは「気晴らし」という意味であり、日本人がスポーツというと集団運動のゲーム game と横滑りさせて考えるが、集団ボール競技としてのサッカーや野球とはちがう。

例えばハンティング(hunting 狩猟 )というスポートがあるが、狩猟はスポーツなのである。ここからスポーツとゲイムの重なっているが意味の違いがわかる。スポーツは、集団戦としてのボール競技のことではない。

ゴルフは、イギリス人たちがルールを決めて、牧草地のあちこちに穴を開けておいて、そこにボールを次々に打ち込んで進んでゆくということをはじめた。ゴルフが、日本に初めて出現してゴルフ場ができたのは明治の終わり頃で、今の駒沢公園である。東京の駒沢公園は今はモーターサイクリングというか、自転車でぐるっとまわれる総合スポーツ公園みたいになっていて、木がいっぱい茂っており、今でこそ、隣の馬事公苑と区別がつかない似たような運動公園である。しかし地図をみればここが9ホールと9ホール、併せて18ホールの日本最初のゴルフ場だったことがよくわかる。日本の当時の政財界人たち、ロスチャイルド系の金持ちたちが肝いりでつくったゴルフ場だったのだろう。

駒沢公園の地図


 この金持ちたちのスポーツであるゴルフを、なぜ私たちがやるか、というところに意味がある。私は、日本の土地住宅問題の変遷(へんせん)と同じくらい重要な、あるいは都市の貸しビル市場の分析と同じぐらい重要なこととして、わりと昔からゴルフ場の市場価格の変動をじっと見てきた。だから今になって、ゴルフ場のことを私があれこれ報告することは意味のあることである。

金持ちのスポーツだったので、バブルまっさかりの15年前、つまり1980年代は、一日、ゴルフをすると、立派なところではだいたい3万円から4万円した。安くても2万5千円から3万円だった。

それで、肉体労働者層と、貧乏サラリーマン層は、ゴルフ場にはいけなかった。それでも、彼らでもゴルフをその頃はやった。 大企業サラリーマンたちは、接待ゴルフの形で、先輩やら部長に引きつれられて、ただでやらしてもらうということがかなりあった。それでも若い社員たちには、年に何日もなかったろう。

だから、年に何回しかない、接待ゴルフでの召使いとしての参加は、大変な幸運だったので、たとて土砂降りの雨の中でも、ゴルフをやった。雨の中でもゴルフはやるというルールが一応あるので、ゴルフ用の雨合羽を着て一生懸命、土砂降りの中でもやった。それぐらい貴重なものだった。そうしないと、せっかくの土日の休日で、次の機会がいつあるか分からないからだ。

その朝に、70組もの人がゴルフ場にわっと押しかけて朝早くからスタートするので、前後が込み合って、少しでも下手な人がいて、ゴルフボールを谷に落としたりOB(オウビー)をやると、時間が掛かるので、回りから嫌われるという雰囲気があった。前と後ろから順番につながっているから、前の連中がグリーンからはなれたら、すぐ打って、すぐに後ろの組が待っているという感じであった。このころゴルフ場は一日、60組が70組を平気でいれていた。

バルブが崩壊した後の日本のゴルフ場はそういうことは無くなった。ここ4,5年特にひどくて、土日の晴れた日はまだいいが、平日は10組程度しか客がいないようだ。4人でまわるとしても40人、ふたりでまわっても平気で回らしてくれるようになった。そういう時代になった。当時は二人なら、全く他人の別のふたり組と無理やり組まされたが、今はタンデムといって二人だけでもまわらしてくれる。もっとひどい1日4、5組という閑散としたゴルフ場もかなりあるようになった。

しかもプレイ料金が値下がりしていて、6000円ぐらいにまで下がっている。東京近郊の格の高い立派なゴルフ場の場合は、今も2万5000円とか取っており、キャディーさんがついてひとり3000円だから、ひとり3万円という感じだろう。しかしそれ以外の「名門ではない」普通のゴルフ場で、大都市近郊の河川敷(かせんじき)ゴルフ場は、5000円程度にまで価格が落ちている。5000円でセルフでプレイできるのだから、遂に、貧乏学生でも手が出るようになったのだ。群馬県や栃木県のはずれの行くのが不便なゴルフ場では、ついに平日3500円というような、「価格激戦区」のゴルフ場まで出現している。

これらはビジターの料金である。昔は、土日は会員か、あるいは会員が連れてきた人しかできないのがあたり前だった。平日でもよっぽどのことがなければビジターだけではプレーできなかった。今では会員もへったくれもなくて、ほとんどのゴルフ場で、土日でもいつでもビジターで自由にプレイができる。ただ、一部の格式を重んじるところでは、土日は絶対ビジターを入れないというところがいまでも主流であるのかもしれない。

私がこの2,3年でびっくりしたのは、本当に、平日のプレイで5000円というゴルフ場がたくさん出現したことである。また最近のゴルフガイドブックにのっていたが、現在2800円とか、なんと2350円というのも出現している。群馬県の北のほうの軽井沢の手前のあたりのゴルフ場であり、この辺でどうやら激しい客の奪い合い競争をしているらしい。すでに経営者は破綻して他の経営体に変わっているところがほとんだ。1回プレーして3000円でできるということは、若者でゴルフが好きな大学生みたいな連中が4人で車をとばして行って案外にぎわっているかもしれない。

これらのゴルフ場はこの数年で倒産してしまって、再生法か会社更生法の適用によってつぶれてしまったゴルフ場だ。これを「ハゲタカ外資」の大手の、ゴールドマン・サックス、リップルウッド、サーベラス、ローンスターなどが競って買収している。アコーディア・ゴルフ(http://www2.accordiagolf.com/)という名のゴールドマンサックス系が100コースぐらい、サーベラス系が80ぐらい押さえ、競争しているらしい。実情は、もっと多くを彼らが押さえている。

日本全国には2460、すなわち2500弱のゴルフコースがある。日本は47都道府県だから、ざっと50でわると、ひとつの県に50くらいのゴルフ場がある計算になる。そういう風に考えるとわかりやすい。たとえ東京都のようなところでも、埋め立て地や多摩の奥の方にあるから50個ぐらいはあるだろう。地方のどんな小さな県でも30や40はある。

そして、そのうちのほとんど人の来なくなったゴルフ場から順番につぶれている最中である。つぶれてそれを民事再生法にかけられて、会員券をもっている会員が2800人と3500人とかの会員券は、紙切れとなる。会員名簿を公表している立派なゴルフ場と、そういうことをしていないいかがわしいゴルフ場とかいろいろあるが、これらにかかわらず、経営が破綻し、累積の借金が返せなくなった段階でゴルフ場自体が倒産する。

ゴルフ場の倒産とはなにか。簡単な話、ゴルフ会員権というのは「土日のプレイ権」のことでしかない。今の日本のゴルフ会員券には、不動産物権(ぶっけん)としての財産権の色彩はほとんどない。ゴルフ場の敷地(底地)に対する共同持ち分権ではない。つまり、ただのプレイ権という民法学でいう債権(さいけん)であり、物権すなわち不動産や土地などの支配権までをもっている権利ではない。債権だから、この頃では誰でも知っていることだが、ゴルフ会員権は土日プレイ権に過ぎない。

日経新聞などに会員権販売仲介業者が出しているゴルフマーケット情報などで、会員権の一覧表を出している。おそらく関西版では関西地区の会員価格入り一覧表があるだろう。これは市場価格だから、中古品の会員権の売買市場というのは、国債や社債、株式の市場と同じであるから、会員権相場というのがあり、売り価格と買い価格が示されている。

・「ゴルフ会員権情報」
http://www.golfdigest.co.jp/kaiin/default.asp

・「ゴルフ会員権相場表」(抜粋)
http://homepage3.nifty.com/golf36/souba.htm


 この表をみるとわかるが、なんと遂には5万円とか10万円の会員権がある。もうすぐタダの会員権というのも出てくる可能性がある。タダというのはいくらなんでも無いと思う人が多いだろうが、本当にそういうことがあるのだ。 「ただでもいいから持っていってくれ。私の持っているリゾート・マンションをただで君にやるよ。その代わり、月に5万円の管理費がかかるからね」というのは、企業経営者や資産家たちの間では、ごく普通の会話であり、こういう会話は7、8年前からそこら中であった。

”ゼロ金利”と同じで、逆ザヤが発生しているのである。 「2年間、家賃をただにしますから、この貸しビルの部屋を借りてください」という事態が、すでに出現しているのである。それは社会の表面に出て新聞記事にならないだけだ。そういう異常な事態に日本がなっている。

この表の会員権相場のとなりに、名義書換料というのがあり、それが35万円とか70万円する。ゴルフ会員価格は、一番質素な、設備の悪いところ、簡単に言えば河川敷ゴルフとか、崖を含んでいる立地の悪いゴルフ場ではもうほとんど値段が付かないと状況になっている。だからこの2,3年でゴルフ会員権が4万円とか5万円が、河川敷ゴルフ場みたいな一番設備の悪いところであらわれてきた。

こんな最低のゴルフ場でもバルブの盛りの頃は、400万円とか500万円もした。河川敷ゴルフ場というのは数年に一回、台風の増水で川が氾濫してゴルフ場自体が消えてなくなってしまうようなところだ。水が引けばそこを一生懸命整地して、ゴミをとって、ゴルフ場として復活させる。そういうところでも昔は400万円とか500万円はした。いまはそれが、4万円とか5万円である。すなわち100分の1である。 それが現状である。

これに比べて、日本で最高の値段のする東京の小金井カントリーでは6千万円ぐらいする。バルブまっさかりのころ、15年前は確か3億円をこしていた。このゴルフ場は東京の中央線沿いの小金井市の住宅街のど真ん中にある18ホールの小さめの平地ゴルフ場である。歴史の古いゴルフ場だ。

この小金井カントリーの会員権だけは特別な性質を持っており、ここの会員権は物権化している。すなわち、ここの会員権は土地の値段を会員の数できれいに割ったものになっているのである。小金井市のあたりは中央線沿線で東京の近郊で、かつこのゴルフ場は小金井駅の2,3キロ北の方にあるから、今はおそらく土地家格は1坪(3.3u)100万円程度であり、ここから計算した金額でこの現在の価格6千万円がきちんと出るようになっている。小金井カントリーだけは会員権価格が土地価格に連動するようになっている。ただし法人会員が非常に多いという話である。

小金井カントリーの会員権はバブル時に3億円で買って、6千万円まで値下がりしている。ひどいときは3000万円台になったときもあるが、今年はあがっているようにも見える。ほかのところは前述したとおりゴルフ会員権は債権であり、ただのプレー権である。バブル時代に3000万円ぐらいしたもだろう。それが、今は、100万円もしない。これが日本の国情だ。上図の、きれいな富士山のような山形をしたゴルフ会員権の平均価格の推移を見れば、私たちの国が置かれている厳しさが分かろうというのもだ。 

私は、今から7、8年前に書いた『あなたが金持ちサラリーマンになる方法』(三笠書房刊)で「すべての商品価格は、定価の10分の1、あるいは、20分の1の、元値の5%まで下がる。その5%が本当の価値=解散価格=処分価格である」と書いた。現に、今も民事再生機構、金融再生機構は、不良債権にくっ付いている担保物の土地、建物を、元の値段の5%から7%でしか、引き受けない。私の理論のとおりだ。

ゴルフは、イギリスで発達したイギリスの貴族や資産家たちの遊びだから、形式上、日本でも理事会、経営委員会、運営委員会等が開かれている形になっている。そういう立派なゴルフ場が今でもたくさんあるだろう。

しかし実態は、2500の全国のゴルフ場のうちの8割は、山師(やまし)のような当時元気だった不動産屋たちが、地主たちを騙して、丘陵地や山の斜面を切り崩して造成して作った。県知事の許可をもらうのに5年10年かけただろう。1960、70年代に一生懸命作った。完成が一番遅いのは、バルブがはじけたあと90年代の半ばでで、そのころオープンしたゴルフ場も数百あるだろうが、これらはその後が悲惨だったとおもう。

ブルドーザーで山をきりくずし造成にいくらかかったかという問題がある。だいたい150から200億円かかったと言われている。そのお金を高度成長経済の頃だから、ゴルフ場の会員券を500万円とかで2000人とかに販売して資金を回収した。その会員権の値段が、80年代で、3倍の1500万円、ときには3000万円とかになっていた。80年代末のバブル真っ盛りの時には、これが5000万円から一億円ぐらいした。いわゆる「億カン」(一億円カントリー)である。 

ゴルフ会員権は不動産資産の一種だと信じ込まされて、金持ちたちがみんなで競うように買った。それが日本の高度成長経済期の健康で明るい時代の象徴だった。 会員権を持っていることは、そのまま上層サラリーマンや金持ち経営者層のステータスを表していたので、それ自体が日本の男たちの優雅さの象徴だった。

例えば、52歳の私の友達たちで今も銀行マンや商社マンをしている連中が、私の記憶でも、15年前のバルブまっさかりのころ、1500万円ぐらいの安手のゴルフ会員券を買っていた。その理由は、「しょっちゅうゴルフ会員権をもっている友達のゴルフ場につれて行ってもらってばかりでは肩身が狭い。それで自分も会員権を持っているという見栄もあって、自分も友達を呼びたいと気持ちで、1500とか2000万円の会員権を買った」と言った。人間を破滅させるのは、見栄と虚栄心(ヴァニティ)である。

しかもこれをなんと全額ローンで買っている。このローンを今でもまだ払い続けているはずである。まだ15年しかたっていないから、おそらく1500万円の会員権のうちの、返したのは500万円程度であろう。あと1000万円ぐらい借金が残っているはずである。住宅ローン以外にこういうローンが残っている。そしてこれらの大都市近郊のたいした立派でもないゴルフ場の会員権が今いくらするかというと、おそらく100万円以下である。70万円とか80万円である。だから1/10以下になっている。これが現実だ。

こういうことは当たり前の世の中の真実なのであるが、日本では、誰も文章にしないから私が書く。泣くに泣けないといえば、まあそれだけのことだが、みんながはずかしい、みっともないということでだまっている。この会員権を売ってもいいのだが、1500万円で買った会員権が、現在50万円だからとても売りに出せるような値段ではない。売る元気もなるなる。つまり本人にとっては紙切れに等しい。もう売りたいから売りますと言ってもしょうがない値段である。

これを4〜500万円の時点であったなら、「もういいや」と投売りする覚悟の有る人は、今から考えれば優れたビジネスマンである。勇気を持って’損切り’が出来る人間が、本当の商売人(ビジネスマン)である。 この損切りの才能の無い人間が、商売(ビジネス)や経営に手を出してはいけない。 

株やら債権の暴落も、土地の値段が暴落した(住宅地の暴落は、それでもバブル期の数分の1ではあるが)というのもまったく同じ現象である。「日本は実は、衰退国家になったのだ」と私は書くが、みんながまだ認めたがらないだけある。低成長国家ですらなくて、この10年、大暴落国家の衰退国家なのである。その現実がここにあらわれている。

もう一度、会員権価格の暴落をグラフや取引価格一覧から、見てみよう。(ネットから拾って、誰か貼り付けてください。 ついでに、美しいゴルフ場の写真とかも何枚か、わざと貼り付けてください。)昔、5000万円、8000万円したのが名門ゴルフ場の会員権価格である。ところが、なんと昨年、私はゴルフ場関係の記事を見ていていたら、何と、ゴルフ場そのものが8000万円で売りに出ていた。会員権ではない。ゴルフ場がまるまるひとつで、8000万円だったのだ。 

本当は売りにでていると言うほど誰でもが買えるものではないが、裁判所の競売(けいばい)価格の落札の最低限度額がそうなっていて、どうやら地元の市とそこの有志たちが8000万円で買い取って経営を続けているということのようだ。

経営が破綻して累積の借金が返せなくなった(債務超過)段階で、ゴルフ会員権は紙切れになる、すなわち預託金やら保証金部分の償還もできなくなる。全国でこういう裁判がずっと続いている。地元の新聞記事でさえ、やたらと小さな記事で、隅っこにしか出ない。わざとそうするようだ。 預託金制度というのがあり、ゴルフ会員権を買ったそのうちの1/3とかが預託金として帰ってくるという契約内容である。たとえば1500万円したそのうち500万円は預託金だから返ってくるはずなのに、それらも返ってこない。だから争いになってそういう裁判が、全国で何千件もおきている。

こんなことは新聞沙汰にもならないし、いい気になった人たちが損しただけだから自業自得の自己責任だからということで、社会はそういう問題を相手にしない。新聞記事、週刊誌の記事にすらもならないでこの15年が過ぎたのである。私の記憶する限り、大手のゴルフ場チェーンの経営母体の日東興行(にっとうこうぎょう)が破綻した時の記事を週刊誌が書いた程度だ。それらは、今、100個単位で、ゴールドマン・サックスのアコーディア・グループになっているはずだ。

こういう事を、なぜ新聞は書かないのだ。私はいつもこういうことが不可思議でならない。私が日本経済新聞に対して文句を言いたいのは、たとえば、「私は、株で10億円損をしました、とか、20億円分の土地を証券会社や銀行に騙されて取り上げられました」という、大損して資産運用で大失敗した人たちの話を全く書かない点である。 大暴落して株が1/10、1/20になって大損した人たちの記録とかインタビューとかをなぜ、お前たちメディア(マスコミ)は、全く書かないのか、と言うのが私の一貫して言い続けていることである。

「そういう個人の悪い記事は、個人のプライバシーにかかわる」とかいうことを理由にして絶対書かない。 株式投資では日本の投資家の98%が大損しているわけだから、2000万円、3000万円、5000万円損している普通の上層サラリーマン(年収1千万円から2千円ぐらい)が山ほどいる。資産家や経営者だったら10億円、20億円の損をしたという人がものすごい数でいる。 こういう者たちが、500万人も1千万人もいる。

これらの人たちが社会の責任ある仕事をしている人たちなのに、それらの人たちの体験記が出ない、というのは本当におかしなことなのである。そのことだけで本1冊書かなければならない。この10年で上層サラリーマンや経営者たちがどれくらい損をしたか、ということを絶対一冊本にしなければいけない。

これ以外に、貧乏サラリーマン層を含めたすべてのサラリーマンが、自分が買った住宅で損をしている。ここで土地価格の変遷ををおさらいしておく。 バブルまっさかりの1990年ごろに横浜や東京首都近郊、あるいは町田、八王子、立川あたりで7,8000万円の家を買った人たちがたくさんいる。40坪50坪で、上もの(建物)が3000万円ぐらいかかって土地(底地)が5000万円ぐらいだったろう。それが今、半値になっているはずである。住宅の場合、下値抵抗線というのがあるので、半値までしか下がっていないが、8000万円で買った人が4000万円まで落ちている。それが現実である。これが駅前とかの商業ビルであれば、10分の1の値段になっている。多くは銀行が抱える不良債権物件になっている。

 バブルの前の昔から、東京の一等地の目黒あたりに、戦後の坪2,30万円のころから、高度成長経済の前からずっと持っていたひとたち(おじいさんの代だ)は、坪1000万円ぐらいの土地になって、それが今、坪150万円まで落ちている。

そういう人たちにとっては、儲かったつもりが儲からなくて、しかし売り買いしていないから損もしなくて済んで、もともと含み益がなかったことになって、そのまま現実が続いているだけである。しかし80年代90年代に高値づかみした人は自分の住んでいる住宅だけでも数千万円から1億円の損を上層サラリーマン階級で出している。

 鉄筋アパートのいわゆるマンションでもそうである。15年前は6000万円、7000万円したマンションがたくさんあった。これらのマンションが今は3000万円ぐらいでしか売れない。それだけでも4000万円の含み損がでており、これをほとんどの日本のサラリーマン層がかかえこんでいる。

こういう実態を誰も語ろうとしない。つまり過去を振り返る能力が人間には無い。あるようでない。ほんの10年前、15年前の過去のことすら今との比較ができないほど、人間は知識がないというか思考能力がない。いつも現実現実と、目先の近い将来のことばかり考えていて、過去を振り返る能力がない。過去の自分と今の自分との比較でどれくらい自分がひどい目にあったのかということを冷酷に見つめる能力がない。

この問題が端的に表れているのがゴルフ場なのである。ゴルフというのは贅沢な人間たちのただの遊びで、ゴルフ会員権は生活必需品ではなく贅沢品である。だからこそ、ここをじっと見つめて振り返ることは将来の日本とみる上での大切な目印になるのだ。ゴルフ場は、私たちの学問道場にとってこういう意味でフィールドワーク(実地調査)の場なのだ。

だからこれから全国あちこちのゴルフ場を私は弟子たちと、「優雅そうに」しかし、ケチケチしながら、料金と条件を詳しく調べながら貧乏ゴルフを必修科目としてやる。

 ゴルフ会員権ひとつが8000万円なのではなくて、ゴルフ場ひとつが8000万円という時代がきてしまった。私に金儲けができる才能があったら、今から、ゴルフ場を一つ買い取って経営して理事長にでもなるだろう。毎日ゴルフ場の草むしりでもしていたら楽しいなあと本気で思ったりする。そうやって、ゴールドマンや、リップルウッドの金融ユダヤ人どもと闘う戦略を、山の中で練りたいものだ。

 あまりに不便すぎて客が全く来なくなった東北地方やら九州の田舎のゴルフ場はいよいよこれから、次々にばたばた倒産するはずである。どれぐらいが、消えてなくなって、すでにもとの畑か森林に戻っているかは実地調査してみないとわからない。現に森林か林にもどってしまったところもあるだろうと思う。

ゴルフ場開発は、大規模な土地開発事業であり不動産開発事業の一種だから政治力も必要で、県知事の許可には、国会議員や県議員たち何人かの支援がないと許可がでなかったはずである。そうやって20年ぐらいかけて開発したのである。それでも今となっては経営ができない、客がこないとなればつぶれてしまう。

ゴールドマン(ジェイ・ロックフェラーの系統)とリップルウッド(デイヴィッド・ロックフェラーの系統)は、これらの150億円ぐらいかかったゴルフ場を、現在だいたい7億5千万円前後で落札しているらしい。丁度元値(もとね)の20分の1の、5%である。 ここで同じロックフェラー系のアメリカのハゲタカ・ファンドなのに落札の競争事件がおきている。日本のゴルフ場の所有権をめぐってアメリカのハゲタカ外資どうしではげしい競り落としあいを今している。

これらの様子を実地で、フィールドワークとして勉強するためにも私たちは全国のゴルフ場を、ゴルフをしながらまわらなくてはいけないと私は思っている。まるで伊能忠敬(いのうただたか)が、全国を測量して地図(コンヨ全国地図)を作って回ったような気分である。

再度書くが、150億円かかったものを7億5千万で競り落とすというのは1/20の値段である。私が「あなたが金持ちサラリーマンになる方法」で書いたように、ものの本当の値段は元の値段のの5−7%であって、一割(10%)もしないのだという理屈にそのままぴったりあっている。

だからこれがどん底の底値だともいえるのではあるが。外資どもが買いあさったはずである。ゴールドマンサックス系だけで公表されている分だけで、今100個ぐらい買収している。しかし、本当は2500個のうちの500個ぐらいは既に外資が押さえただろう。新聞記事にでしもらわならない限り、事実と情報がなかなか外側に流れない。私のこの文書ををまた、泥棒しに来て、新聞記者か、テレビ局のディレクターの中でまだ少しは勇気があるのが記事や番組にするだろう。今まで20人ぐらいの従業員をつかって経営していたところを、10人ぐらいまでギリギリに減らしている。キャディさんというのもほとんどいらなくなった。

ちなみに、この「キャディ」(a caddie; a caddy)という語は、元々「ヤング・ラッド」 (young lad)という言葉があって、この「ヤングラッド」が「キャディー」ということばに変わったらしい。それ以前の語源はない。「ヤング・ラッド」は「若い男」という意味で、アメリカのプロウのゴルフ競技では、若者でゴルフバッグを背負って、子分でついてまわる男のことだ。 だから、キャディーというのはもともと男がやっていた仕事である。なぜか日本ではおねえさん、おばさんの仕事になった。

このキャディーさんたちも必要じゃなくなって、自宅待機みたいになっている。評判のいいキャディーさんだけが使ってもらえる。家庭の主婦のアルバイトみたいになっている。需給関係でそうなっている。ほとんどいくらも仕事にならなくなっている。

実はこのキャディーさんたちの生態がおもしろい。詳しくは書かないが、ゴルフが大好きなひとたちでもあるから、非常にうまかったりする。こういう、キャディーさんにおそわりながら若いサラリーマンたちはゴルフの技術を高めた面がある。「こういうふうに打ったら」とか教えてくれるキャディーさんが今でもたくさんいる。

開発が早かったもので、1960年代、遅いのでも70年代につくったゴルフ場が主流である。それらが日本の山を切り崩していって、自然環境を痛めつけて、カモシカ、イノシシ、サルという日本の代表的な山の動物をいじめたと私は思う。狸(たぬき)や狐(きつね)もまだ少しはいるだろう。

これらの山の動物たちをいじめた元凶のゴルフ場開発を一生懸命やった日本の大企業がある。例えばヤマハである。ヤマハは、自社製品の発動機を軸にしてスポーツビジネスを大きく世界に売り出した。マリンスポーツとかで、日本の南の与論島などの南の島々のリゾート開発をやって、大きなホテルつくってその隣にゴルフ場をつくった。

珊瑚礁まで壊したかもしれない。これとまったく同じようにヤマハは、日本の関東圏の山々で、カモシカ、サル、イノシシの生態地をこわしてゴルフ場にした。この件については、私は、自分が若い頃関わった千葉県の山奥の「台倉自然博物館運動」というものの思い出でそのうち書こうと思う。

 ゴルフ場というのは実際行ってみると分かるが、丘陵地帯とか高原とかいうようなものではなくて、ほとんどはかなり山のてっぺんまでを開発していることがわかる。ふつうの人間がとても自然の山にわけいってゆけないようなところを、山の奥までゴルフ場にしている。同じくスキー場もそうである。高い山の相当てっぺんまでスキー場になってしまっている。ゴルフ場開発、スキー場開発で日本のほとんどの山は人工化されてしまった。西武系も東急系もやった。それが日本の高度成長経済にゴルフ、ホテル、テニス場を含めたスポーツビジネスの場所になっていった。

それが今は、ユダヤ人からだけでなく、自然からの大きな復讐という形でつぶれ始めている。ここにひとつのサイクルがみられる。もう日本人はこれ以上は自然をいじめることはないだろうという段階が来た。もはや新しいゴルフ場やスキー場をつくるという動きは日本国中どこにもない。

あの頃は、日本でもディベロッパーと呼ばれた不動産開発業者としての才能があった男たちが、夢をもって生き生きとした時代があった。山持ちとか、地方の畑、山林を持っているひとたちをだましてというか契約をむすんで、買収するか多くは借地という形でゴルフ場にした。「将来もうかるから、もうかるから」といって、一時期は、みんなで大もうけもしたんだろうが、結果的にそれが大失敗した形になって大損した形になって、夢破れて現在の日本がある。

もうひとつ言っておかなければいけないことがある。この4,5年前から日本政府(税務署)は、ゴルフ会員権にも損益通算(そんえきつうさん)を認めてきた。企業経営者たちに、平均3000万円で買ったゴルフ会員券を10も20も持っている連中がたくさんいた。このゴルフ会員権が一枚、300万円ぐらいまで落ちた段階で手放させて、それを他の所得と、通算して、所得税額を大幅に減らさせて、それで実質的に、減税の役割を果たした。

 会社で買っていたゴルフ会員権の場合も、経常利益が3000万円だとしたら、ゴルフ会員券を処分して3000万円の損を出して、課税所得をゼロにして、当期利益がゼロになるから税金がかからないという損益通算をみとめてきた。

社長個人の名義でかったゴルフ会員権は社長個人の所得で損益通算をみとめて手放せと誘った。この損益通算の制度をこの4,5年認めてやってきた。売って実損をださせてそれと商売で得た利益と通算させて所得額を減らして税金の額を減らしていいという制度でやってきた。これが、今年はもう認められるのかわからない。もう既になくなっているという話もある。国税庁・税務署はこういうことは、音なしの構えでやる。自分たちの子分の税理士にだけ教えて世の中も広まるようにする。

会員権が5万円、10万円という恐るべき信じられない値段にまで暴落したのものこの損益通算があったからである。中小企業経営者で自分で損切りして処分した人たちもいれば、経営自体が破産に陥って、経営者本人も破綻するから、その時、無理やり処分させられるという意味でもある。「もう処分しちゃいなさい」ということで3000万円の会員権を100万円で処分する、2900万円の損をさっさと出す、ということを平気でこの4,5年やってきた。

だから税法上の損益通算で会員価格が暴落したという面もある。現実価格がそこまで落ちているから、そこで処分しろというユダヤ人の冷酷なレイシオ(ratio、ラチオ)の思考である。 「昔は3000万円しました」といくら言っても無駄で、今100万円しかしないなら価格(価値)は100万円である。現実はこういう冷酷な時価会計でやられている。

昔はちょっとした名門ゴルフ場の会員であるということが、商売につながったり、人脈をふやしたり、景気のいいころは経営者は楽しそうにやっていたが、今は逆回転、逆回しになって悲惨な目にあっている。会員ゴルファーたちが順番に老人になって死んでいくという自然の流れもあるが、ゴルフ場の経営者が次々に入れかわっているという話も聞く。

 「ミネルバのフクロウは夜飛び立つ」 というドイツの思想家ヘーゲルが言った言葉がある。ナポレオン戦争のひとつのイエナ会戦がおわった夜の、イエナの町を、夜、馬に乗ってひとりナポレオンが行く姿をヘーゲルが見かけたという。 あのあたりに、この「ミネルバのフクロウ」が出てくる。

思惟や思想の力をいうものは、ただの観念やコトバであって現実の前にはまったく無力である。いくら何を書いても目の前の荒れ狂う現実に対しては無力である。しかし、戦乱の嵐の吹き荒れた戦場の兵士たちの屍(しかばね)がころがっている平地平原の中、荒れ果てた破壊された都市の夜に、一羽の梟(ふくろう)が飛び立つのである。それが思想の力というものである。だからミネルバのフクロウは夜、飛び立つ、のである。

 私はこの「ミネルバのフクロウ」という考えが大好きである。嵐が収まったあと振り返るという力が思想の力であり philosophy 知を愛すること、知恵への愛、これがフォロ・ソフィアなのだ。だからこうやって夜陰にまぎれて飛び立ち、人間どものすべての浅ましい所業を俯瞰(ふかん)するのが、知識人の課題なのだ。 誰も忘れてしまって、あるいは誰も見たくない現実に、もはや誰も触れたくない事実に、私たちは無理やりでも光を当てなくてはならない。

だから最初の話に戻って、わが学問道場は必須科目としてゴルフをやるのである。シーズンオフの冬なら、なんと一日、3000円や4000円で出来るのだから、貧乏な若者たちでも出来る。 貧乏だということは大きな借金も背負っていないということだから、本当は、今の時代では、相対的に勝ち組なのである。何でも出来る。どこへでも行ける。誰に気兼ねして発言を抑えられるということもないのだ。だから今は空気の汚い都市生活から離れて、ゴルフをやることが一番、いいのだ。

いまでも、しぶとく生きのびている企業の経営者たちや、上層サラリーマン(管理職)で退職した者たちが、仲間と互いの健康を祝いあいながら、必死でゴルフをやっている。この爺さんたちは、見ていて本当に偉い。70歳前後でも、矍鑠(かくしゃく)として、(ややふらつきながらだが)、実に上手にゴルフをやっている。彼らにとっては、ゴルフは、仕事と同じく、死ぬまでやってそして、そこでばったり倒れてもいい、とう気迫と執念のこもったスポーツだ。 経営でも負けないで、会社も潰さないで、ここまで生き延びた者たちの、勝利のスポーツだ。

彼らは大地を踏みしめるように歩く。カート(電気自動車)などに乗りたがるのは、30台、40台の、若い連中だ。もうここには馬鹿息子たちはいない。金に飽かせて遊びでやっていたような者たちはもう消えた。

だから、今もやっている人たちがいるからゴルフ場が廃れて無くなるわけではないし、リップルウッドやゴールドマンが経営していていても、従業員の数を半分に減らしてギリギリ現実の価格にあうところで人集めをしてゴルフ場を経営していくわけだから、今後も存続していくわけである。まさか日本の土地をひっぺがえして、アメリカにもって帰れるわけではない。

 また将来、文字通り、実物資産(タンジブル・アセット)である土地の値段が上がりだせば、ゴルフ会員権が上がりだすことがあるかもしれない。それは何年先になるか分からないが、それを見越して、同じく大都市部の不動産価格が上昇すると言うことを見越して、彼らは今仕入れをしている。逆にいえば金融ユダヤ人どもが買い込んだと言うことは、長い目で見れば優良なゴルフ場は生き延びるということだ。

あとひとつ日本人が反省しなくてはいけないことがある。それは、バルブ経済まっさかりの頃にゴルフをしていた大企業サラリーマンたちは、先輩からの「手ほどき」をうけてゴルフをはじめた。私も手ほどきを受けて友人から教えてもらった。今この「手ほどき」という考え方がなくなっている。教える先輩がいない。ゴルフ場に通う能力も財力もなくなった。月に2万円とかのサラリーマンの小遣い銭では、もうゴルフには行けない。それぐらい今のサラリーマンたちは追いつめられている。だからゴルフ場に行かない、あるいは、行けなくなっている。小さな子供を抱えている家庭だったら、行ったら奥さんが怒鳴り散らすだろう。よっぽど好きな人たち以外はゴルフはできなくなっている。

昔は多くの中小企業の経営者とその息子たちがやっていた。これらの息子たちはほとんどバカ息子だったと言うことがよくわかる。バカぼんぼんで、週に二日も三日も平日までもゴルフをやっていた。本当に会社で仕事をしていたのかさえわからない。会社はおじいさん(祖父)がつくったから、大きな規模の商いだから、ちゃらちゃら仕事をするふりだけしてればそれでもよかった。仕事ができるふりだけをして、実際は売り上げも利益も出していない人たちがたくさんいたということだ。そういう会社はすべて潰れた。多くは騙されて潰された。

私は、「世の中のすべては騙(だま)しだ」という大論文をもうすぐ書く。

親父の会社がつぶれたときにいっしょに自滅したはずだから、このバカボンボン息子たちにしてみれば、若い頃にゴルフがたくさんできて楽しくてよかったなあというだけのことである。それが社会の真実であり実態なのである。バカボンボン息子が500万人ぐらいいたということと、これらが死に絶えたというか、もともと能力がないから、親父の資産がなくなったときに、しょぼんとして全国にちらばって今も生きているのだろうが、自分の身丈にあった、能力にあった仕事をしているはずだ。

この手の馬鹿ボンボンは、もう今のゴルフ場にはいない。これがいいことだ。 彼らの財産は一切合切ふきとばされて無一文のはずである。だから貧乏サラリーマンや貧乏学生と平等である。こういう真実がゴルフ場というところからよく見える。

私はもう52歳だから、人生の30台で、ちょうどバブル真っ盛りのピークを迎え、ゴルフ会員権相場の富士山が崩れてゆく形をずっと見て生きてきた人間だから、私は目撃証人(アイウイットネス eye witness ) として歴史の現場に立ち会っている。この30年を振りさけ見て、ながめた時に、これらのことは非常に重要なことだと私には分かる。最近、本当に遠くに富士山が見渡せるゴルフ場に何箇所か行って、私は、戦国時代の戦国大名の先駆者である北条早雲(ほうじょうそううん)の気持ちである。

私は北条早雲が大好きで、今も彼のことを調べている。西伊豆の韮山(にらやま)城から見た富士山が美しい。黒澤明(くろさわあきら)監督の「七人の侍」のモデルになったのは明らかに北条早雲である。伊勢の新九郎は、富士山にかかる雲が早く流れるのを見て「早雲」と改名したのだという。

 ここで話は何度でも元に戻って、だからこそ今こそ私たちは5千円でゴルフをやるのである。これらのゴルフ場には30年前に建てたままのおんぼろのままのクラブハウスがある。設備投資ができないからおんぼろのままである。それに較べて今でも会員権価格が2000万円もする名門と呼ばれるゴルフ場は、もともとお金をかけたクラブハウスだから立派で黒光りがしていい。それに引き換え経費をけちって建てたゴルフ場のクラブハススははっきりとボロな感じが丸見えに見える。行って見てよく分かる。そのゴルフ場の格というか構えというか、いつごろ出来たという問題とかも含めて非常によくわかる。ホテルなんかよりももっとよくわかる。

将来、日本の景気(経済)が立ち直っていくことがあれば、ゴルフ場もまた立ち直っていく。私の聞いた話では戦前に建てられたゴルフ場は、戦争中どうなったというと、全部芝生をひっぺがして畑になって芋とかを植えていたそうである。そして戦後にまたゴルフ場に戻した。これぐらいの大きな歴史の流れの中でゴルフ場を考えたい。

今あるゴルフ場も、潰れてしまえば、自然状態に放置されて、やがて最初2,3年ですすきの原っぱになって、その後、木が生えてそのまま元の雑木林(ぞうきばやし)に戻っていく。それを実際に九州地方の潰れたゴルフ場まで見学にいきたいと思っている。倒産してほったらかしにされるとどういう風になるものだろうか、というのを関東地方でもいいから車で見にいきたい。

このようにして、日本経済を俯瞰(ふかん)するためのフィールドワークとしてゴルフをやると日本社会が山の中のゴルフ場の角度から非常によく見えてくる。前述したように、ゴルフ場は不動産だから、土地、住宅、ビルの値段がどのように動くかまで、ゴルフ場から見ているとよく見えてくる。そして日本の経営者層、金持ち層がどのように崩れはてていったかの細かい分析も出来る。だから今から私たちは何十カ所、できたら何百ヶ所のゴルフ場まわりをして、手分けして点数つけたり観察記録をつけてここに公表できたらいいなと思う。

だから私は、貧乏ガキ集団である、わが学問道場は、今後はゴルフをやると決めた。そして先輩が後輩に教えていくという形の道場の伝統を作って行きたい。実は、私のゴルフのスコアは、なんと130ぐらいである。この130というスコアは、昔はグリーンに出てはいけないといわれたとんでもないスコアであり、まったく上手になることもなくこの歳になった。それなのに私は、私が先生だから、弟子たちに初回の手ほどきだけは私がやる。

よく考えてみると、私は、ゴルフを年に平均で4、5回しかできない。北関東から以北の雪が降るところはゴルフボールが見えなくなるら、12月から4月までゴルフができるわけがない。あと雨が降ると、特に激しい雨が降るといくらなんでもやりたくないから、梅雨の6月はだめである。だから、ゴルフができるのはいつですかというと5月、7月、8月、9月、10月、11月の6ヶ月ぐらいしかない。

月一回行くという人でも、よくよく考えたら年5、6回しかいけないではないか。毎週2回、で年に80回も行っていた人たちがいっぱいいたということは、彼らは、よっぽど仕事をしてなかったということだろう。あるいはゴルフ場が仕事場で、プレイの最中に、営業の仕事を取ったということだ。それも、アメリカが仕組んだ、日本の企業の会計の交際費全額課税という謀略で出来なくなった。この件ついても後日書く。

年に4,5回のゴルフいくらやってもうまくなるわけないし、私のスコアがひど悪いままであっても私は何ともなくて、恥ずかしがるほどのことでもない。ただマナーとルールだけはキチンとまもらなくてはいけない。タマが前にちゃんととぶだけでも一年かかると言われているのだが、タマが前にちゃんととべばそれでいい。

力みこんで、力が入って、OBをやったり右や左の山の中にうちこむみたいなことさえなくて、前にフェアウエーをキープする、真ん中に真ん中にころがしていくというこの構えが大事で、このフェアウエイをキープするという生き方を、弟子たちに教えていきたい。フェアウエイキープが人生で一番大事で、短距離をねらって一発逆転みたいなことをするやつは必ず失敗する。ラフから谷のほうに落ちていく。

真っ正面のフェアウエイをずっと力まないで自然なフォームにあわせてこつこつと真っ正面に転がしていく。その構えを教えるのにゴルフは非常にいいと私は思っている。小手先、手打ち、力みこむとか、こういうことを人生でやると結果的に失敗するというのを教えるのに、ゴルフは適している。

私、副島隆彦はくせ球ばかり投げる生来のひねくれ者だと思われているが、私はそういう人間ではない。 私は、いつも端正(たんせい)に、人の世のど真ん中の王道を歩んできた人間だと自分では思っている。曲がっているとしたら、私の方ではない。世の中の方が曲がっているのである。

それから、私は、ウサギと亀の生き方では、亀のように鈍重(どんじゅう)に、いつまでも黙々と、ひたすらにまっすぐおのれの信念に従って歩み続ける生き方をする人間だ。私が歩みをとめないで、歩き続けたら、いつの間にか、ウサギのような才気走った連中が途中で脱落していた。だから私は、いつも小刻みにフェアウエイをキープする生き方を大事にしている。危ない賭けの類はしない。

このように言う、私のスコアは130なのだから、このスコアではそれ自体がマナー違反だと昔なら言われた。私は、このスコアで、弟子たちにゴルフを教える。だから副島隆彦は凄いのである。根っからの教育者なのである。

ゴルフが向いている人は、手とクラブとボールまでの距離がしっかりわかっているから、どんどんうまくなる。だから2、3回も行けば、私よりもうまくなって、どんどん上達するする人は上達する。それでいいのだ。

そして私の最近の希望は、弟子たちだけでなく、自分と同じ人種の、これまでゴルフをする機会に恵まれず、元気な奥さんとテニスをしてきた、というような、インテリであるいは、左翼(反体制的な、朝日新聞読者のような)系の読書人階級の生き方をしてきた人たちをゴルフに誘いたいと思う。

自動車の運転免許さえ持っていないような、左翼あるいは、読書インテリや出版社の偏屈編集者のような人間たちにとってこそ、ゴルフ場はまったく新しい世界を知るきっかけとなる最適の場所である。誰からもゴルフの手ほどきを受けないで、50歳にもなった人たちを、私が救済しなくて一体他の誰がこういうことを思いつくだろうか。  (了)

副島隆彦拝


2005/06/11(Sat) No.01

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