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創業時から現場主義を徹底〜聯想集団・柳伝志〜11人スタートの新興メーカーが「巨象を飲んだ」〜 【齋藤浩一 】
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投稿者 愚民党 日時 2005 年 6 月 13 日 00:21:45: ogcGl0q1DMbpk
 

創業時から現場主義を徹底〜聯想集団・柳伝志
〜11人スタートの新興メーカーが「巨象を飲んだ」〜

2005/06/03(金) 12:45:

齋藤浩一


  「蛇が象を飲み込んだ」と言われる聯想(レノボ)集団のIBMのパソコン(PC)事業部買収。買収が発表された2004年12月8日まで、「中国企業の国際化」と言えば、海爾(ハイアール)やTCL、華為技術など特大企業を指すものだった。その壁を打ち破った聯想の創業者の柳伝志氏(1944−)。スタートは20平方メートル足らずの小さな建物だった。


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◆掘っ立て小屋で練ったビジネスモデル

  聯想集団の母体は、中国科学院計算研究所という政府系研究機関だ。会社組織としては、1984年11月、11人の研究者を引き連れて「中国のシリコンバレー」と呼ばれる北京市の中関村で「中国科学院計算研究所公司」を起業したのが始まりで、小さな部屋に机を寄せ合っての出発だった。

  資本金はわずか20万元。国産パソコンの製造を目指したものの、資金不足に悩み、創立当初は大手PCメーカーの代理販売を行うだけだったという。そこで柳は、「貿―工―技」という経営理念を確立。まず研究開発のための資金調達に躍起になり、国内で請負業を開始した。わずかな人材と資金をもとに、70万元の資金確保に成功。ちなみに、中国語の「貿易」は、商取引全般を指す。つまり、第1ステップの「貿」が完成したわけである。

  その当時、中国のパソコンは、中国語入力に悩まされていた。柳は、「貿」で得た資金を、計算技術研究所時代の同僚である倪光南らと共に、中国語入力システムの開発に充てた。すると、この画期的なシステムが好評を博し、その売上高は一気に7300万元に拡大。第2ステップの「工」が完成した。ちなみに、現在の楊元慶・CEOが聯想の一員となったのはこの頃(89年)だ。

  大手メーカーの代理販売から得たノウハウをもとに、聯想は1990年に聯想ブランドのPCの製造と販売を開始。販売実績はわずか2000台だったが、「ニーズは市場に聞け」という、当時の中国社会ではおおよそ受け入れられなかった営業戦略を徹底し、96年には中国市場でシェア占有率第1位となった。知力と体力を「貿」と「工」につぎ込んだ結果が、トータルな「技術」として結晶。こうして、設立から十余年で、聯想は「貿−工−技」という目標を達成したのである。

◆最大の壁は伝統的商習慣の打破

  89年、陳恵湘という社員が聯想に入社した。折りしも北京展覧館で産業博覧会が開かれていたので、陳は担当として博覧会に参加。毎日、大型注文の報告をし、非常に自慢げだったという。しかし、柳は数字があまりに大きいことに疑問を持ち、翌日から現場視察に出かけた。その結果、いわゆる大型注文は、あくまで意向書に過ぎないことが発覚したのである。

  その後柳は、社内大会において陳を厳しく批判した。だが、多くのスタッフは、柳がなぜそこまでこの一件にこだわったかを理解できなかったという。他社で良しとされることがなぜ聯想では悪いとされるのかが分からなかった。当時の中国では、政治でも経済でも、報告される数字で業績を判断する傾向が強く、水増し報告は日常茶飯事。時としてそれが評価につながる社会だった。

  ワンマンと言われる柳だが、こういった行為を頭ごなしに否定することはしなかった。むしろ、その弊害を説き、困難な概念の変革を試みたのだ。こういった柳の「現実性、誠心性、穏健性」という性格は、聯想のDNAとなって受け継がれている。中国で最も情報公開の進んだと言われる聯想の董事会を築き上げたのは、柳のゆるぎない信念だった。

  柳はよく、企業文化の構築を家の建築に例える。屋根は企業の核心となる競争力、壁は管理能力、地盤は体制の風土だ。「聯想の屋根が劣っていることは認めるが、地盤は劣るどころかむしろ優れている」というのが柳の見方だ。

  ちなみに、大勢の前で面子を潰された陳は数年後聯想を辞職し、柳の訓告を「聯想のなぜ」という本にまとめ上げた。聯想が急成長を遂げる秘訣を、自らの経験をもとに語り、注目を集めた。中国企業の競争について総合的な分析を行った著書「中国企業批判」も、柳のビジネスモデルが根底にある。

◆全幅の信頼を楊元慶に託す

  柳は01年、CEO(最高経営責任者)の座を、当時36歳の楊元慶に譲る。「中国が強い国になるためには、有名なグローバルな会社が必要で、聯想もそのうちの1社になる」という、みずからの理想を楊に託したのだ。

  楊元慶をCEOに任命したことについては、賛否両論がおこった。幹部の中には、「楊元慶に信頼を置きすぎだ。これまでの秩序が乱されている」と声を荒くする者もいた。

  しかし柳は、「楊元慶の降任は一度も考えたことがない」と明言する。「優秀な人材とは、出会うことはできても求めることはできないものだ」が持論。経営者としての楊元慶を、「企業利益を第一に考え、向上心が強く、学習能力も高い」と高く評価する。ここでも柳の「一徹」ぶりは、いかんなく発揮されている。

  2005年5月1日、聯想とIBMは予定より早く買収手続きの完了を発表し、ニューヨーク州パーチェスに本社を置く新「聯想」が誕生。デルとHPに次ぐ世界第3位のPCメーカーとなった。

  買収完了を機に柳は第一線を退き、非常勤取締役となった。会長には楊元慶氏、社長兼CEO(最高経営責任者)には、ステファン・ワード氏を起用。「企業は人なり」という信念を企業風土として定着させた柳は、20年前に夢見た「聯想の国際化」を見守っている。

※中国の企業家をご紹介する記事として、次回は「風雲児が創る『中国人の車』〜吉利集団・李書福」を6月10日に掲載する予定です。ご期待ください。




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