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4月20日(水)
労働運動の弱体化による経営者の劣化?
企業不祥事について書いているうちに、また新たな不祥事が発生しました。セガが運営するお台場の「東京ジョイポリス」での転落死事故です。正規のマニュアルの他に「裏マニュアル」があったといいますから、係員の不注意では済まされません。
これも含めて、ちょっと調べてみたら、出てくること出てくること。これまで書いてきた不祥事について、改めて、登場順に会社名を列挙しておきましょう。
カネボウ、三菱自動車、三菱ふそう、フジチク、ハンナン、UFJ銀行、日本航空(JAL)、関西電力、中部電力、大昭和製紙、西武鉄道、コクド、三菱地所、三菱マテリアル、JFEスチール、シティバンク、明治安田生命、みずほ銀行、三井物産、NHK、日本経済新聞、日本テレビ、読売新聞、朝日新聞、武富士、そごう、森ビル、トヨタ、そしてセガ。
おそらく、これ以外にもあるでしょう。ここに出した事例は、全てその名が良く知られた企業や企業グループのスキャンダルや不祥事です。
このような企業不祥事の多発を、経営者団体としても放ってはおけなかったのでしょう。昨年の5月に、日本経団連は「企業行動憲章」を改定し、序文で「近年、市民社会の成熟化に伴い、商品の選別や企業の評価に際して『企業の社会的責任(CSR: Corporate Social Responsibility)』への取り組みに注目する人々が増えている」との文章を加えました。
しかし、すでに見たように、その後も不祥事がなくなる気配はありません。これを書いている最中にも、不祥事の報道があったくらいですから……。
企業による不正や不祥事が生ずる背景や構造的要因についての突っ込んだ解明と防止策が必要になっているのではないでしょうか。経営者団体も一遍の文書に書くだけでなく、もっと真剣に再発防止に取り組むべきでしょう。
これだけ数が多いということは、一部の不心得者がたまたま不正をしたというレベルのものではいということを示唆しています。何らかの共通する背景や構造的な要因があるのかもしれません。
私の仮説は、労働運動の弱体化が企業経営者の劣化を招いたのではないかというものです。労働組合は、企業の内部から経営を監視し、不祥事の発生を未然に防ぐという役割があります。
何か問題を起こしそうになれば、すかさず労働組合によって追及されるという緊張感が、個々の経営者の資質にかかわらず健全な企業運営を担保する力になっていたのではないでしょうか。
ところが、労働組合があまりにも物わかり良くなりすぎ、企業内労働組合からの内部昇進で組合の幹部が経営者になるという例も多く生じました。いきおい、労働組合の監視が弱くなり、発言力が低下し、労使間の緊張関係も薄弱になっていきます。
その結果、経営者の驕りと専断、放漫経営や不正が横行するようになってきたのではないでしょうか。労働組合の力の弱まりが経営者のモラルハザードを招いたように思われます。
野党の力が弱まると与党も劣化するという政治の世界と同様の現象が、産業社会にも生じたということでしょうか。日本の経営者は、労働組合の力を弱めるという点で大きな「成功」を収めましたが、今から振り返ってみると、「成功は失敗の元」だったのかもしれません。
また、これらの企業不祥事のリストを見ると、その数の多さもさることながら、悪質さにも驚かされます。嘘をつく、騙す、事実を隠す、ごまかす、言い逃れる、抜け道を探すなど、あくどさが目立ちます。
これほど市民的常識に欠け、人間性にも疑問のある人々が、企業のトップや幹部として責任ある地位を任されていたという事実に驚かされます。なかには、責任を部下に押しつけたり、地位に恋々としたり、公私混同したり、私腹を肥やしたりという例も少なくありません。
「こんな人がトップなら、こんな事件が起きても当たり前だ」と言いたくなりますが、それでは済まない問題があります。これらの人々は企業でも責任ある地位に付いていただけでなく、政治的社会的にもエリートとして指導的地位に置かれていたからです。
これらの代表的企業の経営者は、日本経団連という財界団体を通じて間接的に、あるいは様々な諮問機関や審議会のメンバーとして直接的に、日本の公共政策の形成に大きな影響力を行使しています。その人々に必ずしも信頼が置けないというのでは困ります。
しかも、「官」から「民」へというのが時代の趨勢であり、この場合の「民」は民間の企業経営者を指す場合が多いのが実状です。官僚に任せておくより、民間の経営者に任せておく方がましだという考え方も根強くあります。
それで大丈夫なのでしょうか。「民」は、それほどに信用がおけるのでしょうか。
これまでも、政治家や官僚の不正、不祥事にはマスコミなども注目してきました。しかし、民間の企業や経営者の不祥事については、十分注目されてこなかったように思われます。
もちろん、個々の事件として報道されるとことはありました。しかし、その全体像や、そのことの持つ意味について、どれほど真剣な検討がなされたでしょうか。
日本を代表する企業や経営者が、次々とこのような問題を引き起こしている現実は、日本社会の変質と先行きの危うさを象徴的に示しているように思われます。これらの人々は日本のエリートですが、これらのエリートを信用してはならない、経済や政治を委ねてはならないということなのかもしれません。
民主主義とは、自らの運命を他に委ねず、自ら選択し、決定することでもあります。市民一人一人が「自分の足」で立ち、エリートを監視し、過ちを防ぎ、あるいは是正していくことが、今ほど必要になっているときはないということになるでしょう。