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太古の昔からユートピアは「乳と蜜の流れる里」と表現されていた。また紀元前400年前後のギリシャの医学者、ヒポクラテスは「乳はもっとも完全に近い食物である」と述べた。日本でも1000年も昔に乳製品(蘇)と蜜が朝廷や貴族への貢納品となっていた。
その牛乳が、今ではスーパーの目玉商品として客引きのため利益度外視で販売されている。価値を価格で表現するとすれば、価値の低い商品とされている現状である。缶ジュースや自然水より安い牛乳は生産者のプライドをずたずたに傷つけている。
乳脂肪の多少で決められる牛乳の価値
日本の酪農は1961年(昭和36年)に制定された「農業基本法」によって「選択的拡大作物(※1)」に選定され、政策的に急激に拡大され大量生産への道を突き進んだ。併せて大都市への遠距離輸送によるコスト削減のためと需給バランスの調整を名目に、農協へ「全量無条件委託販(※2)」という契約を結び、日本の牛乳は政府介在の元にほとんど全てが農協に集荷された。そして牛乳の価値基準は全て農協で決められた。コスト削減のために大量生産が奨励され小規模酪農は切り捨てられ、酪農の大親模化=工業化が進んだ。
取引基準は、主に乳脂肪の多少で決められた。そのため四季を問わず一定の基準を求められ、より自然な飼い方をしていた放牧酪農家はどうしても四季の変化で牛乳の成分も変わるので常に低乳価に苦しめられ、舎飼いの工業的酪農に移行するか経営を放棄するかの岐路に立たされた。販売先が1つしかないという大きな弊害がここに露呈したにも関わらず、農協も仲間の酪農家もこのことを無視しつづけ日本の放牧酪農はほぼ壊滅した。
配合飼料が急激に普及したわけ
この農協の取引基準は、食の安全性の問題や牛の健康などは結果的に無視し、消費者には大きな不信感を与えることになった。輸入穀物飼料を主原料とする配合飼料の急激な普及も、大量生産と成分取引(乳脂肪)の時期と同じである。この配合飼料は1頭あたりの産乳量の急激な増加を可能としたが、放牧を否定し、牛を短命化させた大きな要素にもなっている。ポストハーベスト農薬、酸化防止剤は当初から混入していたし、最近は遺伝子組み換え作物の混入も報じられている。
この配合飼料の原料となっているトウモロコシを中心とした穀物は、アメリカの大きな輸出産業である。時として余剰穀物とも表現されている。日本の高度経済成長は工業製品をアメリカに輸出することによって可能となった。その見返りとして、アメリカの余剰穀物を半ば強制的に処理するために日本の酪農をはじめとする畜産があったという見方もある。
これは日本の政治、経済そのものが大きく関わったこととなる。工業製品で外貨を稼ぐ日本経済の犠牲になったのは何も酪農だけではないが、農業を犠牲にする日本の政治、経済の出先機関として存在した農協に全量無条件委託販売という契約をせざるをえなかった酪農家にはことのほか無念であった。そして今なおその契約に縛られているのが日本の牛乳、酪農の現状である。 (つづく)
※1 選択的拡大作物:需要が増加する農産物の生産の増進、需要が減少する農産物の生産を転換、海外と競争関係にある農産物の生産の合理化など、国が重点的に生産をおし進めた作物のこと。北海道では畜産物、高原ではキャベツ・レタスなど、地域の条件に即して農業生産が進められた。
※2 全量無条件委託販:酪農家が搾った生乳は、全量を農協(指定生産者団体)に出荷し、そこで製造することを余儀なくされた。指定生産者団体に出荷しない者は、−般にアウトサイダーと呼ばれた。
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