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東奥日報 http://www.toonippo.co.jp/
84年以前、奥尻に再処理工場計画
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2006/0529/nto0529_6.asp
電気事業連合会が一九八四年に青森県に再処理工場立地を要請する直前まで、事業主体の日本原燃サービス(日本原燃の前身)が北海道・奥尻島(奥尻町)への再処理工場立地に向けて水面下で交渉を進め、立地がほぼ固まっていたことが二十八日までに分かった。本紙の取材に対し、日本原子力産業会議副会長だった森一久氏(80)が証言した。しかし、八三年四月の北海道知事選で、大方の予想を覆して革新系の横路孝弘氏(現・衆院議員)が初当選したため、奥尻島への立地を断念し、青森県内への立地に切り替えたという。
奥尻町の当時の上埜賢(うえの・まさる)町長が原産会議(現・日本原子力産業協会)を訪れ、再処理工場の誘致を打診したのは七四年ごろのことだという。これを受け、原産会議は現地調査のため、奥尻島に職員を派遣するとともに、電事連の再処理会社設立事務室で立地関係の取りまとめ役だった小林健三郎・東京電力常務(八〇年から日本原燃サービス副社長、社長を歴任)に上埜町長を紹介した。
その後、上埜氏は再処理工場の誘致活動に専念するため、七五年に町長職を後輩に禅譲。商工会と連携して、商工会や漁協、婦人会などから数百人を東海村の視察に送り出すなどして町民の合意形成を進めたという。
小林氏は観光客を装うなどして奥尻島を何度も非公式訪問し、再処理工場の配置図まで作成。日本原燃サービスは、奥尻島を最優先の候補地と評価していたという。
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もし奥尻のまま計画が進んでいたら、あの地震で島が壊滅したときどうなっていたのだろうか。
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