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(回答先: 貝原浩さんの絵にリンク 投稿者 シジミ 日時 2005 年 7 月 08 日 04:35:57)
以下の文章はaalaというオンラインマガジンからの転載です。
1998年に天野恵一氏の文章をふまえて書かれた貝原浩氏の絵が『週刊金曜日』により掲載を拒否されたことがあり、それに対する天野・貝原両氏の抗議文です。また後半には本多勝一社長からの貝原氏への手紙もあります。
(aalaは「転載自由」を謳っていますので、全文転載します。)
『週刊金曜日』への抗議と要請
http://www.shonan.ne.jp/~kuri/aala/aala_1.html#anchor403122
天野恵一の文章をふまえて書かれた貝原浩のイラストがボツになった事(11月14日号の「『天皇行事』のオリンピック 象徴天皇は“国家元首”か?」)に抗議します。
この件が発生した時、こういう事態がつくりだされるのは、天皇(制)批判の表現を、「不敬」であるとして暴力的に脅迫したり、その表現者やそれを掲載したメディアの関係者を殺傷することまでする人間やグループが現に存在するためであることを忘れずに対処したい、私たちはそう考えました。
本当に対決すべき相手を忘れて、不必要にハネあがったメディア批判などすることはひかえたいと思ったのです。それは、現在、マスメディアのまるごとの保守化=体制化がさらに強まる中で、個々の主張に大いに批判的なものがあったとしても、権力や大資本の動きを批判する民衆の運動や論理が、それなりに反映する貴重な週刊誌であると、『金曜日』について私たちは考えていたからでもあります。その気持は、いまでも変わりません。
この事を最初にことわっておきます。
雑誌発刊直後、貝原が自分のイラストがボツになった件を天野に知らせ、両者で相談して、その時点で製作していた反天皇制運動連絡会のニュース(『反天皇制運動じゃ〜なる』4号・11月18日号)にそのボツになったイラストを載せることを決めました(もちろん天野もメンバーのニュース編集部の了解の下に)。なにが隠される結果になったかを明らかにしておくことは、奇妙なタブーを強めないためには最低限必要だからです。
その後、貝原あてに、本多勝一(社長)さんの個人名で送られてきた11月15日付の文章には、正直、私たちはガッカリさせられました。ボツにした理由に、まったく納得がいかないのです。
二人で、どうしようかと相談しつつ、担当編集者に、ボツになった経過を知らせていただきました。
社長名で貝原に送られてきた文章は、個人の形式で出したが公的なものであると役員会の人は位置づけているということを担当編集者を通して確認しました。そして、『金曜日』の定期購読者である「反天連」事務局メンバーに、『金曜日』編集部から、その文章が事情説明のために送られてきたということもありました。それ以前に社員会議で確認されたものであることも、担当編集者から聞いていました。
そこで、この主張は『金曜日』の公的見解として受けとめ、これに公的に反論することにしました。
まず「大前提」の主張について一言。「天皇個人のプライバシー侵害や侮辱(名誉毀損)に類することは、一般人の場合と同じくやるべきではない」。今回のイラストは、プライバシーにはふれないが、「侮辱あるいは『事実に反する』おそれがある」。この主張です。
天皇は、一つの身体がそしてそのふるまいが国家と「国民統合」を象徴する(公的)存在です。ですから、こういう人物とその一族(世襲という血の論理に支えられた制度ですから天皇個人にとどまりません)は、一般庶民と同じプライバシーを持っていると考えるわけにはいかないと思います。例えば、雅子と皇太子の間に子供ができないということは、象徴天皇制国家にとっては、二人の個人的な問題などではなく、公的な(例えば皇室典範をどうするといった)問題です。ですから、二人のセックスは公務というしかないのです。天皇や皇族を、庶民の公私の区別の基準で扱うわけにはいかないのです。象徴天皇制というのは、そういうおかしな制度です。「侮辱」についても同じです。
こういう判断こそ「大前提」にならなければならない。私たちは、そう考えます。
「事実に反する」という点については、問題にされている点にそって、具体的に答えたいと思います。
まず、(1)の「元首」でないのに「元首アキヒト」というイラストの中の文章はおかしい、という点について。天野は、アキヒト天皇が事実上、元首としてふるまっていることを問題として論じており、それに対応しているわけですから、そうイラストで主張することは、おかしくないはずです。
(2)のイラストの中でアキヒトが「ファシズムは繰り返す」という言葉があるのは、そんな事実はありえようもないからおかしい、という点について。このセリフは、事実としてあったこと、あることを示そうとしているわけではありません。ヒットラー、ヒロヒト、アキヒトがオリンピック名誉総裁の席につく点を、天野が論文で問題にしている点と対応する表現です。その事実を揶揄するためのセリフですから、事実として、そう言っている必要はないのです。
ただし、(1)と(2)の問題については、読者に誤解をおこさせるのではないかという不安が出ること自体は、それなりに根拠があると思います。そういうことであれば、貝原と相談して言葉を修正するなりすればよかったはずです(最初は担当編集者はそうすべく動いたのではないですか)。
(3)の点について。ことさらアキヒトを「貧弱な体」に「貧相な顔」に描いたとも、描かれているとも私たちは感じません(そうであってもよいのです)が、なんで、このパロディ表現を『金曜日』が、許されない「ブジョク」などといって問題視するのか理解できません。
(4)の軍旗をマワシにしている点も、当人にその気が全くない以上、『先祖還り』を証明できなければ「侮辱」という主張について。(2)にも「もともとアキヒト氏はどちらかというと平和主義者で、右翼もその点で困っていると聞きます」という主張もありますが、どうして『金曜日』は、天皇ヒロヒトは平和主義者で軍部のリーダーに引きずられただけだ(戦争責任はない)という戦後の支配者のつくった神話とセットでマスメディアによって流布された、平和教育をうけた平和主義者アキヒトという神話を、そのまま信じているかのごとき主張をするのでしょうか。今、日本は、「ガイドライン安保」にそって、具体的に戦争遂行可能な国家への大転換をいそいでいる軍事大国です。アキヒト天皇は、その象徴として「皇室外交」などの活動をしているのです。平和主義的になんて生きていません。もちろん、たいへんな軍国主義者も「平和は大切」という一般論は主張します。そういう軍国主義者もその点で「平和主義者」だというなら、アキヒトもそうだといえるにすぎません。
(5)の貴乃花にも侮辱という点。貴乃花がイラストを見て、なんの関心も示さないか、苦笑いするか、侮辱と思うかは、よくわかりません。しかし、彼の土俵入りを揶揄することが許されないとは、私たちはまったく考えません。
(6)のヒロヒト天皇が息子であるアキヒトの太刀持ちをしている事と(7)のヒロヒトが菊の紋章をマワシにしている事が「右翼だのからすれば侮辱」という点。
それは、そうでしょう。「右翼だのからすれば」、天皇をパロディ漫画で描くこと自体がまるごと「不敬」(侮辱)ということになるでしょう。しかし、私たちにとって、それがなんで問題なのですか。
(8)の「堂々とした論理的展開であれば、いくら右翼が怒ろうと問題で」なく、問題は感覚やイメージに訴えるイラストによる「ブジョク」だという点。
パロディをねらったイラストが、素材となった人物を「ブジョク」する描き方になることは、ある程度いたしかたないことです。『金曜日』のこの論理を前提にすれば、天皇パロディ漫画など、すべて許されないことになってしまうではないですか。
だいたい、『金曜日』の連載漫画でも、人間をコウモリ扱いした漫画が描かれていたはずです。そういう事実をふまえれば、実は、例えば江藤淳は「ブジョク」していいが天皇はダメだという主張を、ここでしていると、私たちは解釈せざるをえなくなってしまいます。
本多勝一さんは1971年に出されたアンケートを集めた本(『我々にとって天皇とは何か』〈エール出版〉)で、天皇ヒロヒトについて、南米の「勝ち組」の「日系人たちに飼ってもらったら?」と答えています。これは「右翼だの」でなくても侮辱と思える発言です(動物扱いですから)。私たちは、それが「堂々とした論理的展開」であるか否かはともかく、そうした発言が、そして天皇(皇室)パロディといえるイラストが、許されないなどと、なぜ『金曜日』が考えるのか理解できません。
(8)以降、書かれている事は、それなりに理解できないわけではもちろんありません。しかし、貝原のイラストは『金曜日』編集部の依頼で描かれたのであり、貝原が日常的に描いている天皇パロディで、なにも特別なものではない点を考えれば、問題は編集部の判断の方にあるというしかありません(もちろん、自主規制を薦めているわけではないのですが)。それが「冒険」や「はねあがり」などという判断は、とりあえずそちらの勝手でしょうが、こちらがとやかくいわれることではないはずです。
私たちは、大きかろうが、小さかろうが、どのような企業体にもガードされることなく、裸の個人として天皇(制)批判を書き続けてきているのです。
以上の点をふまえ、私たちは今回のボツが「天皇制」タブーの拡大に加担する結果となっていると判断し、イラストをボツにしたことに強く抗議します。
そして、問題のイラストと本多社長名で出された文章と、この文章を、まとめて『金曜日』に掲載するよう、要請します。
多くの読者に判断してもらいたいからです。読者に何があったかを知ってもらい、論議してもらいたいからです。読者とともにつくる「市民運動のメディア」にふさわしい対応は、それしかないと思うからです。
天野恵一 貝原 浩
一九九七年十二月十九日
(『反天皇制運動じゃ〜なる』6号、'98.1.13より)
【参考資料】貝原浩さんへの本多勝一氏の手紙
貝原浩様
本多勝一
このたびはご労作のイラストをいただきながら、役員会でボツと決定せざるをえず、申し訳ありませんでした。これは代表取締役社長としての私に責任があることですから、私の方からご説明してご寛怒をお願い申しあげる次第であります。
役員会で検討したさい、私を含めて「ボツ」としたい意見と、修正をおねがいした上で掲載してはとの意見とに割れました。結局、私が代表としての決断をしたわけですが、そこで出た意見も一部に含めつつ、以下にボツの理由をご説明いたします。
まず大前提として、私の持論は、天皇(および天皇制)批判はいくらでもきびしくやるべきですが、天皇個人のプライバシー侵害や侮辱(名誉棄損)に類することは、一般人の場合と同じくやるべきではない、とするものです。
そこで今回のイラストですが、プライバシーにはたぶんふれないでしょう。しかし侮辱あるいは「事実に反する」おそれはかなりあると思います。いくつか挙げてみましょう。
(1)現在の天皇(昭和天皇にあらず)は「元首」ではないので「元首アキヒト」とは言えないのではないか。
(2)そのアキヒトが「ファシズムは繰り返す」と直接引用されているような言葉を語った事実はない。またオリンピックでそれを世界に宣するはずもない。(もともとアキヒト氏はどちらかというと平和主義者で、右翼もその点で困っていると聞きます。)
(3)アキヒトがハダカになって、しかも貧弱な体つきで、そのうえ軍旗をマワシにしている。これはどうもブジョクと言えるのではないか。長野の冬季オリンピックに横綱・貴の花が出ることがわかっている人にはあるていど理解されましょうが、知らない人にはなぜ裸なのかわからない。(私はこの時点まで知りませんでした。)貧相に描かれた顔が、貧相なハダカに乗っていてはブジョクになりましょう。
(4)ここで軍旗をマワシにすることも、いくら象徴とはいえ、当人にその気が全くない以上、「先祖環り」を証明することができなければ侮辱となりましょう。
(5)貴の花の土俵入りをもじったとしますと、この格好は貴の花に対してもブジョクになると思います。(もし私が彼だったら非常に不快に感ずるでしょう。)
(6)昭和天皇は明白な戦犯ですが、その「アキヒトの父親」が太刀持ちをしています。つまり息子の下に仕える格好です。これも右翼からみれば侮辱でしょう。
(7)その昭和天皇が菊の紋章をマワシにしている。この点もアキヒト氏だの右翼だのからすれば侮辱とうつるでしょう。
(8)「右翼からみれば」と述べましたが、堂々とした論理的展開であれば、いくら右翼が怒ろうと問題ではありません。問題はブジョクになるかどうかにあります。イラストの場合、論理よりも感覚やイメージに訴える関係上、どうしてもその点が対抗しにくくなるわけで、たとえば朝日新聞社が右翼に襲われたときも、動機はイラストによる侮辱にあったのです。
そして、これは非常に重要な点ですが、『朝日』のような大マスコミの場合は、右翼が襲ってきても警戒さえしておればかんたんには危害を加えることができません。しかし本誌はどうでしょう。自社のビルでもなければ守衛がいるわけでもなし、全くの素手であり、ハダカ同然です。
私はこれまで、おそらく日本人の中でも最もきびしく天皇制を批判してきた一人です。昭和天皇にも侮辱に近い言説を述べました。それが、日本軍の侵略(南京大虐殺その他)を詳細にルポにしたこととあいまって、たとえば『朝日』の記者が数年前に襲われて殺されたとき(阪神支局)など、右翼は機関誌で「殺すならなぜ本多をやらないのか」などと書き、それをまた週刊誌が拡大して書いたりしています。これまで私が襲われなかったのは、右翼のテロが迫っているのを悟って以来、あらゆる可能な手段により身を護る手段を講じてきたからでしょう。そして『朝日』の中にいれば、やはり何段階にも守られていました。しかし本誌となるとそうはいきません。そして全くのミニコミならともかく、本誌がすでに一定の社会的影響力をもつに至っている以上、極右もこれを無視しえないでしょう。
そんなハダカ同然の脆弱な本誌の職場ですが、天皇制批判をやるときは正面から堂々とやります。覚悟を決めてのことです。しかしその場合も、プライバシー暴露や侮辱はしないでしょう。まして今回の場合、そんな正面からの天皇制批判ではなく、オリンピック批判の中の一コマにすぎません。したがって本誌の真意ではないイラストだけのために危険を招き、本誌発行の危機や社員の生命の危険を招くことは、やはり避けたいのであります。そんな危険を冒してまで私の持論に反するイラストを掲載する意味が、今回の場合は認められないと判断し、最終的には私の責任でボツにせざるをえませんでした。現状のようにまだ脆弱な本誌と職場環境では、自己の体力を無視した「冒険」や「はねあがり」により本丸をつぶすことは、何としても避けなければなりません。
以上の点、なにとぞご理解の上、今後とも協力のほど伏してお願い申し上げる次第であります。(当方の事情でボツにさせていただいた以上、規定の原稿料はもちろんお支払い致します。)もしさらにご説明をお望みでしたらば、直接お会いしてご理解をお願いするのもやぶさかではございません。私は今カンヅメ執筆で信州にいますので、とりいそぎまずはお便りでご説明申し上げました。
1997年11月15日 拝具
(『反天皇制運動じゃ〜なる』6号、'98.1.13より)
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