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原発反対23年 山口・祝島ルポ
『死んでも海を守らな』
畑で野菜、海で魚が捕れる離島の暮らし。海の向こうに見えるのが建設予定地=祝島で
二十年余にわたり、一貫して原発建設に反対し続けている島がある。山口県上関(かみのせき)町の祝島(いわいしま)だ。海を挟んで、島の目の前に中国電力が上関原発を計画している。多くの場合、地域の反対の声は、電力会社や国の巨額の「原発マネー」によって封じ込められてきた。それらを拒否し、独自の道を歩む島を訪ねた。 (早川由紀美)
二十七日午後七時、祝島漁協の前に「原発絶対反対」のはちまきを巻いた、百人を超える島人が集まった。島では、原発反対のデモを原則、毎週月曜日にしている。二十三年間続き、二週間前に、ちょうど九百回を数えたばかりだ。「祝島は海がなかったら何のとりえもない。死んでも海守らな」と参加者の一人、農業山本茂一さん(79)は言う。
■漁船50隻で調査に抗議
今月二十四日から建設予定地近くの海域で、国への原子炉設置許可申請に必要な詳細調査が始まっている。祝島漁協の漁船五十隻がボーリング用の台船を取り囲んだり、台船に乗り込んで抗議したため、開始は予定より三日遅れた。
島の人口は約六百人。六十歳以上が八割近くを占める。「反対運動は高齢化に配慮しながらやっている。長期戦だから無理はできない。デモも最初は雨が降ろうが槍(やり)が降ろうが毎週だったが、最近は雨や暑すぎるときは中止している。抗議行動を三日で打ち切ったのも、そういう事情からだ。次の日は体にがたがきて皆シーンとしとった」。祝島漁協の山戸貞夫組合長は説明する。
高齢者が多いため、葬式も多い。「デモは通夜と重なれば中止するが、何で月曜ばかりと思うぐらい重なるときもある。海上での抗議活動の四日の間に漁協関係の元役員などの葬儀が二つもあった。近親者は抗議活動に、うちらは葬式に出られなかった」
「政党や政治活動とは関係ないため、地元が分裂することもなく、その代わり全国的に知られることもなかった」という反対運動は、原発建設計画が表面化した後まもなく始まった。
一九八二年六月、当時の町長が「町民の合意があれば誘致してもよい」と表明。その少し前から、島の旅館にも中国電力関係者が泊まり込み、漁協や商工会、婦人団体などに原発視察への誘いが相次いだ。「私は行ってないが、行った人からは『きれいだから余計信用できん』と聞いた。原発で作業しとった人の話を聞いても、裏で何があるか分からん」(自営業女性)。島には、ミカン栽培の不振などで、原発の下請け会社作業員として働いた経験を持つ人が二十人ほどいたため、原発への拒否反応や不信感も強かったという。
もう一つ大きいのは被爆者の存在だ。「山口県は、広島、長崎に次いで被爆者が多い。広島から島にたどり着いた後、亡くなった人もいた」(山戸組合長)
■『一番の宝、子や孫の笑顔』
島で農業を営む酒井キヨ子さん(80)は戦時中、広島陸軍被服支廠(しょう)で働いていた。原爆投下の当日は島に帰っていたが、翌日、焼け野原となった広島に戻った。「何か透明で茶色くなったキューピーさんそっくりのものが道ばたに転がっていて、よく見ると赤ちゃんの遺体だった。被服廠の倉庫に被爆者の看護に行った。『看護婦さん何とかしてえ』と叫ぶ女性の声や、遺体を焼くにおいが、九月に島に帰ってからもしばらく消えなかった」
以前は原発反対デモに参加していた。「原爆と原発はつながっているから。でもこの五、六年は体調を崩してデモには行けなくなった。島の人は反対で固まってるけど、(建設予定地の)四代地区で、反対してくれているおばあさんたちも皆年取って入院したりしてるから…。こないだも行って励ましてきた」
■公共事業停止嫌がらせ10年
九割が反対派という島は、上関町には厄介な存在だったようだ。計画浮上後、当時の町長が何度か島を訪れようとしたが、そのたび上陸を拒否された。「それから十年ぐらいは公共事業が一切、なかった。町は県に、鬼か蛇が出る島のように説明していたようだ。当時の知事が、さすがにおかしいと思って県職員を派遣し、鬼も蛇も出ないことを確認した。それから県と島とで公共事業をやるようになった」(山戸組合長)
同町は、柳井市、田布施町など近隣市町との合併協議から離脱した。固定資産税や交付金など数百億円に上るとみられる原発財源を、合併後も自らの地域内で使いたいと主張したためだ。原発反対派の清水敏保町議は「(原発誘致をせず)合併という選択もあるだろうと町に詰め寄ったが、原発は国策と繰り返すばかり。一時的な財源で大きな箱モノを造っても、後の維持費もいるのだが」と憤る。
■漁業補償5億4000万円にもそっぽ
「上関町の人口は約四千百人。田布施町は四倍の人口だが議員定数を削減し、うちと一緒の一四だ。反原発の議員団は定数削減の動議を出したが、多数決で否決された。原発ができたら人口も、財源も増えるから問題ないという考えだ」
二〇〇〇年には中国電力と関係漁協との間で漁業補償契約が結ばれた。「百二十五億円余で、半分を契約時に払い、残りは埋め立て申請時ということだった。配分を決める会議にも参加していないが、(祝島漁協にも)五億四千万円ぐらい振り込まれたので送り返した。行き先をなくした金は法務局が預かったままになっている」(山戸組合長)
本業の漁業は厳しい状況が続いている。祝島漁協の主力はタイだ。「官官接待などがなくなって、それまでいい魚なら値段は問わないと言っていた料亭が、上限を設けるようになった」(同)。島では無農薬でもビワが育つため、ビワの葉なども特産品として漁協が販売している。
「アメ」に飛びつかぬ理由を、山戸組合長は「この島はお金のかからん島なんね」と飄々(ひょうひょう)と説明する。目の前に魚の捕れる海があり、家の合間には小さな畑がある。
「夫婦で年金もらったら、無理せんで生活できる。補償金もらった地域の人が、子どもに持っていかれたりして生活崩れるのも見ている。年寄りは利益なんか関係ない。盆や正月に子どもや孫が帰って来るのが一番の楽しみ。目の前に原発ができたら遊びに来るだろうか」
◇メモ <上関原発計画>
出力137・3万キロワットの改良沸騰水型軽水炉2基を建設する。1988年、上関町が中国電力に正式に誘致を申し入れた。中国電力は96年、山口県や上関町などに建設申し入れ。2001年、国の電源開発基本計画に組み入れられた。炉心予定地の山林の一部を神社が所有し、宮司が売却に反対したが、03年、神社本庁が宮司を解任。翌年、売買契約が結ばれた。一方で、炉心予定地を含む共有地の入会権をめぐる訴訟などは続き、着工、完成予定は延期を重ねている。1号機は09年度着工、14年度完成、2号機は12年度着工、17年度完成予定。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050628/mng_____tokuho__000.shtml
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