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さて、引き続き、行政改革の話題である。
現在の行政改革、とりわけ地方自治体の行政改革の理念的支柱は、「新しい公共空間の形成」という考え方である。
http://www.soumu.go.jp/iken/kenkyu/pdf/050415_2_k02.pdf
簡単にいえば、民間事業者やNPOの信頼性が高まっているから、それに依拠して、サービス・業務を削減しようという方向を主に、一方では情報提供を充実して、市民中心の民主的行政運営をしようという、地方分権の新たな方向性としての行政改革である。
もっとも、それと平行して三位一体改革によって、地方の財源は削られているのだから、何のことはない、どんなにがんばったところで、それは国の途方もない赤字の穴埋めに地方自治体やNPO・一般市民が協力する結果となるものと思われる。
また、これまでの行政分野に参入し、あるいはサービス低下の代替として想定されている、民間事業者とNPO・ボランティアが同列に置かれている。
このことは、民間事業者にたいしてだけではなく、庶民に対しても「自分でできることは自分で」、「地域でできることは地域で」という意味あいを包括的に「民間でできることは民間で」と表現してしまっていることを意味する。
財政難の状況を打開するのに、庶民の公益心に依拠しようとするのはわかる。しかし、民間事業者は、あくまで私益を追及するのが原則であって、公共分野へ参入したからといってその原理は変わらない。私益が確保される範囲内での擬似公益であり、市民のコントロールからそれれば、公益と無関係な私益に走る。
そこで、このように公益>私益という立場で、行政改革や郵政民営化を見ると、反対という方向性に進むことになる。
しかし、公益>私益という考え方は、実は社会主義者も国家論者もともに共通するところであり、そうした立場から左右を問わず、郵政民営化に嫌悪感を抱くものがいるのであり、逆に、右派のそうした立場からの反対論に左派は足をすくわれることにもなろう。
とはいえ、他人のことに思いをいたし、公共の利益を重んずることは、古来から美徳であり、そのこと自体を否定すべきものではないが、行政改革が、市民参画や市民・民間事業者との協働の名のもとに、そういう方向性を強くしているということは知っておくべきである。憲法改正や教育基本法改正の前に地方の行政改革を通じて、理念的に公共への奉仕の精神に賛同が広がっていくこととなろう。
もちろん、それによって、税金が一円とも安くなるものではなく、儲けるのは民間事業者であり、はたまた、国の借金さえ減らすどころか戦争ごっこで膨れ上がるという結果になるかもしれない。