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確かに今「改革論」が必要なのかもしれない。
「政治改革」イデオローグの責任 − シンボルとイデオロギー【世に倦む日日】
http://critic.exblog.jp/3497786#3497786_1
文句を言っていたら山口二郎から直接メールが来た。前稿の最後に写真を貼った岩波新書『政治改革』では、自分は明確に小選挙区制には反対していたのだと反論している。さて、本当にそうかなと思って読み返したが、全体を通して小選挙区制に反対という主張には読めない。強いて言えば、「完全小選挙区制に反対」の意味での「小選挙区制に反対」だろう。新書では確かに小選挙区制の問題点を指摘してはいるが、山口二郎もまさか比例代表制だけに切り替えると考えていたはずはあるまい。併用制、すなわちへ現行制度への移行を念頭に置いて中選挙区制の廃止を主張していたはずである。本の中では中選挙区制はだめだから止めろと書いているし、自民党と社民勢力党派の二大政党制による政権交代こそがあるべき日本の「政治改革」の方向だと書いている。以前から不審に思っていることだが、この問題の岩波新書はこの十年間ほどずっと品切れを続けていて、一般読者が店頭で簡単に入手できなくなっている。何故なのだろうか。
(途中略)
「改革」のシンボルを独占して新自由主義革命を遂行する小泉政権を倒すためには、「左派が対抗的な改革の理念を提案」すればよいのではない。そのような安直で浅薄な、官僚ペーパー的なイージーな流し方で問題を解決させられるわけがない。「小泉改革」の政治に勝てるはずがない。違う。君はわかっていない。マルクスが「資本論」を書いて示したように「改革論」を書かなくていけないのだ。「改革」をその根底からグリップして批判し、その由来と機能をあますところなく暴露するしかないのだ。マルクスのあと人々が「資本主義」の言葉で現状を批判視したように、「改革主義」の言葉で人々が改革を批判するようにしなければならないのだ。暴露によって解体するのだ。暴露によってイデオロギーの力を無力化するのだ。「改革」をプラスシンボルとして綱引きしようとする限り政治に敗北する。知識人が「改革論」を書いて示せばよいのだ。「小泉改革」の犠牲になっている大衆が「改革」の虚偽と欺瞞を自覚して「改革」の観念支配の頚木から脱するイデオロギーのブレイクスルーを示せばよいのだ。