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さて、郵政民営化の是非ばかりが目立った選挙だったが、
自民党が「なぜ郵便局は、公務員でなければならないのか」というとおり、
民営化の是非そのものより、公務員制度への反感だけで投票したものも少なくないだろう。
国レベルでは、国立大学の独立法人制度とか道路公団のように(あるいは郵政公社もこのたぐいかもしれないが)、中途半端な状態であり、民営化したからといって、現在の職員の身分はそうかわらないのかもしれないが、地方では、外郭団体の切捨てで、まともに職を失うケースが進んでいる。地方自治体の外郭団体は高鳴る民法法人にすぎないのだから仕方がないといえぱそれまでだが。公務員とどれほどの仕事の違いがあろうか。
終身雇用制が過去のものとなりつつある日本社会でなぜ公務員のみ身分保障があるのか。市場化テストと民営化が進めば、ほとんどの公務労働はなくなってしまう。
もはや中立な公僕とか、教師聖職とかいっていたのは、過去のこと。監視システムさえきちんとしていれば、公正さや中立性は民間でも保たれる。教育指導要領どおりのマニュアルだけの教育ならむしろ民間のほうが忠実かもしれない。
いや、公務員の身分保障は、そんなもののためにあるのではなかろう。むしろ、責任者やトップに、自由な立場でものいえる、自由な論議や政策形成の自由を保障するためにある。今の公務員にそこまでの気概がないなら、みな民営化すればよい。
話がそれてしまったが、公務員制度は、それでも残り続ける。なぜなら、消費税の税率アップにせよ、他の政策にせよ、常に悪者を残しながら、誰かのせいにしながら乗り越えるというのが、近頃の流行らしいから。