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世の中は面白いもので、知識や情報を得た人たちのある部分は、その能力を活かすのではなく逆行してしまい、現実の真相から遠ざかり現実の表層にこだわって物事を判断しているように思える。
その典型が、「反小泉」や「反新自由主義・反市場原理主義」の立場でありながら「財政破綻」と政策判断を結びつける人たちである。
財務省官僚を筆頭に優良企業の経営者や金融資産保有者そして「新自由主義・市場原理主義」信奉者が「財政破綻」と政策判断を結びつけることに異論はない。
なぜなら、それが彼らにそれなりの“短期”的利益をもたらすからである。
それで利益を得ることがない人たちが「財政破綻」と政策判断を結びつける言動をするのは、彼らの術中に嵌ったり彼らの手のひらに乗せられていることを意味する。
「財政危機」が焦眉の課題としてメディアで声高に語られたり、「財政破綻」が間近に迫っていると扇動されているが、それらは、支配的地位にありながら自己保身や自己利益増大を図るという狡猾でずる賢い連中のプロパガンダである。
阿修羅ではメディアが行っているあきれるばかりの情報操作が盛んに取り上げられ、「反小泉」や「反新自由主義・反市場原理主義」の立場でありながら「財政破綻」と政策判断を結びつける人たちもそれにうなずいているように思える。
それなら、なぜ「財政危機」や「財政破綻」という報道やその種の書籍の氾濫状況に対して、“煽り報道”や情報操作という疑念を抱かないのか不思議でたまらない。
私はそのような状況に異を唱えるため、議論板や破産板を中心に、「財政危機」に怯える必要がないことやそれに怯えて物事(政策)を判断する愚を書いてきたし、考察者Kさんや馬場英治さんらとのやり取りでもそれを訴えたつもりである。
だからといって、財政構造を現在のまま放置してもかまわないと主張しているわけではなく、「均衡財政」の重要性も説明している。
勝手ながら、この阿修羅で「財政破綻」と政策判断を結びつける人たちは、拙論ではあるが私の説明をきちんと批判したあとでそのような論を投稿すべきである。
「財政危機」・「財政破綻」プロパガンダの目的は、財政の危機だから国民みんなが公的負担の増加に耐えなければたいへんなことになると思わせ、自分たちの利益を増大させることにある。
国民多数派の公的負担は確かに増加してきたし、今後もさらに増加が推し進められる動きが見える。
しかし、現実は、低中所得者の公的負担が増加する一方で、高額所得者は所得関連税の累進課税最高税率が75%から50%そして35%へと下がったことで公的負担が軽減されてきた。
消費税の導入や消費税の引き上げは、そのような高額所得者の公的負担軽減の原資として使われていることになる。(この手段は税収のさらなる減少を招き、それをカバーするために同じ手段による増税が歳入増加政策の中心テーマにするハチャメチャな流れを生んでいる)
法人税も実効税率が30%近くまで下がっている。法人税率が下がれば配当原資が増えるから、大量の株式を保有している人たちの所得が増加する条件になる。そして、金融所得課税も軽減されてきたから、その所得も公的負担に回る割合が減少し懐に残る割合が増えている。
「反小泉」や「反新自由主義・反市場原理主義」の立場でありながら「財政破綻」と政策判断を結びつける人たちは、無自覚であっても、反対の対象であるはずの人たちの利益増大に貢献しているのである。
小泉連合や堀江氏のような“歩く新自由主義・市場原理主義者”が言えば胡散臭く感じることも、世の不正に悲憤し一般勤労者の立場を擁護する言動をしている人が語ればもっともらしく聞こえるものである。
だからこそ、そのような投稿を“犯罪行為”と呼び、そのような投稿をする人を“犯罪者”と呼ばせてもらっている。
そうは言っても、毎年35兆円もの赤字国債が発行され、政府債務残高が表だけで800兆円に達している現状は危機的なものと言わざるを得ないのではないかという疑念をお持ちの方もおられるであろう。
詳細は議論板など投稿を参照していただくとして、今回の総選挙での投票行動に限らず、普段の政策判断においても、庶民は「財政破綻」を一顧だにする必要はないと断言する。
国民の多数派である庶民は、「財政危機」の責任が“バブル形成→バブル崩壊→デフレ不況”を招いた政府にあることを踏まえつつ、「財政危機」克服を大義名分に公的負担の増加を求めてきたら笑って拒否し、権力も能力もある政府に対応策を委ねればいいのである。
その理由は、
● 財務省官僚を中心とした政府は、どのような手段を弄してでも「国債サイクル」の維持を図るものである。
どのような惨状になろうとも、1億2千万人もの人が生活している場である日本を政治的に統合する政府が消え去ることはない。
そして、日本で政治的に支配的な地位にある人たちや経済的に有力な地位にある人たちは、その特権的地位をなんとしても守ろうとする。
まずは単純に考えてみて欲しい。
現在とGDP規模がそれほど変わらない95年度末時点の政府債務残高は328兆円であった。“知識人”やメディアは、当時も「財政危機」や「財政破綻」が声高に叫んでいた。
現在の政府債務残高は、800兆円だから、10年前の2.4倍である。
しかも、95年度の税収は約52兆円だったが、04年度の税収は約44兆円しかないのである。(あれだけの増税及び公的負担の増大を推し進めながら、同じGDP規模(500兆円弱)なのに、税収は、8兆円、率にして15%も減少している)
さらに言えば、「政府債務+地方公共団体債務+民間債務」という債務の合計(ほぼ1500兆円)は、既に金融資産(ほぼ1480兆円)を超えている。
それでも、財政は破綻することなく、政府は35兆円規模の赤字国債を発行し82兆円規模の財政支出を行うことができている。
過去の債務(ストック)の履行は、借換債や日銀の国債買い取りでしのぐことができる。利払い費の調達も、お金に色が付いているわけではないから、税収から優先的に利払いを行い、その後に残った税収で政府・与党が必要とする財政規模を満たせないときは赤字国債を発行していると説明すれば、税収から支払っていることになる。
管理通貨制度の通貨はたんなるペーパーマネーでしかないから、発券権限を持つ中央銀行(日銀)をうまく活用すれば、「国債サイクル」を維持することができる。
国民経済の債務合計が金融資産合計を超えても赤字国債の発行ができているのは、日銀が民間保有の国債を買い取り日銀券(通貨)を供給するという操作を行っているからである。(日銀の国債買い取りは年間14兆円規模に達する。それによって供給されるお金が新規赤字国債の消化を助けている)
結論的に言えば、政府債務の追加及び債務の履行は、与件のシステムを活用することで維持できるである。
(財務省官僚がそれに依存することの危険性を悟っていることは否定しないし、私も同じ危険性を説明しているとしても...)
決定的に重要なのは、政府(財務省)は日本経済や政治(自分たち)に深刻なダメージを与えてしまうような財政規模縮小を行わないということである。
「財政危機」を煽りながら35兆円規模の赤字財政支出を続けているのは、財政規模を縮小すれば、失業者の増大や倒産企業の増加さらには税収の減少につながり、日本経済や政治に深刻なダメージを与えるからである。
そのような与党でありながら、共産党や社民党さらには民主党が掲げる政策を非難するときに、「財源はどうするのだ!」と威嚇的に叫んでいる。
90年代に行われた300兆円もの公共事業も、この間の財政支出も、財源なぞなかったにも関わらずである。(だからこそ政府債務残高が800兆円にも達し、赤字国債の発行が35兆円規模になっているのである)
野党も野党で、そのような与党の威嚇に対して、他の歳出をこれだけ削ればこうなるといった反論をするだけである。
最悪なのは民主党で、財政再建のために歳出規模を10兆円少なくするという政策を掲げている。民主党は、「財政危機」論にすっぽりはまり込み、財源がなくても財政支出規模を維持している自公連合を引き立てているのである。
このような政府・与党が「財政危機」を煽り国民多数派である低中所得者に公的負担の増加を求めている現状を「反小泉」的立場にある人が認めることは犯罪的だと言わざるを得ない。
● 「財政破綻」=デフォルトは行われない。
「財政破綻」とは、端的に言えば、政府が債務の履行を断念してデフォルトを宣言することである。(税収不足は赤字国債の発行で対応できるのだから、赤字国債発行そのものは「財政破綻」ではない)
庶民は、「財政破綻」を煽る政府や有力政党に対しては、「どうぞ財政破綻になってください。私たちはいっこうにかまいませんから」と冷ややかに突き放せばいいのである。
日本の政府債務はそのほとんどが国内の民間が持つお金(金融資産)によって購われている。国債は、主として郵政公社・年金基金・銀行・保険会社が保有している。
国民の貯金・預金・掛け金が国債のかたちに変わることで政府債務は積み上がってきた。
そのような事実にも関わらず、国民の多くは自分が国債を買っているとは思っていない。国債を買っているのは、ひとのお金を預かっている組織や企業だからである。
政府債務のデフォルトがどのような事態を引き起こすかを考えれば、日本政府がそのような選択をするわけがないことがわかるはずだ。
政府債務のデフォルトが行われれば、大量の国債を保有している銀行・保険会社が破綻の危機に陥ることになる。
まず、これだけで、10兆円を超える超える国費を投入してまで銀行業界を救済してきた政府が採るような選択肢ではないことがわかる。
ない話の仮りにだが、政府が債務履行を放棄したとしても、郵便貯金や簡易保険は政府保証だから失いことはないし、銀行預金も1000万円を超えない限り利息ともども全額が預金保険機構によって保証されている。(生命保険は解約時の受け取り金額や保険金が減額される)
郵便貯金もデフォルトというようなことを行ったり、預金保険の発動をしなければ、その政府は即座に倒れることになるだろう。
要は、たいした資産を持っているわけではない庶民の被害(損失)はないかたいしたものではなく、銀行や保険会社といった金融会社に壊滅的な打撃を与えるたり、政府自身の倒壊を招くのが政府債務のデフォルトなのである。
「財政破綻」騒動は笑って見ていればいいのであり、「財政危機」を楯に公的負担の増大を求めようとするのなら笑って断固拒否すればいいのである。
そうすれば、平均値よりもまともに思考努力はしていると認められる財務省官僚は、庶民の公的負担増大に代わる政策を打ち出してくる、間違いなく。
● 赤字財政支出が35兆円規模であってもデフレは続いている。
もっとも重要なのは、赤字財政支出が35兆円規模であってもデフレが続いていることである。
(デフレ不況が続いているからこそ、政府債務が急増し、赤字国債の発行規模が巨大になっていると言ったほうがいい)
だからこそ、財務省と日銀がタイアップした「国債サイクル」維持政策を採り続けても、ハイパーインフレといったより悲惨な経済状況になっていないのである。
「日本にはもう時間がない」としたら、赤字財政支出が35兆円規模であってもハイパーインフレにつながらない経済条件がそれほど長く続くわけではないことが理由にならなくてはならない。
政府債務問題は、ストック(残高)ではなく、フロー(赤字財政支出)にある。
ストックである債務残高はすでに使われてしまったお金であり、借り入れのために差し入れた証書(国債)は、日銀に買い取ってもらって“焚き火”にしても本源的な経済活動や生活になんら支障はない。(支障があるのは、銀行や保険会社だけと言ってもいい)
現在の最も重要な政治課題は、赤字財政支出がハイパーインフレにつながらない経済条件を維持したりより強固にする政策の“発見”である。
その政策が実施されれば、税の自然増収で赤字財政支出の規模も減少するのである。
この間政府が「財政危機」の煽りをネタに進めてきた低中所得者の公的負担増大策は、赤字財政支出の規模を増大もしくは固定化するものであり、将来の赤字財政支出がハイパーインフレにつながりより悲惨な国民生活を現出させる愚か極まる政策なのである。
「財政危機」や「財政破綻」の問題にこだわるとしても、その対応策として、小泉連合や民主党が打ち出している政策を支持している人は、「財政危機」をさらに悪化させ、「財政破綻」をより近づける政策を支持するという倒錯状況に陥っていると言える。
● 政府債務が対外借り入れにほとんど依存していない現状では「IMF管理下」に入ることもない。
これまでの説明で、これに関する説明は不要だと考えているが、隣りの韓国やアルゼンチンの惨状を見てきた人は「財政危機」に不安を覚えるかもしれない。
政府債務が円建てで対外借り入れ比率も5%未満、民間も対外関係で債務よりも債権が多い現状では、韓国やアルゼンチンのような事態に陥る心配はまったく要らない。
しかし、そのような条件がいつまでも続く保証はない。
あの米国だって戦後40年間は経常収支が黒字だったのである。
世界の経済関係は時々刻々変動している。
そして、グローバル化した企業はその変動を見ながら次なる手を考え実行する。
トヨタを筆頭とする国際優良企業はおかしくならなくとも、我々の生活の場であり条件である日本経済がおかしくなるということは十二分にありえる。
この間採られてきた政策は、国際優良企業や銀行を優遇するものではあっても、国民経済をより良くするものではなかった。
さらに言えば、国際優良企業や銀行も日本市場を主たる収益源としているところが多いのだから、国民経済を良くする政策を実行したほうが国際優良企業や銀行の利益も増大するのである。
無理やり国際優良企業や銀行さらには高額所得者や金融利得依存者を優遇する政策を続ければ、国民経済は疲弊する一方で国際優良企業や銀行は海外に主たる活動の場を求めるようになる。(国民経済の疲弊は市場としての日本の魅力を減少させることだから、企業や銀行に日本を失念させ海外に目を向けさせる誘因となる)
小泉連合への支持だけではなく民主党への支持も、支持者が庶民である限り、国民経済を衰退させ将来の日本を惨憺たるものにする政治勢力を歓迎するという愚かで倒錯した判断と言わざるを得ない。