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NJさんの『“財政均衡”の重要性』( http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/821.html )へのレスの続きです。
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【NJさん】
「「自由競争とは、競争力や営業努力で自社及び他社が支払った賃金をどれだけ多く自分のものにするのかという競争です。」という部分も、ほんとはよくわかりません。
一万円の仕入れをして、五千円の賃金を払って、機械を一台製造し、二万円で売った、とします。仕入れ一万円は仕入れ先の賃金であるなら賃金と見なせる、というのは理解できるのですが、生じている利潤五千円は、何なんでしょうか。賃金なんですか、、、?」
[あっしら]
まず、NJさんの「自然に支払う、ことはないから、人件費が物の値段の基本的要因であって、企業に競争力があれば、利益を見込むことができる」という理解で問題ありません。
競争力がある企業は、自分のところが支払った賃金(仕入先分のものも含めて)に加えて他が支払った賃金の一部も回収することができるので利益を上げることができるわけです。(広告宣伝も、その露出に効果の本源があるのではなく、そのために多額のお金を支払うことに効果の本源があります。参照:『「産業資本主義」の終焉:戦前米国の経済発展:広告宣伝や営業マンは“需要”を喚起しているのか?:「供給→需要原理」』 ( http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/782.html ))
「自由競争とは、競争力や営業努力で自社及び他社が支払った賃金をどれだけ多く自分のものにするのかという競争です」という表現は、投資(固定資本形成)・財政支出・輸出など需要になる要素をすべて賃金に収斂させたものになっているためわかりにくかったと思っています。
(「自社及び他社が支払った賃金」というより、「自社及び他社が支払った諸々のお金」というほうがなじみやすかったかもしれません)
しかし、「供給=→需要」という経済論理の根底を理解するためには、人の活動力への対価である“賃金”に収斂させた見方は大いなる手掛かりになります。
固定資本形成は企業にとっては投資であり資産形成であると考えられ、賃金を支払っているという捉え方はされていませんが、生産