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(回答先: 産業廃棄物? 投稿者 すみちゃん 日時 2005 年 8 月 05 日 11:11:35)
>しかし産業廃棄物が増殖する世界で、どうやって継続的に資本を増殖するのかは理解
>できません。
資本と言っても、産業資本(産業を補完する商業を含む)もあれば金融資本もあります。
産業の驚異的発展に目を奪われてきたために近代は産業の時代だと考えられていますが、経済論理をきちんと考えれば、産業活動は、金融家が資本を増殖を効率的に進めるための手段でしかなかったことがわかります。
産業資本は、携帯電話などのような画期的新商品を新たに生み出したとしても遠からず行き詰まることになります。
しかし、産業活動が金融資本の資本増殖手段でしかないのなら、金融家たちは、新しい資本増殖(蓄財)手段を造り出してそのような閉塞状況を乗り越えようとします。
そして、有力金融家が近代世界を支配しているのなら、これまでの近代史を見てわかるように、それが実現される可能性が高いでしょう。
以前に書きましたが、産業資本の増殖活動が行き詰まった事態を乗り越える新しい手段は、産業を国有化し国家への貸し出しを増大させることしかないようです。
日本を含む欧米諸国は膨大な国家債務を背負っていますが、「産業国有化政策」でそれがたいしたことではなかったと懐かしむほどの借金まみれになるはずです。
(90年初頭までの国家債務残高でも大騒ぎしていたのに今ではその4倍、5倍になっている日本を思い浮かべればわかりやすい)
「民営化」ブームなのに何をトンチンカンなことを言っているとか、経済自由主義の権化である米国が政治的覇権を握っているのに“社会主義”だなんてたわ言だと思われる方が多いかもしれません。
ここでは詳しくは説明しませんが、「自由貿易」も「保護貿易」もそれで利を得る人たちのための“保護主義”であり、「民営化」や経済自由主義もそれで利を得る人たちに都合のいい政策手段であることを考えれば、産業国有化が利になるのならそれを実現をめざさないはずがないことは自明です。
(この間の“銀行救済”ほど、自由主義に反する政策はありません。それを、「民営化」や自由主義を唱える同じ政治勢力がもっともらしい理屈を付けて正当化してきたのです)
民主主義も自由主義もそれ自体が目的ではありません。
理念が先にあるわけではなく、ある層の利益を最大化する目的を実現する手段として理念が考え出されるのです。
「ネオ社会主義」も、国民(大衆)の利益という理念を前面に打ち出しながら浸透していくはずです。
念のため、社会主義といってもソ連型と同じというわけではなく、国有企業の経営形態も違い人々を支配する形態も違うはずです。
阿修羅にも、大衆のためと本気に思って社会主義的政策や世界政府を志向している人たちがいますが、そのような人たちは無自覚なままの世界支配層への奉仕者だと思っています。