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(回答先: 社会的分業の実現方法 投稿者 あっしら 日時 2005 年 8 月 03 日 15:18:29)
あっしらさん返信ありがとうございました。
だいぶ考えられ、長文でしたので私のほうがビックリしております。
>A:距離的阻害があり対面交渉の取引がしづらい構造の社会的分業をどうやって円滑に実現するのかという質問だと理解します。
ちょっと読み違えているのかな、という気がいたしますが。
私が提起した問題は「貨幣」という性質でした。題名でヒントとしてお金の話のことですがと書いたのもそのためです。
ただここで二つの答えが出るかと考えていました。
一つは借り入れという問題であり。もう一つは国家という問題だと考えていました。
「借り入れ」あっしらさんの文章に良く出てきますが、例えばこの商品がAからEまで全て一万円という価格だとします。そこでAでもEでも良いのですが誰かが最初に一万円という借り入れを起こしたとします。ここではAさんとします、Aさんは自分の欲しい野菜をCさんから一万円で購入します。そのとき一万円札はCさんの手に渡ります、そこでCさんはEさんが持っている靴を一万円で購入します、今度はお金はEさんの手に渡ります。また同じようにEさんもBさんのお米を購入します。今度は最初に借り入れたお金は同じ番号のお札としてBさんの手に渡ります、そこでまたBさんもDさんが持っている着る物を購入します、そして最終的にDさんはAさんの持っている魚を買い入れます。
一枚の一万円という貨幣が全体の欲望を満足させる仲介者となるわけです。
ただ借り入れというのは、返済しなくてはならないものですから、一巡したところで返済したとします、そのときAさんからEさんまで次の商品をさばくことが難しくなります。
また、借り入れ返済が一巡ではなくいつでも返済という形であればこの関係は一枚の一万円札があれば永久に続くわけです。そこから乗数理論の波及効果という理論が成り立つと考えます。単なる五倍(私が読んだ本にはそのように書いてありました)ではなく十倍であり百倍の波及効果を持つと考えます。
そこから貨幣は商品の交換ではなくその商品を製造した労働力の交換を仲介するものといえます。
またもう一つの考え方として、借り入れという考え方ではなく、国とかが紙幣を発行し例えばAさんの持っている魚を買い入れた時、貨幣は返済する義務を負わなく、いつまでも周り続けるわけです。そのとき国は紙幣を刷った材料費と労力だけで一万円の商品を濡れ手に粟という感じで手にすることが出来ます。
(日銀職員が高給取りという関係がそこにあるかと感じます)
以上が現在まで考えてきた貨幣論の中身です。私自身はここが貨幣論の出発点であり、ここから多くのことが読み取れるのではないかと考えています。
どうもお付き合いくださりありがとうございました。
ただ、あっしらさんから返信をもらっても文章が難しく、読み取るのに時間が掛かりますが、出来るだけ返信を続けます。