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(回答先: 理系がほとんどいない日本の政界 投稿者 外野 日時 2005 年 7 月 28 日 21:36:19)
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「別冊宝島」180号『官僚のボヤキ』(1993年07月21日刊)より
霞が関最大のタブー、技官間題を剥ぐ!
生田忠秀(ジャーナリスト)
絶大な権力を握る大蔵省でさえ立ち入れない、技官の”独立王国”。
政・官・財の癒着構造に深くはまりこんだ、技官問題はいま深刻な事態をもたらしている。
霞が関の官僚仲間では周知の事実であるにもかかわらず、それを公然と語るのは絶対に許されない「技官問題」なる”タブー”がある。数年前、大蔵省の主計官は秘かにこう打ち明けた。
「外部から見ると、霞が関はわれわれ法文系官僚の”天国”に見えるでしょうね。たしかに、中央省庁の局長以上の幹部ポストの九割近くを法文系官僚が占め、人数のうえでは法文系よりもはるかに多い技官には、ほんのわずかな幹部ポストしか与えられていない。しかし、そのことをもって法文系官僚が霞が関の主要部門をすべて支配していると見るのは大きなまちがいなんです。
技官が幹部ポストを占める部局はむろんのこと、法文系がトップになっている部局のなかにも、法文系官僚が口出しもできないところが多数あるんですよ。われわれはそれらを技官の”独立王国”と呼んでいるんですがね。
予算編成でも、われわれ主計局はそれらの部局にはまったく手を出せず、予算全体の三分の一は彼らに飲み込まれてしまっているんですよ。”技官問題”こそ霞が関の抱える最大の病巣なんです」
この話を聞いたとき、いくつかの疑問が浮かんだ。仮に”独立王国”ができているにしても、なぜ、そのことを語るのが”タブー”とされるのか。また、「特権階級」と言われる法文系官僚が、どうして”独立王国”を放置しているのか──。しかし、そのときはさほど重要な問題だとは気づかず、疑問を解き明かしてみようとも思わなかった。
ところが、金丸信前自民党副総裁逮捕を契機に、公共事業をめぐる政・財・官の癒着の構造が、断片的にしろ白日のもとにさらされるようになった。そのマスコミ報道をつなぎ合わせてみると、どうも三者の癒着関係の中で技官の”独立王国”がかなり重要な役割を果たしているように見える。あるいは、このことが霞が関の”タブー”とされる「技官問題」と深く関係するのか。そのように考え、遅まきながら、あらためてこの問題について霞が関の法文系官僚たちを取材してみた。その結果、ようやく明らかになったのが、『フォーサイト』(新潮社)四月号でもレポートしたが、次のような政・財・官の癒着の構図である。
「運命共同体」とも言うべき
強固な関係を築きあげてきた
役所と業界
霞が関で公共事業に関係する部局としては、建設省の道路局、住宅局、河川局、都市局下水道部、運輸省の港湾局、農水省の構造改善局建設部などがあるが、そのすべての部局で幹部ポストのほとんどを技官が押さえている。それらの技官は、出身大学の専攻学科の教授を中心に結束を固め、農水省構造改善局建設部は農業土木科出身、建設省道路局は工学部土木科出身というように、専攻学科別に棲み分けをしている。
建設業界も同様で、道路、河川、下水道、土地改良といった公共事業の分野ごとに企業は棲み分けし業界団体をつくり、業界団体は霞が関の当該公共事業担当の部局と一体となった関係を築きあげている。
関係業界には、技官と大学で机を並べた”仲間”も多く、また技官退官者を関係企業が継続的に受け入れることによって、役所と業界は「運命共同体」とも言うべき強固な関係を築きあげてきた。
いっぽう、法文系官僚は後に見るように、これら技官の支配する部局に対し、ほとんど発言権を持たない。したがって、公共事業でどのような内容の事業を、どこでどう行なうかの決定権限は技官の専有するところとなっている。法文系官僚の支配を離れ”独立王国”化した部局の関心は、他の”独立王国”に比べ、どれだけ多くの予算をとるか、つまり、公共事業の配分シェア争いに向けられる。そのために関係業界とともに族議員を育成し、また建設省の土木系部局あるいは農水省構造改善局建設部のように自ら技官OBを国会に送り込んでいるところもある。むろん、必要なカネは事業量の増大で潤う関係業界が拠出する。
族議員、OB議員はその見返りとして、全国の市町村長、知事、農・漁協組合長に「シェアが落ちれば、おたくのところの事業はムリ」と焚きつける。公共事業を喉から手の出るほどほしい市町村長、知事などは、ともかく族議員の呼びかけに応じて地元選出政治家も突き動かしてシェア死守の運動を展開する。
運動の盛り上がりは毎年すさまじいものがあり、族議員はそれを背景に、実力政治家をも巻き込み、首相、蔵相、主計局長、党政調全長などに「うちのシェアは絶対に落とさないように」とネジ込む。申し込れを受ける側としては、各々の「運命共同体」が多数の議員を結集し、全国的な広がりと、巨額の政治資金を背景にしているところから、そのどれひとつでも敵に回すことができない。
結局、いちどできあがった公共事業の配分シェアは固定化され、そのシェアをほとんど変えずに公共事業費の総枠拡大という方向をたどってきた。仮に、シェアがコンマ一%でも落ちた場合、業界団体はオモテ・ウラ両面の政治献金の減額を行ない、また、「安全」のために主だった野党の議員に対しても献金するのがふつうだとされる。
業者に有利な
価格設定を配慮する担当部局
ところで、業界団体、企業が巨額の献金を続けるのは、工事量の増大だけでなく、公共事業にはそれだけ”ウマ味”があるからにほかならない。「日本の公共事業の建設工事費は米国の二倍」という見方もされるが、ともかく次のようなケースもあったと言われる。
建設省がA県で大きなトンネル工事をやることになった(予定価格を一〇〇と仮定する)。地方建設局は指名競争入札を行ない、それには大手ゼネコン数社が加わった。業者は談合で調整を行ない。大手ゼネコンW社が落札するところとなった。W社は一〇〇の工事を九〇でX社に「投げる」。X社はそれを八○でY社に、Y社は七〇で同社系列のA県の地元専門業者Z社に「投げる」。つまり、W、X、Yの三社は、工事代金の一割ずつを工事権を転がすことによって手にしたわけだ。また、Z社が実際の工事を行なったところ、工費は四〇しかかからなかった──。
ところで、四〇しか必要ない工事の予定価格を建設省が一〇〇と見積もったのは、次のような事情による。
まず、田中元首相が自民党の実権を掌握した当時に、公共事業の工事単価を大幅に引き上げたこと。そして、「運命共同体」の一員である公共事業担当の部局が、見積もりの段階で業者に有利になるように配慮して価格設定をしているからである。
A県のトンネル工事の場合も、そうした事態はほとんど考えられないのに、工事途中で大きな岩盤にぶつかるとか大量出水の”可能性”があるとしてその分を価格に織り込んでいた。そのほかのケースでも、実際の大型工事で落札価格から足を出すケースは稀で、ゼネコン間で工事権を投げあう「キャッチボール」で多額のカネを浮かせても最終的に工事を行なう業者が充分にペイするように予定価格が設定されているという。
また、道路工事のような場合は、担当部局は業者の数に見合ったかたちで工事区間を区切って指名競争をするケースが多い。むろん、入札結果は全業者がどれかの工区を落札することになる。そのいずれのやり方をとる場合でも、担当部局は予定価格を決めた段階で、談合組織に「一〇〇%漏らさず」(関係者)予定価格をリークしているとされる。
「主要ポストは法文系、
予算・人事は技官」という暗黙の了解
以上が、取材をもとに組み立てた政・財・官の癒着の構図の概略である。
一般には政・財・官三者の関係は「グー・チョキ・パー」に擬せられ、政治家は官僚に強く、官僚は業界に強く、業界は政治家に強いと見られている。だが、公共事業をめぐる三者の関係を見ると、公共事業を担当する技官の”独立王国”は一般に考えられている以上にしたたかな感じがする。なるほど、実力政治家にはからきし弱いようだが、しかし、他方で業者に”恩恵”を与え、それから生み出される政治資金をもとに、族議員をして「運命共同体」の”庸兵”として操っているのだ。
おそらく、「技官間題」が霞が関でタブーとなっているのは、このことと深い関係があるのだろう。仮に、法文系官僚がこうした三者の癒着の実態を公にすれば、その官僚は”独立王国”が差し向ける族議員によって決定的なダメージを受けるのはまちがいないからだ。
しかし、「特権階級」とされ、霞が関で絶大な権力を握る法文系官僚がなぜ、こうした”独立王国”の存在に手をつけることすらできないのか。やはり、政治家の圧力がそれほどまでに怖いからなのか。このことについて、経済官庁の「政治」担当の審議官は匿名を条件にこう語っている。
「技官問題は、じつは公共事業関係部局にかぎった問題ではないのです。われわれ法文系官僚が”技官は何をやっているのだ”と言って彼らの職務分担の領域に口を出せば、どこでも猛烈な反発が出てくるでしょう。”それでは法文系官僚はいかなる根拠があって本省の主要ポストを独占しているのか”と技官が言い出すのは確実で、そうなれば霞が関は収拾不能の大混乱に陥ることになります。そこで、本省の主要ポストにわれわれ法文系が就く代わり、技官の職務領域の予算・人事は技官にまかせるという暗黙の了解ができあがっているのです」
要約すれば、それだけ法文系官僚と技官の対立が根深いということである。いったい霞が関全体で法文系官僚と技官はどのような関係にあるのか。
法文系官僚は
技官に比べて十八倍も
昇進するチャンスがある
人事院の集計したデータによると、平成二年度の国家公務員採用T種に合格し、各省庁に採用されたキャリア組の「試験区分」別内訳は次のとおりである(平成四年三月三十一日現在)。
法文系合計三百十四人。うち、行政二十八人、法律百七十三人、経済八十二人。ほかに心理、教育、社会から採用。
理工系合計二百七十一人。うち、土木五十六人、情報工学三十九人、機械三十七人、電子三十三人、化学二十九人、建築二十三人。ほかに数学、物理、電気、地質、材科工学、資源工学から採用。
農学系、含計二百八人。うち、農業工学三十七人、農学三十四人、水産二十五人、林学二十四人、薬学十九人。ほかに農業経済、農業化学、畜産、砂防、造園から採用。
この法文、理工、農学三系の総計は七百九十三人で、法文系と技官(理工、農学)の比率はほぼ二対三。しかし、各省庁はT種試験に準ずる専門科目の試験を行ない原子力工学、獣医学などから別途五十人の技官を採用し、また、厚生省は独自に医学部出身者の採用も行なっている。法文系官僚と技官の比率は二対三よりもさらに小さくなっている。
しかも、法文系のなかでも「エリート」として昇進コースをたどるのは、行政、法律、経済に合格した二百八十四人にかぎられる。彼らは同一年度に霞が関にキャリア組として迎えられた法文系、技官全体の約三分の一程度にすぎない。だが、先に見た大蔵省主計官の話にあるように、彼らは中央省庁の局長クラス以上の幹部ポストの九割近くを占めているのである。
これらの比率をもとに計算すると、法文系官僚は技官に比べて「十八倍」も本省幹部に昇進するチャンスに恵まれているということになる。法文系官僚が、特権をほしいままにしていることを雄弁に物語る数字になるだろう。
昇進する道が
完全に閉ざされた技官
ところで、霞が関のなかでも、技官の比率が際立って高い役所がある。先の人事院のデータで、省庁別の法文系、技官の採用状況を見ると次のようになっている。
農水省── 法文系十六人、技官百六十三人(以下法文系、技官の順)。
建設省── 十五人、五十六人。運輸省── 十二人、二十三人。文部省── 十八人、二十三人。厚生省十七人、十八人。郵政省二十一人、十九人。科学技術庁── 一人、十五人。北海道開発庁── 三人、十三人。
このうち、農水、建設、運輸、北海道開発の四省庁は「現業」官庁と言われる。各地に張りめぐらされた支局、事業所を中心に専門的な事業、監督行政を行なっており、そのために多数の技官を採用しているのである。
このほか、文部省は高エネルギー物理学研究所。宇宙科学研究所などの研究員がほとんど。郵政省は電気通信監理局の通信技術行政もあって、技官のウエイトが高い。厚生省は別途採用の医学部卒業生も加えると、技官の数字はさらに多くなる。
科学技術庁は、科学技術の専門官庁だから技官が圧倒的に多いのは当然だが、それにしても法文系ひとりというのは極端な数字である。
他方、技官採用ゼロという官庁もある。法務省、大蔵省、自治省、経済企画庁などがそれだ。しかし大蔵省は現業の税関、造弊局、印刷局、国税庁が独自に若干名の技官を採用。また、通産省も本省採用は法文系二十八人、技官十三人と法文系のウエイトが高いが、外局の工業技術院、特許庁は独自に技官を計八十二人採用している。
以上の省庁別の技官採用実績からもわかるように、役所によっては初めから「専門技術者」として技官を採用しているケースも相当数にのぼる。しかし、通産、建設、農水などの技官のかなりの部分は、あくまでも「技術行政官」として採用されているのであって、特定専門部局のための「専門技術者」としてではないのである。
ところが、たとえば農水省構造改善局次長・中道宏氏の入省後の経歴はこうだ。
昭和三十八年
京大農学部卒。入省後、金沢農地事務局加賀三湖干拓建設事業所に配属
四十二年
二年間米コロラド州立大学大学院修士課程へ留学
五十一年
構造改善局建設部設計課長補佐
五十五年
秋田県農政部農業水利課長
五十九年
構造改善局建設部設計課首席農業工木専門官
六十二年
同設計課長
平成二年
構造改善局建設部長
四年
現職(昭和四十九年農学博士号取得)
同じ農水省でも法文系官僚は、ゼネラリストとして本省各局だけでなく林野庁などの外局、他省庁、都道府県農政部、在外公館などじつに幅広いポストを経験する。ところが、中道氏の経歴をたどればわかるように、もっぱら構造改善に関連するポストしか歩んでいないのである。しかも、同氏の現職・構造改善局次長は農業工学出身者にとっては最高のポストであって、それより上の局長、事務次官に昇進する道は完全に閉ざされているのだ。
技官が一体となって
待遇改善を要求すべきだ
ところで、学業成績を格別に重視する霞が関だが、おそらく東大、京大などの理工系学部を卒業した技官の学業成績は、法経学部出の法文系官僚の成績にけっして引けをとらないだろう。にもかかわらず、同じT種試験を合格しながら処遇面で明らかな格差・差別がつけられている。技官の間から不満が出ても当然である。
じっさい、中道氏と同じ農水省構造改善局の東大農学部農業土木科出身の技官(三十歳代後半)はこう語っている。
「ほとんどの技官は、諦め切って自分の専門分野で頑張っていこうと考えているでしょう。しかし、若手を中心に”法文系の幹部のポスト独占は許せない。せめて二、三の本省局長、外局の長官ポストくらいは技官に与えるべきだ”とする意見も聞こえます。私も”技官運動”を起こし、技官が一体となって待遇改善を要求すべきだと思っているんですがね」
現在、農水省の局長クラス以上のポストは本省八、外局(食糧庁、林野庁、水産庁)長官三、計十一あるが、技官は食品流通局長ただひとりである。技官の採用人数は法文系官僚の十倍だから、技官で局長クラス以上の幹部になれる確率は、法文系官僚の百分の一と、信じられない数字になる。
しかし、以前はそれほどではなかったのだ。林野庁長官、構造改善局長などいくつかのポストが技官の指定席だった時期もある。それが少しずつ法文系官僚によって切り崩されてきたのだ。なぜそうなったのか。その大きな理由のひとつに、技官といっても専門分野ごとに細分化し、相互の意思の疎通がまったくなかったことがあげられるだろう。
たとえば、構造改善局は農業工学、林野庁は林学、水産庁は水産というように、各々が小じんまりと棲み分けている。これに対し、法文系官僚はまさに”鉄の結束”を誇り、技官の間隙を巧みに突いてきたのである。先の構造改善局の技官の”技官運動”という言葉には、技官相互の垣根を取り払って結束しようという意味が込められているのだ。
法文系官僚が「技官問題」を
公に発言しようとしない理由
じっさい、数のうえで技官が優位に立つ役所で、技官が結束して法文系官僚に立ち向かえば、大きな力になる。そのことを示したのが建設省の”技官運動”だった。現在、建設省の技官は、法文系官僚と対等あるいはそれ以上の力を持ち、事務次官、住宅局長は法文系官僚と交代で務め、河川局長、道路局長は技官の専有ポストとなっている。これは、敗戦後、内務省がGHQ(占領軍総司令部)によって解体され、建設省が誕生した際の”技官運動”が奏功した結果である。草柳大蔵氏は『官僚王国論』(角川文庫)で、その辺の事情を次のように記している。
<……内務省時代はいうまでもなく”法科万能”で、技官は本省の課長か府県の土木部長どまりだった。戦後、内務省が解体され、国土局と戦災復興院(のちに建設院)にわかれたが、昭和二十三年七月両者を合併して建設省ができると、技官の間から「次官は技官で」という猛運動が起こった。事務次官には中田政美が予定されていたが、兼岩弘一、赤岩勝美などの共産党員が指導する「全国建設技術者連盟」(全建連)は国土局長だった岩沢忠恭をかつぎ、片山内閣に働きかけてこれを実現した。
岩沢は建設技官の”輝ける星”で、東大工学部土木工学科の学生たちまで「岩沢次官の実現」で建設省入りを決めるありさまだった。自治庁(現自治省)にいた小林与三次(現読売新聞会長)がGHQと衝突して参議院専門委員会にとばされ、そのあと建設省の官房にまわってきたことがある。連絡のため、暮夜、岩沢邸を訪れたところ、夫人から「あなたは技官?事務官?あ、技官じゃないならお勝手口にまわりなさい」と言われたというエピソードがある。この時期、建設省は全官庁にわだかまる全技官の怨念を昇華していた、と言えそうである>
現在、法文系官僚はこのときの建設省のような動きが出るのを警戒している。「全技官の怨念」に再び火がつけは、特定部局、特定官庁だけでなくその他の官庁にも飛び火する可能性も充分予想されるからだ。
だから、法文系官僚が「技官問題」を公に発言しようとは絶対にしないのである。たしかに、公共関連部局の場合のように、政治家の圧カをおそれているという面もあるが、ただそれだけではないのだ。
そして、法文系官僚が技官の反発を鎮静化するために戦後の早い時期からとった方策が「技官が中心になっている部局の予算については法文系官僚は口出ししない」とするやり方である。また、「それら部局の人事については法文系官僚が当たる」ともしているが、じっさいは、技官がそれらの部局の内部で築きあげたヒエラルキーが作成する人事リストを、そのまま追認するケースがほとんどという。
深刻化する
「技官問題」の弊害
法文系官僚のとったやり方が奏功したのかどうか定かではないが、”技官運動”はこれまでのところ表面化していない。しかし、その一方で確実に進行しているのが、「技官問題」なる言葉にも象徴されている各種の弊害の深刻化である。
公共事業をめぐる問題はその最大のものとなろうが、このほか各省庁ともじつに多くの問題を抱えることになった。
たとえば、運輸省が所管する車検制度がある。同省所管行政のなかでもとくに世論の批判が強く、九二年の第三次行革審「世界の中の日本部会」は検査証の有効期間の延長を答申した。同省の法文系官僚の間にも、見直しをすべきだとする意向はけっして少なくない。
だが、車検制度を担当する同省自動車交通局技術安全部は、技官の支配する”独立王国”のひとつである。技術安全部には部長以下九個の管理職ポストがあるが、法文系官僚が占めるポストは管理課長ひとつだけ。法文系官僚の意向は完全に無視され、技術安全部は全国に配置されている千人以上の要員、それに八万カ所の民間整備工場に検査証の有効期間延長に反対する運動を繰り広げさせた。この際、自民党のある実力者をも動かしたと言われる。
まさに、公共事業関連部局と同様のパターンである。だが、こうしたやり方は、多かれ少なかれ”独立王国”のどの部局でも見られることなのだ。
なぜそうなるのか。運輸省の東大工学部出身の技官(四十歳代前半)はこう言っている。
「法文系官僚と違って、われわれ技官は特定部局の専門家として育てられている。また、所属する部局の外で出世する道も閉ざされており、役人生活のほとんどをそこで送らざるをえない。定年後どうするかといっても、法文系官僚が面倒を見てくれるわけでなく、所属する部局の幹部、先輩のお世話を受けなければならないのです。そうなると、好むと好まざるとにかかわらず、自分の所管する業者、団体を育成・保護し、いずれ面倒を見てもらうというようになってしまう。だから、所管業界にとってマイナスになることは、あらゆる手段を講じて阻止するんですよ」
「運命共同体」そのものだが、たしかに現在の人事システムをとるかぎり、こうした弊害が出てくるのは避けられそうにない。ちなみに霞が関の本省内部で、”独立王国”化している部局には次のようなところがある。
警察庁(通信局)、環境庁(企画調整局地球環境部、同局環境保健部、自然保護局、水質保全局)、国土庁(大臣官房水資源部)、厚生省(健康政策局、保健医療局、生活衛生局)、農水省(構造改善局建設部)、運輸省(自動車交通局技術安全部、海上技術安全局、港湾局、航空局技術部)、郵政省(大臣官房建築部)、建設省(大臣官房官庁営繕部、都市局下水道部、河川局、道路局)。
通産省の原子力政策批判は、
じつは科学技術庁の次官を
批判している
ところで、技官がいまや完全に権力を掌握しつつある科学技術庁は、現在、プルトニウムをリサイクルで使用し、二〇三〇年頃には、「動力炉・核燃料開発事業団」(動燃)が研究開発中の高速増殖炉の実証炉を建設するという原子力政策を推進している。これに対し、通産省の首脳陣の間から批判が聞こえるようになった。そのひとりはこう語っている。
「科学技術庁は、政府の科学技術政策の調整官庁なのに、あたかも原子力のみで成り立っているかのように振る舞っている。しかも、動燃という現業・現場を抱えているために、動燃の進めている高速増殖炉の建設推進にしか目を向けない。科学技術庁がこういうありさまでは、政府の原子力政策が柔欺性を喪失し、いびつなものになるのは避けられないだろう」
通産省首脳が科技庁批判でほんとうに言いたいのは、こういうことだ。同省は電力業界の原子力発電の実用面を所管する。また、政府部内での発言力、経済界に対する影響力は科技庁を圧倒的に凌駕している。
ところが、原子力の基本政策策定となると、その力関係は完全に逆転してしまうのだ。政府の原子力政策を決める最高意思決定機関は首相直属の原子力委員会だが、委員会の事務局を所管するのは科技庁。また、委員長は科技庁長官が当たり、他の三名の委員の人選も実質的に科技庁が握る。さしもの通産省も、エネルギー政策のなかできわめて重要な位置を占める原子力の分野では、科技庁の技官の意向に従わざるをえなくなっている。通産省首脳の科技庁のとる原子力政策批判は、「政策」を批判するかたちをとりながらじつは科技庁の実権を握る技官も批判しているのである。
これに対し、科技庁の有力局長はこう反論している。
「政策、調整といったところで、現業を持たない役所に何かできるでしょうか。わが庁から動燃を切り離せば、政府部内での発言力は著しく低下すると思いますよ」
この通産省、科技庁の関係を、これまで見てきた法文系官僚と技官の関係に置き換えてみれば、そこには共通するところがきわめて多い。法文系官僚(通産省)が技官(科技庁)をコントロールできないという不満である。
そして、また、科技庁の中心を担う原子力関係学科出身の技官は、大学の専攻学科の教授を中心にして、電力業界、重電業界に就職した”仲間”とともに強固な結束を誇る「原子力ファミリー」を形成しているのである。
”独立王国”の存在は
日本社会の縮図
この科技庁を「技官問題」のなかに数え入れたら同庁は怒るだろう。が、法文系官僚にとっては同様の文脈でとらえられている。両者の反目はそれほど激しいのだ。
ともかく、技官の”独立王国”がいちだんと閉鎖性を強め、霞が関の多くの部局で深刻な事態をもたらしているのはまちがいないところである。果たして、霞が関はこの「技官問題」を解決できるだろうか。筆者は、問題がさらに深刻化することはあっても、解決は絶望的だと見る。
その理由は、技官の”独立王国”のどれもが政・財・官の癒着構造のなかに完全にビルトインされており、すでにそこから抜け出すことができなくなっているからである。仮にどこかの”独立王国”が崩壊すれば、関係する業界・団体は致命的な打撃を受け、倒産、失業を生むことにもなる。大きな”独立王国”であればあるほど、それが政治的、社会的に与える影響は大きくなるだろう。いまや、個々の”独立王国”の存在そのものが日本社会の縮図となってしまったのである。
また、現在の法文系官僚に、現状改革を期待するのも無理だろう。「技官問題」の根は深い。法文系官僚が技官に本省幹部ポストを譲る代わりに、改革のために”独立王国”の幹部ポストに何人かの法文系官僚を送り込むといったことが実現したとしても、それはほんのわずかな手直しに終わるにちがいない。まして、癒着構造に深くはまり込んでいる自民党政治に改革の期待を寄せるなどというのは論外である。
今後、「技官問題」は霞が関を蝕みつづけ、政府の機能低下をいちだんと推し進めることになるのは確実だ。霞が関は活力を失い、経済社全での地位もまた低下していくことだろう。
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官民癒着の腐れ縁・天下り官僚が嫌われるこれだけの理由
野木裕子(ルポライター)
…(略)…
天下り先で次々と退職金を……
さて天下りの第三の弊害としては、やはり退職金問題を取り上げるべきだろう。官僚たちは退官後いくつかの職場を渡り歩き、そのつど退職金を受け取る。民間企業や公益法人の場合は千差万別だが、特殊法人の役員退職金については「退職時俸給月額×O・36×在職月数」と決められているから、それで計算してみよう。なお特殊法人の役員俸給についても、規定が設けられている。AからDまでランクがあって、Aランクの場合総裁が百四十二万五千円、理事は九十六万六千円だ(ただし一九九二年十月時点の規定)。
それに基づいて計算すれば、総裁を半年務めれば三百万円強。五年務めたとすると三千百万円弱の退職金が得られる。特殊法人の総裁を五年、別のところで理事を五年務めれば、合わせて五千万円以上になる(表7参照)。
これだけ見れば、多いという感じはしないかもしれない。「公団の総裁あたりなら、このぐらいもらってもよいと思う」という反応が多いのではあるまいか。
それに対して筆者が会った政府関係法人の職員たちは、申し合わせたように「冗談じゃない」と怒っていた。「一回目の退職金なら、誰も文句は言いません。二回目、三回目なんですよ」「僕らのようなプロパーが大卒で入って定年まで勤めた場合の退職金は、どんなに多くても三千万円です。いくら偉い官僚だったか知らないが、五年で三千万円というのはムチャじゃないか!」。
退職金の高さについては、官僚の方にもそれなりの言い分がある。在職中の自分たちの俸給は安過ぎるから、二回以上退職金をもらわなければ割が合わないというのだ。
では官僚たちは、いったいいくら賃金をもらっているのだろうか。
俸給月額、いわゆる基本給にあたるもの
は、事務次官で百二十六万六千円。局長は九十六万一千円だ(ほかに調整手当などがつく)。退職金は勤続年月によって決まる。二十五年勤めて局長で退官すれば、四千二百八十一万二千五百五十円。三十年勤めて次官で退官した場合は七千三十四万九千四百円である。三十年勤続の次官がその後十年間特殊法人の総裁を務めれば、退職金は合わせて一億四千万円ほどになる。
これらが高いのか安いのかは、見方による。ただ、官僚本人たちは「安い」と確信しているようだ。
官僚の賃金は高いか安いか
「官僚は、口を開けば薄給だ薄給だと言いますね。民間と比べていかに恵まれていないかと、息巻くんです」と言うのは、運輸省関係の業界紙記者で、日々キャリア官僚と接しているW氏。
「でも彼らが比較の対象にしているのは、超一流企業だけ。富士銀行の支店長だの、三井物産の重役だのとだけ、比べているんだ」
民間の給与および退職金を調べてみると、たしかに官僚の月額俸給は悪くない。事務次官ともなれば民間企業常務取締役の全国平均より、高いのである。退職金にいたっては大卒で民間企業に入り、三十年勤続した場合の平均が一千万円あまりだから、段違いであることがわかる(表8参照)。
「それでも、官僚は納得しない。僕は運輸省のキャリアに”恩給の額も高いし、生涯賃金で言えば民間より恵まれているんだ”と言ったんです。そうしたらまじめな顔で、”当たり前だ。おれたちはエリートなんだから”と言うんだよな。結局彼らが仲間だと思っているのは、一流企業で出世した人間だけ。ほかは虫ケラだと思っていることがよくわかったね」と、W氏は不愉快そうに語った。
「東大を出たから金銭的にも恵まれて当然、と思っているんですかね。役人の頭の中は、わかりませんな」と苦笑いするのは、ある民間企業の取締役社長。ちなみにこの社長サンも東大経済学部卒業で、官僚になった同期生が大勢いるという。現在は全員がすでに退官して、天下り先に散っている。
「彼らはよく”民間全社の重役は”と言いますが、どっさりもらえるのは儲かっている会社の重役さんだけ。うちあたりは中小企業で業績もよくないので、私なぞの月収は事務次官どころか、局長よりもかなり下です。役員賞与は取らなかった年もあるし、退職金もどうなるか。経済的なことだけ言えば、業績にかかわらず決まった額をもらえて、再就職後もなんども退職金の入るお役人の方がけっこうだなと思いますがね」
またしても余談だが、ある通産省関係の公益法人が赤字を出したとき、天下りして来た理事は職員全員の前で「最初にやるべきことは、人員削減である」と演説したそうだ。
「民間なら、それより先に役員報酬を減らすなど、役員が責任をとると思いますね。うちの場合は職員を減らしただけで、役員はひとりも辞任せず、報酬もそのままだった。有名な財界人が”役人はまず(カネを)自分のポケットに入れてから考える”と言ったけれど、本当だなと実感しましたよ。自分の取り分は、絶対に確保する」と、その法人の職員がこぼしていた。
もちろん、やっぱり官僚の収入は低いと判断する人もいるだろう。官僚の俸給と退職金については、天下り先のそれも含めて、よく議論されたほうがよい。
たとえばこんな意見もある。
「まあキャリアの仕事はたいへんだから、官庁も金で報いようとするんでしょうが、それなら正攻法でやるべきだ。今は官庁が自分のところで出さないで、よそを回してトータルでたくさんあげようとしている。ずいぶんコソコソしたやり方じゃないですか。他人のフンドシで相撲をとってるわけでしょう?はっきり言って、汚いよ」と、ある建設省関係法人の職員・T氏。彼は官庁で払う俸給・退職金の額を増やし、二度目以降はどちらも規制を設けてぐんと減らせばよいと考えている。「そうしたら少なくとも、仕事する気はなくて金だけが目当て、という天下りは減ると思う」。
金の問題以外に、ピラミッド維持のための淘汰の制度や、ノンキャリアの勧奨退職についてもそろそろ真剣に論じられるべきではないか。現象面での天下りの善し悪しだけを論じていては、何も解決しない。日本の官僚システムと社会構造そのものを、根本的に見直す必要があるだろう。部分的にいじっているだけでは、病いは深く静かに潜行するばかりである。
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