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(回答先: Kさんが間違いなんていってませんよ。 投稿者 NJ 日時 2005 年 7 月 28 日 18:18:17)
>NJさん ご意見には感謝しています。
色々と難しい所があるので「Kの対する質問には十分な回答ができるとは思えません」あらかじめご承知下さい。
【kさん、信頼されたいでしょう?なのに、Kさん自身、どんなひと(どんなことに価値を置き、どんな未来を夢見ているか)か、ちっとも、分らない。いくら読んでも、こうも言える、ああもいえる、といっているだけだ。】
Kは余り信頼してほしいとは思っていない気がします。
Kは実生活において「何か、面倒を押し付けられているような気がしているので(被害妄想かも)、できれば信頼されたくない」という考えも持ってます。
どうも周りの人はKを「欲がない、お人好し」と思っているようです。(他人へ紹介するときにそのように紹介されますので、そうなのでしょう。)
Kに言わせれば不当な評価だ、と思います。(Kは人並みと思っています。)
Kの描く未来は「昭和の高度成長期の頃を起点に、できるだけ多くの人が『幸福感』を感じて暮らせるような社会」とイメージして下されば良いと思います。
もう少し具体的に書きますと「国民主権」「労働組合は資本階級と馴れ合わず職場環境の改善を目指す」「基本的には終身雇用・護送船団方式」・・・
あんまりあくせく働かなくても「何とか食っていけて」「失業者や倒産が少なく」「人間がのんびりしていて、趣味などに興ずる事ができるような」社会です。
Kの今までの主張は「ほとんどが、その方向を目指そう」と書いていると思います。
>【kさん、悪ぶってるけど】
Kはどちらかと言えば「ブリッ子」してるかな〜と思っています。本人はもう少し「悪」です。多分、きっと、おそらく・・・
>【Kさん自身に主義主張はホントにないの?】
どうでしょう?既存の思想団体、宗教団体の中にはないと思います。(部分的にはあるでしょうが、全面的に同意できるような物はないと言うことです)
同時にKは自分に対して「自信」はゼロ(極端に言えば自分が一番信じられない)ので、できるだけ「心で考えず」「計算・理屈で考えよう」とは思っています。
その上で【一つの価値感に囚われないように】に注意はしています。
>【都合悪いから隠してるんじゃないかと、疑ってしまう。】
ここは、あきらかに隠していることはあります。そうでなければハンドルネームなど使いません。ハンドルネームを使うにはそれなりの訳があり、考えがあるのです。
ただし、公安とか、調査のためとか言うことではありません。
プライベートを守りたいのと、誰かに迷惑でも掛かるかもしれないからです。
「お宅の職員がこんな事、書いてる」とか言われないためですね〜
>【自分の主張を通そうとするなら、正しい手続きをとり、すぐに結果を求める性急さを改め、目的地にたどり着けるための知恵を高め、我慢強くあることを学びなさい。そこで培われる柔軟で強靭な態度こそが遵法精神と言うものだ、ということでしょうか?】
は、かなりKの考え方に近いですね、ただ、正しい主張なら「いずれ自然に道は開かれる」と思っていますので、「その時までチャンスを待った方が良い」というような楽観論的な考えを持っています。
>【全ての学童生徒に、愛国矯正教育をしなければ亡国する】
という考えはKの中にあると思います。ただし、洗脳とか愛国精神を植え付けると言う意味ではなく「他人に迷惑を掛けるような人にはなるな、責任と義務という物があると言う事を忘れるな」という道徳教育を増やした方が良い程度の物です。
ニートとかパラサイトシングル的な者は減らしていかなければなりません。
今の内に適切な教育改革を行わないと「徴兵制度」で性根を叩き直せという意見がでてきます。
この辺にしておきます。体制とルールについては「近い内にKの考えをまとめて、ブログかHPか雑談板あたりに書きたいと思っていますが、
基本的には「現状では守る事を前提にしなければいけない」と思っています。
無秩序をKは好みません、しかし、体制が体制を維持するために方便として作った「ルール」に異議を唱えるなとは言いません。
>【君が代で、強制されることに異議を唱えることが、犯罪者扱いなのか?】
ここが問題なのですが「言論を持って、平和的に異議を唱えるのは大いに結構(口げんかになったとしても)」だと思っています。
しかし、実力行使(卒業式の暗黙のルールを無視するかのような抵抗の態度表明)は問題だろうと思っています。
「君が代反対」は個人の主観(イデオロギー)と言うのがKの考えです。その歌を歌う人が100%になったから「戦争ができる日本になる」とはKは思いません。
逆に誰も歌わなくなったとしても「戦争になる時には、なるだろう。」と思います。
結局は「体制に嫌がらせをするために共産主義者が作り上げた、混乱を引き起こすための運動の一つ」なのだろうとKは考えています。
やっている人は「個人の意志でやっている」というのは、正しいのでしょうが「正しくないのです」
某学会の信者は「自分の意志で納得してお布施をあげます」
Kはそれと同じなのだと思います。
>【私自身、今は、公職追放されれば、再就職先、受け皿が無いので、次も立つな、歌うな、と先生方を鼓舞したくはないです。レッドパージの当時、民医連という組織が、受け皿になりました。沢山の公職追放を受けた人を受け入れました。今、この組織に、先生を、現行の給料を下げることなく雇い入れることはできないでしょう。】
と考えるのでしたら、その考え方を大切にしてください。
Kの考えは「間違いなく、人間的な感情を切り捨てて、損得勘定に振っています。」
そんな事は自分で意識しています。
ですから「Kが正しいなんて言っていない」と繰り返しています。
NJさんの「その気付きにまで達すれば」後の選択は「自己責任」なのです。
そこまで達してくだされば「運動至上主義」が必ずしも正しいとは限らないと理解はされているのです。
その上で「続けるのならばKの口出すことではありません」
そこで始めて「個人の自由意志の尊重」になるのです。
端から「この行動は間違っていない」の一点張りだから、Kは「もっと考えたら」を繰り返したわけです。(NJさんに繰り返したわけではありません)
では、では