★阿修羅♪ > 議論21 > 540.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 労働者階級が大同団結して悪政に対抗するべき時ですので、君が代などで対立している時ではありません。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 7 月 25 日 22:29:32)
ワヤクチャさんのご指摘のレスは「ワヤクチャさんに対して行った物ではありません」
自らの信念に従って「不利益を受けそうな事を書いているので」「良く考えた方が良い」との意味で書いた物です。
例えば、ピストルを持っている悪人に「素手で止めようとしている人がいたとしましょう」
Kは「止めます」(上記のレスはそのような状況下の物です。)
それに対し、ワヤクチャさんは「悪人を止めようとするのが何故悪い」と言って来たのですから、止め方の時の「やや、公平でない立脚点での言葉を捉えて、君が代を唄うことに賛成している」とされても困ります。
Kは繰り返し「君が代反対の理念」に反対するわけではなく、手法を問題視していると書いてます。ただし、賛成もしていません。
現実問題として「歌わない奴がいる」から規制が厳しくなるのです。
「歌わない自由」というのは屁理屈です。
あきらかに、イデオロギー的な体制に抵抗の態度表明であり「闘争」でしょう。
で、実際の問題として「誰が、一番迷惑を受ける」のでしょう?
Kは同僚であり、生徒であり、父兄であり、そしてもっとも困るのは、元は同僚とか先輩だった「管理職、もしくは責任者的立場の教師」なのでしょう。
Kに言わせれば、現場の管理職は立派な労働者階級の仲間です。
つまり、真の意味での「敵」には何ら打撃を与えられずに、労働者同士で「厭な想いをするだけ」で「分裂しあって、反発しあって」その上で「処分され」「規制が強化されていく」のです。
あるのは「本人の自己満足」だけで、給与が下がったりすれば「家族に迷惑も掛かります」
そんな行動を後押しするのは「素手で拳銃所持の悪人に対抗しようとする人」を応援するのと同じですし、
「民間人のど真ん中で自爆テロをするのを応援する」のと同じであり。
「戦車の前で座り込みをする人」を応援するのと同じであり。
「イラクに戦争を見に行きたい人を止めない」のと同じです。
しかし、何もしなければ「状況は悪くなる」という考えはあるでしょう。
良いですか、ここを良く考えて下さい「君が代反対」は昔からあったのです。
前は「処分など無かった」
処分されるのは「歌わない自由という屁理屈で、場を乱す者が放置できない状況だと判断されたから」です。
卒業式というのは一つの「儀式」です。
良い悪いはともかくとして、人生における一つのけじめとして「キッチリとやるべき」と言う方が多数派だと思われます。
残念ながら、今現在は「歌は歌」と思って割り切るのが「利口な方法」だと思います。
他人に迷惑を掛けたり、厭な想いをさせる運動は「多数派形成にマイナス」ですし、決して実る事は無いのではないか?とKは考えています。
たしかKの記憶では、一時は「仰げば尊し」にシフトしていったはずですが、右派に巻き返しされたのかな?とも思います。
変な対立構造さえなければ「一定のイデオロギーを彷彿させるような歌」ならば、自然に廃れていくはずだとKは思います。
しかし、現状では「そのような風潮に社会がなっていません」
右派が先か、左派が先かは別にして「どちらかが、しょっちゅう対立を煽ります」
結果は「憎しみの連鎖」によって、規制ー処分ー抵抗ー規制強化の悪循環です。
体制を変えるのには「多数派形成で選挙に勝つか」「武力革命」しかありません。
まさか今更「武力」とはいきませんから「多数派形成」しか無いわけです。
Kの考えでは「イデオロギー」は多数派形成には足枷になる。と思っています。
天皇制賛成も反対も一種のイデオロギーでしょう。
ただし、これは「反対派に有利です」人間平等・公平と考えれば「自然と天皇制は消えるはずです。」
しかし、逆に変な刺激をすれば「賛成派」は「日本の伝統文化」を守ると言う意味で結束を固めて、強化されます。こちらが刺激すれば、相手側は危機意識を高めるのです。当然対処を行います。
「日本の伝統文化」と言うのは「反証不能のイメージ」なので「革新派(左派)」には不利な要因です。
まあ、物事はそんなにストレートに割り切れる物ではなく、複雑です。
Kは自分を正しいとは思いませんから、多数の人の意見を尊重します。
ただ、迎合するという意味ではなく、その中で「自分の意見を活かす方法を模索する」と言う事です。
つまり、実現可能な着地点を探り、現実的な問題の解決策に向けて「少しづつでも進んでいこう」と思うわけです。
戦車の前に座り込む人は「オールorナッシング」もしくは「一か八かの賭」です。
ただ、一つ間違った前提があります。本当の相手は「その場にはいないし、いたとしても普通の人と同じ様な心は持っていない」と言う事が分かっていません。
敵は「お金を貯めること以外は興味はなく、お金のためなら親兄弟も捨て、邪魔な存在が戦車でひき殺されても、気にも止めません」
ですから、常にナッシングの答えしか出ず、賭には負けて「犬死にになります。」
後に残された者は「心に深い悲しみを持ち」本人は「自己満足と引き替えに天に召されます」
だから、止めるのが正しいのだと思います。
ワヤクチャさんには「Kには理解できない部分があります」
それは「天才過ぎて凡人には理解できない」のかもしれませんし
「狂気とか憑き物のたぐい」かもしれませんが・・・
ですから、今後は別の道を行こうと思っています。
これ以上Kに絡まれるようですと「都会暮らしさんの言っていた事は『完全に真実だった』と言う事です」