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(回答先: Re: 白黒つけるのは困難かと思います。 投稿者 ジャン 日時 2005 年 7 月 17 日 19:45:02)
ジャンさん、レスありがとうございます。
公益的権力と「支配の為の権力」という風に権力を分類したとしますね。
それでは、これらの権力はそれぞれの属性「のみ」を発揮する権力として
独立的に存立可能なのか?という事が問われねばならないと思います。
私は、あらゆる「支配の為の権力」は「公益的権力」の衣をまとっていると考えます。
「私に支配されるのが貴方たちにとって一番幸福な事なのだ。」というイデオロギーを振りまいているという事です。
つまり、「アメとムチ」を両方合わせ持っているのが権力であり、支配するだけの権力などというものが基盤が極めて脆弱であるという事です。
軍事支配だけの政権の基盤が脆弱だという言う事です。
資本家の支配に対して私は「貧者の論理による強制」を対抗的権力として樹立しないといけないと考えております。
>Re: 白黒つけるのは困難かと思います。
>http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/434.html
>投稿者 ジャン 日時 2005 年 7 月 17 日 19:45:02: tV9DFzLB7Zpg6
>(回答先: 「縄文時代はよかった。」で?どうやって縄文時代のいい所を取り入れるの>か? 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 7 月 17 日 16:38:25)
>ワヤクチャさん、お久しぶりです。
お久しぶりです。
>議論の過程を整理していただき、ありがとうございました。
>そういうことでしたか。そうだとすると、私の投げかけた疑問は無意味のようです>ね。
>商品生産社会において、生産物が社会的性格と私的性格、交換価値と使用価値に分裂>する要素を持ったのと同様に、国家についても、社会性と私的性格、公共的性格と支>配階級の支配の道具としての性格とがあるのかもしれませんね。
そうですね。
常に両面を合わせ持ってきたと思います。
>ワヤクチャさんが、権力は残ると考えるのは、そうした公共的性格の権力に留意して>のことであり、縄文ビトさんが権力の廃絶を言われるのは、おそらく支配の道具とし>ての国家のことでしょう。
少なくとも現在の資本家の権力に対抗する為には資本家に対する公然たる強制力としての権力の樹立が必要であると考えます。
権力一般の否定は現在の状況を突破する事を不可能にすると考えます。
一国社会主義という権力は国家資本主義にしか過ぎず資本家に対抗する権力ではありませんでしたが。
>たぶん農耕社会が権力と争いをもたらしたというのは、全体的な傾向として語られて>いるだけで、かならずしもそうではないでしょう。13世紀に大帝国となった、チンギ>スハーンのモンゴルは遊牧国家であって、それ以前に部族内部の争いは頻繁にあった>ようですしね。
農耕や牧畜が剰余生産物を生み出し、その剰余生産物の私的取得が権力の発生だと考えたようですね。その権力発生の見方は正しいのかも知れません。私は集団による狩猟時代からその萌芽があった可能性を考えているのですが。
>なお、資本家階級への課税か搾取廃絶への呼びかけのいずれが手段として正しいかと>いう点に関しては、現実的要求を通じて組織を作るか理論学習を優先させわるかとい>う程度の違いだろうと考えております。
目的の提示という意味では「搾取なき社会」でいいと思います。
しかし、目的の提示をした次の瞬間にはその目的に至る道筋を示す必要があります。
もし、その道筋を明らかにできないのであれば目的としても成り立たないと思います。
我々は「あるべき姿」に向かって現実をどのように変えるのか?という風に発想すべきであり、「あるべき姿」を示したダケでは具体的目的を示した事にはなりません。
>革命的理論なくして革命的実践なしといわれますが、何が革命かということについて>は、そうした手段の問題とは別の議論ということになるでしょう。
何を目指す革命か?という事ですね。
それについては「全ての人が生きられる社会」でいいと思います。
その為に「搾取の廃止」などが必要になってくるのです。
環境の保全などは前提です。
>私が概観してきたところでは、現時点で白黒つけるのは困難かと思います。
了解しました。
また、ご検討をお願いします。