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(回答先: 連合赤軍は段々と観念論(形而上学)に陥っていったと考えます。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 7 月 09 日 22:54:38)
ワヤクチャさん今朝(月曜日朝)読ませていただきました。私は土日は休みますのでインターネットのつながらないところにいます、そのことでメールを開けるのが月曜日になってしまいます。
またはっきりとした文章を書きたく少し時間をください。
ただ言えますことはワヤクチャさんは形而上を何か勘違いしているようです。形而上の認識を得るというのは、形而下の認識の上を行くものです。現在でも多くの知識人が形而上を観念論として観ているようですが、一度哲学者によって出されたそのときの形而上の認識論は、出されたときから、他の人がそれを受け取ったときそれは形而上とはならなくなり、単に形而下の知識でしかありません。魂・神・空間・時間等それ等はソクラテス・プラトン・アリストテレス等の形而上学は2300年程前のものであり、現在では心理学・生物学(進化論)天文学(天動説と地動説)等により科学的に解明され、それらを追及する学問を形而上学とはなりえません。
そしてワヤクチャさんの言っていることはそれらを踏まえたうえで科学的でないものを形而上学として考えているのではないでしょうか。しかし現在でも実証されないものは科学的でないということから形而上学的なものは何もないという風潮がありますが、それは実際とは少し違います。
実証・または証明されなくても、論理的に導きだされるもので有るならばそれは形而上の問題であると言うことが出来ます。ただしあくまでもそれは認識論ですから。最初にそのことを考え付いた人だけが、またその問題でより認識を深めていく人だけが形而上を理解しているということになります。
これは形而上だよといってある問題を提起した人は彼なりの論理性を組み立てて提起しているのであり、また違う角度からその問題を提起できるということです。
その人から出された解答を知識として受け取った人は、それはもはや形而上ではなく形而下の認識でしかありません。
端的に言うならば、最高の形而上は、全ての問題を理解し、認識として持ち、そして最後にそれ等を総合して出した解答『人間とは何か』それが最高の形而上的認識論です。
ワヤクチャさんは出せますか。
頂いたメールの返信はこれから書かせていただきます。