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新規に立てますその1 Re: 連合赤軍事件が起こった原因は「純粋なる革命戦士」 この意味の説明を
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投稿者 縄文ビト 日時 2005 年 7 月 04 日 07:12:40: egUyw5BLxswRI
 

ワヤクチャさん返信が遅れてすみませんでした。  
W> 縄文ビトさん、ご質問ありがとうございます。
W> まず、形而上学の定義を確定しないといけませんね。
W> 私は形而上学を「五感によって与えられる事の無い対象についての学」と理解しております。

J 問題はワヤクチャさん自身が五感意外で物事を認識できるかということになりますが、またリンチ殺人事件の当事者が五感意外で感じていたのかということになります。では彼らが陥った感覚とはどのような感覚かということですが。彼らに代わって理解できるのでしたら説明をしてくださるといいのですが。

W> この定義自体が妥当であるかどうかは議論があるでしょう。

J 認識論ですから、五感とは少し違うような気がします、なぜなら知識は五感に入らない、認識はその知識の上をいくものだと感じますが。私が答えてどうするのか、ワヤクチャさんに聞いているのに。

W> 例えば、「死とは何か?」というのは自然学的対象であると同時に形而上学的対象でもあるという事です。
真理や神と言った五感では直接与えられない対象について考える事は形而上学だと思っております。

J むしろ五感というよりも先に来るのは知識であり、またその知識とは違うレベルのことだといえます。知識とは親から教わったこと、学校から教科書を通して教わったこと、そして社会から教わったこと、本等から・新聞等から得た知識、それらの教わったり、自分が読んだりして得た知識を土台として、その人の生きている時間の中でその人自身の五感を通して得た経験を利用し、 新たに自分のものとして認識していく事柄があり、形而上はその上をいくものであるといえます。

J 例えば「死とは何か」それは本で読んだり、人から聞いたものであり、また身近な人の死であったり、しかしそれは自分の死ではないはずです、では自分の死とは何なのか、そこに時間と空間を織り交ぜたとき形而上の部類に入ったといえますが。       
J 時間と空間を認識するというのも形而上の事柄ですから。             では自己の死とは何なのか?

W>> 連合赤軍事件が起こった原因は「純粋なる革命戦士」という形而上学に彼等が陥った為であると私は考えております。

J>> ワヤクチャさんこの意味を説明してください。なぜ形而上学なのですか?

W> で、この意味ですが。
W> 「純粋なる革命戦士」なる概念は、実際に存在する革命家の平均像から遊離して、

J 平均像とは具体的にどのようなものだったのですか。

W> 「革命戦士はかくあらねばならない。」という理想像を追求した概念であろうという事から、「五感で捉える事ができる革命戦士という現実的表象から遊離したイデアとしての形而上学的表象」に陥っていると判断したのです。

J 単なる観念論の説明をしているようにしか思えませんが。                 私はそのときのことが少しは頭に残っておりますが、彼らは最初グループを結成した当時はワヤクチャさんが表現する純粋なる革命戦士はこうあるべきだということでリンチ殺人事件を冒すような考え方は無かった、そのようなものが最初から彼らが考えていたとしたら、人民を解放する、しかし解放された人民は現実に生きているときよりもより強制を受ける支配が彼らによって行はれるということになりますが。

W> 「純粋なる革命戦士」はセックスなどという世俗的な欲望を求めてはいけないという事です。

J 権力闘争によって人民を解放する、しかし解放された人民は彼らが仮に支配した社会では上記文章にある世俗的な欲望を拒否されてしまうことになりますが。もし彼らが本当に考えていたならばですが、ワヤクチャさんがペンを走らせすぎたのだったら別ですが、でなかったら宗教が主体となった以上の社会を作ろうと彼らが考えていたことになりますから。最初からそのようなものであったら社会が受け入れるわけが無いということになります。

W> つまり、現実に存在する人間で何かを行うのでは無く、
現実には存在しないイデアとしての「純粋なる革命戦士」という基準から判断して
現実の人間を裁定するという誤りを犯したと考えているのです。

J ワヤクチャさんが代弁するとおかしくなりますが。私たちが考えていたのは彼らは追い込まれてしまった結果、異常な妄想の世界を作り出してしまった。            この当時のことは私たちは新聞・テレビでの知識しかありませんから正確には判断できませんが。

W> 実際に存在するのは生身の人間であり、イデアとしての「純粋なる革命戦士」などというものはどこにも存在しないという事が分からないという誤謬であったという事です。

J 彼らが彼らの世界で考えるだけでしたら、我々には何の危害も無いのですが、革命戦士という以上、我々大衆を解放するという使命があったというわけです、彼らが考えていた人間社会はこうあるべきだということは即われわれに降りかかるわけですから、最初から「純粋なる革命戦士」などというイデアはなかったと考えたいです。

W> イデアから判断して「この人間は価値が無い。」「革命戦士では無い、裏切り者だから殺してしまえ。」となったと思います。

J 革命戦士はこうあるべきだというイデアが最初からあり、最終的には殺人を犯し、また殺人を正当化するイデア 、このようなイデアを彼らが最初から持っていたとは考えたくないし、ワヤクチャさんが書いた文章を加害者であり被害者である親御さんが呼んだとしたら怒り心頭に発するのではないですか。

W> 革命家は現実を知らねばならず、自分の頭の中だけにあるイデアから現実を見るという思考法では必ず失敗するという事を私は連合赤軍事件から教訓化しました。

J 言葉では言っていますが、ワヤクチャさんは現実を知っていない、自分の頭の中にあるイデアで物事を判断している。少なくともワヤクチャさんが革命家であったとしたら連合赤軍事件をまだ教訓化していないと感じますが。

W> 「革命家が武装蜂起をすれば大衆がそれに感動して武装蜂起するだろう。」というような革命論では失敗するという事です。

J その当時一般民衆は彼らを革命家としてみていたのかという問題にもなります、少なくとも革命家としては見ていません。だから小さな部分で蜂起をしたとしても、感動して付いていくなどということは現状を理解していなかった彼らの観念論でしかなかった。ここに彼らの大きな問題がありただ単に権力闘争では民衆は立ち上がりませんとしかいいようがありません。ワヤクチャさんも権力闘争云々だとしたら民衆から乖離してしまいます。私も民衆の一人として無理だと判断するわけですから。

W> 念の為に私は暴力革命論は否定しております。
対抗的権力の樹立として革命を遂行したいと思っております。
弾圧を受けにくい形態での革命です。

J どのような革命ですか、私自身も縄文ビトとしてのやり方、上野のホームレスの方たち五十人ほどに日当を払い『労働の売り買いのない社会を創ろう』『他社の労働の私有化を禁止させよう』『人が人を使って利潤を得ても良いという権利、人はそれを誰に貰ったのか?』等のプラカードを持ってデモをさせようと考えているわけですから。 この間上野公園に行って宗教家による炊き出しの集会を写真にとって来ました、毎週土曜日開くそうです、三百人以上の人が集まっていました。

W> あの時期にあった暴力革命論はスパイによる挑発的扇動であったと総括しております。
一網打尽にする為の扇動です。
大菩薩峠での逮捕などがそれにあたります。

J その当時ワヤクチャさんはどのような役割をしていたのか知りたいです。

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