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(回答先: Re: 私はそうは思わない。あなたは思想が硬直している 投稿者 スパルタコスポノ 日時 2005 年 6 月 10 日 22:45:44)
スパルタコスポノさん、あなたのおっしゃりたいお気持ちも分かりますし、
私を多くの人が怖がる事を心配してくれておっしゃっていただけた事に感謝いたします。
しかし、現実をどのように捉えているのかを申し上げなければなません。
この世は強制(命令)同士のぶつかりで成り立っているという事です。
ほとんどの人間にとってこの世は働かない事には生きていきない世です。
つまり働く事を強制されております。
一部の働かなくても生きていける人々はその地位を安泰にする為に人を殺す事をも躊躇しません。
このような強制の中で我々は生きているワケです。
当然、このような体制を覆そうと思う人々に対してはあらゆる暴力を使って対抗してきます。
だから、逆にこのような連中に対してそういう行いを許さない強制力を革命派は持つ必要があるのです。
そうでなければ勝ち目はありません。
その事を対抗的権力と申し上げているのです。
権力の中身は色々なレベルがあります。
法や組織や思想的権威も権力になりますし、
たった一行の言説ですら権力になり得ます。
「殺すな!」という命令自体も戦争回避や軍需産業解体の為の権力なのです。
そのような意味で権力という言葉を使用しているのです。
強制力と言ってもいいかも知れませんが、同じ事です。
けんりょく 1 【権力】
他人を支配し従わせる力。特に国家や政府が国民に対して持っている強制力。
「―を失う」「―の座にすわる」「―者」
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%B8%A2%CE%CF&kind=&mode=0&jn.x=17&jn.y=7
70年前後の学生闘争の中の全共闘では「反権力」というスローガンがありました。
これは間違いであったと私は思います。
反権力と言えば政府や国家に対して対抗しているように一見見えますが、実は党を作るという事にも反対していたのです。
運動が全てでありあらゆる権力形成が間違いであると。
これは党派の活動に引き回されたと感じた人々に共通の感覚でしょう。
運動内部の官僚に対する反発と言ってもいいかも知れません。
しかし、運動の長期化が官僚を生み出すのは必然ですし、官僚の出現を恐れて力を結集させないなどという方針は運動を勝利に導きません。
よって「力を結集させない。」為の「反権力」というスローガンは明確な誤りです。
民主集中制に対する反発も似た点があるので、微妙なのですが。
既に国家権力を掌握した後の民主集中制は一国社会主義という制約の元では官僚支配の肥大化をもたらしたと思いますのです。
我々は官僚の下部運動家に対する権力を肥大化させない形での資本家階級に対抗する意味での権力を形成する必要があるのです。
>Re: 私はそうは思わない。あなたは思想が硬直している
そうですかね。
しかし、「硬直している。」というのは必ずしも批判に成り得ていないのですよ。
思想は間違っているかどうかが問題なのであって、「硬直している。」というのは批判になっていないのです。
「硬直している。」というのは「一貫性を持っている。」とか「論理的に整合的体系を持っている。」証左かも知れないのです。
>http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/309.html
>投稿者 スパルタコスポノ 日時 2005 年 6 月 10 日 22:45:44: VwFkRnCGdf9dw
>(回答先: 私自身が権力者に成りたいと言っているのではありません。 投稿者 ワヤク>チャ 日時 2005 年 6 月 10 日 15:20:59)
>>縄文ビトさん、あなたは現在権力というものがある事をご存知ですよね。
>>では、その権力はどのようにして解体されると思いますか?
>>その解体作業こそが民衆に指示された対抗的権力(実際的には野党権力)が行うも>>のなのです。
>>野党も立派な対抗的権力なんですよ。
>>党員から党費を集めたり他党派と政治闘争をやっているのですから。
>>そのような権力闘争抜きに社会がよくなる事はありません。
>私は権力闘争は一つの手段でしかないと考えている。
私は最終的には権力闘争によって決着が付くと思っております。
こちら側の強制が敵強制力に勝るという形で。
あらゆる手段で行われている闘争が結局はデモ隊による政権交代というような形を取って政権を交代させるのだと思います。
デモ隊に対する弾圧はあるでしょう。
それは、それが権力闘争の最終形態だからです。
>権力闘争で社会がよくなる場合もあるが、よくならない場合もあると思う。
どのような権力闘争かによりますけどね。
権力一般について語っても形而上学に陥ります。
例えば「首相の靖国参拝を阻止する為の権力闘争」が現在行われているのです。
>ただの権力抗争におちる可能性もある。
自民党内権力闘争はどちらが権力を取っても大差ない場合が多かったですけどね。
>逆に社会へのより良い提案や発明、話し合いが社会を良くしてきた面もある。
より良い提案を実行する為に強制力が必要なのです。
地球温暖化防止の為に国際会議という強制力が必要であったように。
強制力無き実行などというものはありません。
>権力闘争とは社会改善の一つの手段と考えている。
最終手段であり、全ては権力闘争へと収斂していくのです。
このような書き込みも全てそうです。
>それが全てだとは思わないし、それが社会改善要素の全てだと思うなら、間違いだと>思っている。
どうしてでしょうか?
>そういう問題の捕らえ方では思想の幅が狭くなる。通常はむしろ、話し合いや改善提>案によるものの方が大きいが、今の日本では限界が来ているので権力闘争が問題化し>てきているのだ。
小泉は戦争へ向けてゴリ押しをしてきております。
小泉の強制に対して我々がどう対抗するのか?
これぞ権力闘争です。
日本をどちらへ向けて動かすのかをめぐる闘争なのです。
だから、自民党内反小泉派や公明党とも組めと私は提案しているのです。
統一戦線が組めなければ権力闘争には敗北します。