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>縄文ビトさんが提起されている「労働力の売買の禁止」は「金の再分配」を先行させなければ実現不可能です。
金が無ければ誰も生きていけないからです。
この問題に対し理解されていないのではないかという気がいたします。
前にも書きましたが、私企業から労働を売って賃金を貰うのではなく。全体が社会のために働いて社会から受け取ればいいのです。そのようにすれば私企業の利潤追求のために自己の労働力を売らなくてもいいのです。
ただ今まで私の書きました本「人が人を使って利潤を得てもいいという権利、人はそれを誰に貰ったのか?」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4835570464/ref%3Dnosim/asyuracom-22/249-1723922-7605957 (宣伝で申し訳ありません)
には書いてあります。
ただ、本を出すときの出版社との出版契約という取り交わしがあり、自己の本の内容を自らがしゃべることは許されません。もしできれば本を読んで質問をしてくだされば許される範囲で答えることが出来ます。そこには神(宗教)の問題もあり創価学会の人が嫌がる内容が入っております。
また、人々の労働がいかに私有されていったのかも書いております。
階級・階層・不平等とは何か。現在考えれば未熟な面も多々ありますが、その本を土台として今まで書いてきました。
今まで私が阿修羅の掲示板に書き込んできたのは本からは全て外れております。なぜなら契約のことを念頭に書いているからです。
人の労働は売り買いされるものではない。社会のために働き、社会から受け取る。そこには他者の労働を私有する人間はなくなります。その社会は利息というものが無い社会です、当然株も無く、生産手段なるものは社会の所有となります。計画経済が必要なのだというものを社会主義の中に誰が組み込んだのかということを私から質問したいです。
社会のために働き社会が全ての人を養う。そこには市場経済・計画経済は自然の流れとして、人々はよりよいシステムを考えていくことだと考えます。なぜなら他者の労働の私有化が不平等の始まりだということは真理だからです。