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以下は「日本の取るべき戦略」の第24章への追加です。
「日本の取るべき戦略」の既掲載分は次の通りです。
http://www.asyura2.com/0403/dispute17/msg/920.html
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/140.html
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/639.html
http://www.asyura2.com/0406/dispute19/msg/144.html
http://www.asyura2.com/0411/dispute20/msg/261.html
24−4.自由という名の欺瞞
自由・民主主義の欺瞞に加え、国民が騙されているスローガンがまだ沢山ある。その一つは自由交易(フリー・トレード)という如何にも世界中の国々が交易の利益ばかりを享受できる様な印象を与える名前が付いている。しかし、本当の目的は支配層の支持を受けている巨大国際企業が自由に何処の国にでも進出しその国の労働者を低賃金で雇用して最大限の利益をあげる事にある。つまり巨大国際企業の市場独占を推進するのが目的で、その為に自国内の競合企業をも破壊するのである。フリー・トレードを声高に主張するアメリカ政府のやり口を見れば直ぐに解るように、彼らの強い産業を海外に進出させる時にだけフリーなのであって、海外の強い企業がアメリカに進出し自国の競合産業が負けそうになると、ありとあらゆる手段を使って妨害工作をする。摂理にも述べたが、個人の能力に先天的及び後天的差違がある様に、国家間や民族間にも能力の差が或るのは厳然たる事実である。それを無視して強制的に同条件で競争させればその結果は自明の理であろう。だからこそ私が前に述べたような国家間の与点制度が必要なのであって、フリー・トレードは百害あって一利なしと断言できる。これも支配層が仕組んだ欺瞞の罠なのであって隠された真の目的は独占によるファッシズムなのである。
もう一つ欺瞞のスローガンの例を挙げよう。それは自由金融市場(フリー・マーケット)と呼ばれる。勿論「自由」の真の意味は詐欺も含めどんな取引も自由に出来る事なのだが、金融業者に対する政府の規制が金融市場を歪め、お金のスムーズな流通を妨げ、その結果国民の自由な投資を妨げるので国民の富の増加も妨げられる、と金融業者は主張する。ここで国民が肝に銘じて覚えておくべき事は、(少数の例外を除き)金融市場とは国民が生産した富を投機家という博打打ちの間でたらい回しするだけ(ゼロサム・ゲームと云う)であって、外資系の金融業者の手数料と詐欺行為によってお金が国外に流出して国民の富が減る事はあっても増加することは絶対にあり得ないのである。自由金融市場になって一般市民は便利になった思っているだろうが、市民はその便宜に対し手数料を払っているのだし、それよりも問題は金融業者が詐欺をはたらくチャンスも流通増加に比例して増加する事だ。この詐欺による損害が果たして流通の便宜に見合うのだろうか。急増する詐欺の被害者の大部分は一般市民であり、現在の野放図な自由金融市場は余りにも悪い奴勝ちの結果を生んでいる。金融業者の詐欺だけでなく、激増する日本の振り込め詐欺は流通の便宜を悪用した例の一つに過ぎない。
詐欺行為がはびこる根本原因は金融業者の取引は秘密の部分が多いのに、政府が強制的に取引内容を完全公開させないからである。取引の完全公開をしない口実は多々あるが、政府が金融業者を査察をせねばならないという事自体が秘密取引が詐欺と結びついている事を証明している。自由金融市場を実現するには全ての取引の完全かつ即時公開が前提である。その様な市場では詐欺は起こりえない。やりたい放題の事をさせろ、しかし取引内容は秘密だ、というヘッジ・ファンドの行動原理は自由市場ではなくて独裁市場と呼ばねばならない。これは全ての情報は市場参加者に一様に行き渡っており、それに基づいて取引の判断をするという経済論理そのものの否定であるから現在の経済理論が成り立たないのが当然なのである。自由金融市場を主張するアメリカでヘッジ・ファンドが旺盛を極めている事自体が矛盾で、これこそ欺瞞の証拠なのだ。
この様な民間の欺瞞行為をアメリカ政府は陰に陽に支持しているのだから国家が経済破壊行為に荷担していると言って間違いない。1998年にLTCMというヘッジ・ファンドを救済し、それをもって金融市場の崩壊を防いだと称しているが、そもそも取引の完全公開をしておればLTCMは桁外れの博打行為そのものをやれなかったのだ。この救済劇は政治で言えば独裁政権が秘密主義でやりたい放題の政治をやり、国民の怒りで潰れそうになった時に国連が武力介入して独裁政権を救ってやったのと同じである。ヘッジ・ファンドと共にデリバティブ取引が野放図に拡大し世界で数百兆ドルの規模に達している。デリバティブ取引も大部分が秘密下に行われているが、これも不慮の経済事故で破綻に陥るのは時間の問題である。しかし、その時は如何なる政府も救済に乗り出す事は不可能だ。
アメリカ政府は金融市場だけでなく株式市場にも積極的に介入し株価指数を政治的必要に応じて下支えている。その理由は大統領の人気は株価指数に比例するからである。だから大統領選挙前では猛烈な介入をやる。やり方は政府発表の数々の市場指標の改竄だけでなく、直接の株価操作に至るまで多種多様にわたる。インフレ率は年金の支払額に直接影響があるのでインチキをしている事は公然の秘密である。株価が緩やかに下がっている時は先物を操って投資家を威嚇しショートの買い戻しに走らせ株価操作をする事もやっているが、金融危機で急落する事態では手の着けようが無い。市場の操作で人為的価格を維持すると破壊エネルギーを蓄積させ、結局もっと酷い結末に至る。これは大地震は長期の平穏の後に来るのと同じ理屈である。勿論、インチキをやっているのはアメリカ政府だけでは無い。世界中の政府が大なり小なりやっている。Fiancial Scandals(http://www.ex.ac.uk/~RDavies/arian/scandals/)にはうんざりするほど沢山のインチキが羅列されている。
だからこそ、私が前に述べたように、国民年金は絶対に国家が預かり金融業者の詐欺行為から守る必要がある。少なくとも、国家が預かる限り、民間に委託して出た損失はお金を刷って補填出来るからである。ブッシュ大統領が懸命に推している年金の民営化は金融業者にもっと儲けさせ、その分だけ国民の年金が減ってしまう。アメリカの金融業者が必死になって年金の民営化を求めるのは前に述べた様に現在隠してある3兆ドルの不良債権の償却の為であろうと私は考えている。しかし、いまの独裁金融市場を放置しておけば、この3兆ドルの不良債権が減るどころか、300兆ドルの不良債権になってしまうだろう。その最大の被害者は勿論簡単に外国人を信用してお金を預けてしまうお人好しの日本人である。だから私は日本人は外国との金融取引を避けるようにと言い続けているのだ。
どうして世界の経済が独裁金融市場に支配されてしまったのか。答えは明白であろう。世界最大の金融市場を持つアメリカ政府が金融業者と結託した支配層に乗っ取られたからである。支配層の目的は世界中の人間を借金で首が回らぬ事態に追い込み、奴隷化して全てを支配層が独裁できる体制にする事にある。実際に支配層による独裁体制を永久に持続することは勿論不可能だ。しかしその独裁体制が破壊される過程とその後長期に亘って世界中の人々が一握りの支配層の為に辛酸をなめさせられる事態に陥る事は歴史的必然である。日本政府は支配層に乗っ取られたアメリカ政府に恭順して独裁市場に参加してしまった。独裁金融市場がここまで蔓延ってしまった原因は言うまでもなく日本の超低利子にある。日本に超低利子を強要したのは勿論アメリカで、超低利子の恩恵を最大限に活用したのがヘッジ・ファンドだ。アメリカのご機嫌を損ねぬよう言いなりに利子を下げた日本は図らずも独裁金融市場という化け物を作るのに手をかしたのである。そして独裁金融市場が遠からず崩壊する時は日本も大損害を受ける事は避けられない。こんな始末になったのも、日本にはドイツの様に毅然としてアメリカの要求を断る人物が居なかったからだ。
自由市場と言えば産業界でも欺瞞は同様である。アメリカの自動車業界と半導体業界を救うために日本企業は日米両政府からインチキを強要されアメリカ企業にわざと負けてやらねばならなかった。日本市場でアメリカ製半導体のシェアを20%にせよと完全に計画経済そのものを強要されたのである。それで日本企業が打撃を受けて弱体化すれば、直ちに自由市場を旗印にインチキ訴訟で日本企業を叩き、絶対に手を緩めようとしない。恩を仇で返すとはこの事だ。アメリカが主張する自由市場の原則通りにやっていればアメリカの自動車産業と半導体産業それに家電産業と鉄鋼産業は壊滅し大手は全部日本企業のアメリカ支部になっていた筈なのだ。日本企業が如何に反自由市場政策で痛めつけられたかはインターネットで掲載された「通産省・国売り物語」を読めば解るが、それが通産省の主導の下に行われたのだから誰もが腸が煮えくりかえる想いがするだろう。立場を変えて、もし日本の半導体や自動車業界の技術力が弱かったとすれば、アメリカ企業が自由市場を口実に完全に日本企業を壊滅に陥れたであろう事は間違いない。アメリカと同様に中国や韓国でも恩を仇で返す事が起こるであろう事は論をまたない。恩を施すには相手を見てやるべきなのである。日本人以外には受けた恩を返すという倫理観は存在しないのだ。
これらの例で、暗黙の内に関係者の間で処理されているため、殆ど国民の議論に上ってこない論題は「何をもって公平だと同意するか」という事だ。ここに人間の価値観の相違と力関係が入ってくる。誰の目にもインチキと明らかな事が堂々とまかり通るのはどうしてか。その答えは至極明確で、インチキの被害者が声を大にして抗議し戦いを挑む姿勢を明らかにしないからである。日本人の会話に現れる「長い物にまかれろ」「我慢しなさい」「まあまあそう云わずに」「いいんだ、いいんだ」で代表される様に、日本人には何千年にも亘って定着した世の無常を受け入れる諦観性、消極性が習性となっている。これは社会的習性であって、同じ日本人でも外国で育った人達には見られない。言うべき事を言わないでも気持ちが通じるのは日本人の間だけである事を先ず第一に認識し、外国人に対しては言うべき事をはっきり言い、主張すべき事を堂々と主張する訓練が絶対に必要なのだ。そうする人達を彼らは対等と認め尊重する。日本的な腹芸は通じないどころか軽蔑されるのだ。今のままで日本の国際化を推進すれば日本人は世界中の人達から騙され、馬鹿にされ、踏みにじられて、その挙げ句泣き寝入りするだけである。
日本はちっとも弱い国では無い。日本人の平均知的能力は恐らく世界一であろう。そうでなければ敗戦の灰燼から一世代の内に最先端の技術国になる訳が無い。日本人が理解すべき事は、外国人の持つ価値観は、日本人の和に基づく譲り合い助け合いの共存共栄ではなくて、武力による脅しと金による買収それに欺瞞で他国を支配しその富を搾取することだ。この事実を絶対に忘れてはならない。日本は既に世界一の債権国となった。従って相応の武力を持って自国の利益を守るのが当然なのであり、それでもまだ近隣国に遠慮するのは、日本の国際化の意志に矛盾するだけでなく、近隣国が彼らの価値観に従って日本を侵略し、日本人の蓄積した富を略奪しようという気を起こさせる危険を招く。日本が軍備を強化するのは日本人の富を守るためだ、我々は十分に豊かだから他国を侵略してその富を奪う必要は全く無い、とはっきり宣言して堂々とやればよい。それを日本的に目立たぬようにコソコソやろうとするから痛くもない腹を探られるのである。
日本人の習性で直すべきもう一つの事は、悪口や中傷や捏造に対し寛大すぎる事だ。町がスラム化するのは一枚の割れたガラス窓の放置から始まるように、悪い傾向は始まれば直ちに摘んでしまわねばならない。この点ユダヤ人のやり方を見習うべきである。彼らは悪口を聞くと直ぐすっ飛んできてカンカンになって怒る。日本人は変な事で怒るが、怒らねばならぬ事に対し「大人げない」等と格好付けてヘラヘラ笑っている。中国や韓国で反日運動がこれ程まで拡がったのは悪口や捏造に対し、日本人の習性である事なかれ主義で放置しておいたからだ。小泉総理が率先して「なるべく穏やかに」と言っている様では絶対に問題を解決できない。日本国民は其れでよいと思っているかも知れないが、相手の習性に従って怒るべき時には怒らないと彼らは益々つけあがり、却って危機を増大させるのだ。良いタイミングで怒るとストレス・エネルギーを発散し危機を回避できる事を知らねばならない。又、外国の手先となって日本を弱体化しようと企む人達が実際に存在し、彼らは政治的、宗教的活動で日本人を洗脳しようとしている事を決して忘れてはならない。彼らの目的は日本という金の卵を産むダチョウを支配下に置き、その卵を売って自分達は左うちわでのうのうと暮らそうという事だ。それに対抗するためにはスパイ罪と国家反逆罪の整備が喫緊の要事なのである。日本にはスパイ罪と国家反逆罪が無いという事は自慢にならないばかりか、国家の最重大犯罪を助長しているのだから政治家の恥さらしなのだ。此処でも事無かれ主義の日本人の習性が現れている。
宗教的な思想は近代ではあまり国民を動員する力は無いが、それでも最近は諸種の宗教原理主義が再び台頭してきている。宗教思想においても、別の支配層が彼らの権力拡大の為に国民の搾取を目的としている事に変わりはない。その証拠に、宗派の新旧を問わず、信者の心を救うと称して信者の財産を巻き上げる話は至る所で聞かれる。宗教家と政治家とに共通するのは、彼らは国民の願いを察知する鋭い感覚を持っており、その願いを叶えると約束する事により権力を獲得する。しかし、どうやって国民の願いを叶えるかという方法論を論理的に展開する様な才能は無いし、元々そのような難しい事柄を実際にやろうとする意志すら持っていない。願いが叶えられた、と国民に錯覚を起こさせさえすればよいのである。つまりこれも詐欺行為に他ならない。
思想とか観念は宗教的であるかないかに関わらず全て国民の無知と偏見につけ込んで繁殖する。どんな思想でも組織化されると必ず支配者が出現し、そして全ての支配者が目的とするのは国民の奴隷化と搾取なのである。権力とそれに付随する富を求める人達にとって国民を騙すのは目的を達成する為の手段なのだから、彼らが述べる全ての理想的将来の約束は国民の希望に添って作られた嘘なのだ。国民は支配層や金融業者に対し、尊敬では無く嫌悪の念で対応し、常に疑いの目で彼らを見、彼らを国民の厳重な監視の下に置く為に上に述べた様な監視機構を設置し、彼らの餌食になることを拒否した時、始めて国民は古代から続いた搾取問題からの解放が始まるのである。でもそれだけでは未だ不十分で、国民の最大公約数的な価値観の代表者が必要だ。言い換えれば、監視機構を設置しても、今まで通りの政治体制を維持する限り国民にとって明るい未来が開ける保証は無いのであって、これからも入れ替わり立ち替わり続々と現れる様々な支配者との戦いを永遠に続けなくてはならない。支配者に対し国民を搾取から解放して貰おうと期待する程馬鹿げた空想はない。この悪循環を断ち切る為には、私の提案する数理民主主義と与点制度の如く、国民を搾取から守るだけでなく、幸福指数によって国民の最大公約数的な価値観を保証し、かつ政治家が口先で幾ら甘い約束をしても幸福指数に組み込まれた拘束条件によって衆愚政治に陥らないように仕組んだ政治体制が必要なのである。即ち、幸福指数に政治権力を与え、政治家と官僚は幸福指数を最大化する任務を負う政治体制が人類を最終的に支配層から解放するのだ。