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こういう問題こそ、阿修羅の皆さんが、活躍されるところでしょう。
談合を行って仕事を確保すると、割高になり、税金の無駄遣いになる、というのは、最近よく言われだした事です。20年前だったら、あまり言いませんでした。
多分、農村部では、大昔から、村長(むらおさ)の仕切る社会があって、その発展形を、談合と位置付ければ、いろいろな現象が理解できます。仕切るというのは、命令系統ではありません。まとめる役割をとるのです。談合の習慣は、思想・宗教的には、大昔から、連続していると考えられます。
一方で、市民社会という概念を導入し、市場経済という概念を導入するときには、それを支える思想・宗教も導入すると、はじめて、市民社会、そして、市場経済も、それとして機能するようです。(そして、市場経済のリーダー達は、その枠を活用して儲けるような時代に到達していますが。合法的に、濡れでに粟でしょう。)
ところが、日本は、和魂洋才ですから、思想・宗教まで、入れ替えはしていません。うまく整合をとっていこうとしてきました。
そこで、どうするか。本当のところは、思想家の登場が求められているのであって、テクノクラートが求められているのではないでしょう。根が深く、総合的な問題ですから、官僚には、解決は難しいでしょう。官僚をやっている人が、立場を越えて考えをめぐらせ、実行に移そうとすれば別でしょうが。
(少子化も、同じ問題を抱えているのだと思います。思想の問題であって、技術的な問題ではないのでしょう。)