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(回答先: Re: 【社会契約説】 投稿者 ジャン 日時 2005 年 5 月 21 日 17:35:35)
【国家主義】
国家主義の思想は国家の価値を個人や国家内のあらゆる社会集団よりも絶対的に優位に置き、人間の社会結合の中で最高のものと考える立場である。それ故国家主義はは単に国家の価値を優位に置くだけではなく、他の主張に対して攻撃的に擁護する立場である。
16世紀以後、ヨーロッパの絶対主義国家では、君主は、「王権神授説」を唱えてローマ法王の支配を排除し、主権国家・民族国家としての独立を目ざした。その思想は「君主はローマ法王を通じてではなく、神から直接にその権力を授与され、したがって、国民が君主に反抗することは、神に反抗することである」というものであった。そして、国家は身分制議会や教会、ギルドなどの社会集団に対して優位にあると主張し、それらを国家の下に統合しようとした。さらに国家の権威は法・道徳・宗教に優越するという国家理性の考え方に基づき王権の絶対性が唱えられた。
しかしイギリスではピューリタン革命が起こり、その後王制が復活した後も議会の優位が確立したため、絶対主義的思想は消滅して王権神授説に基づく絶対君主論は消失し、民意を反映しない政府に対しては抵抗し、正当な社会契約に基づく政府を確立する権利があるという「社会契約説」の思想を生み出した。それはアメリカ独立戦争やフランス革命を起こし、個人主義・自由主義・社会主義などの思想を世界に広げていった。
ところが市民革命を経験した先進諸国に後れて近代国家となったドイツやイタリア、その後鎖国を解いて西欧列強との資本主義競争に参入していった日本などでは、列強と競争するために、富国強兵策と国家主義的な国民支配によって対抗した。すべての個人・集団に対して国家は優先するという思想が国民に強制され、個人の自由や人権は著しく制限された。また労働組合や国家主義を批判する社会主義や自由主義政党などは厳しく弾圧された。
しかし国家主義によった国々でも、理性や科学の価値を認める近代国家を目ざしている以上、国家が個人や他の社会的集団に優越する存在であるという思想も、その合理性を問われることになる。社会契約説的な合理性を越えて国家主義が優越するという論拠が示されなければならなかった。
これに論拠を与えるために重要な役割を果たしたのが民族主義であった。民族国家が世界の趨勢となるなかで国家主義は民族主義と融合し、その理念を正当化するものとなった。
ドイツのヘーゲルは国家が個人や諸集団に優越すると説き、国民主権論や人民主権論を批判し、「国家有機体説」や「国家主権論」・「国家法人説」などの思想を生み出していった。これはさらにゲルマン民族の優越性を強調する民族主義に発展し、第一次世界大戦を起こして行く。そしてその後、さらに極端な民族主義を標榜するナチスという超国家主義を生んで第二次世界大戦を引き起こしていった。
日本では、天皇制が国家主義に利用され、天皇を国家の家長し、国民をその赤子と見立てる思想が全国民に強要された。また広く日本人に浸透していた儒教的封建思想も利用され、「忠君愛国」が国民道徳の第一義とされた。そして家長である天皇の権力の絶対性が強調され、さらに国家神道も動員されて天皇を現人神(あらひとがみ)とする擬制的な祭政一致、神聖政治ともいうべき国家思想が生み出された。
満州事変以後、日中戦争の時代になると、国家主義は軍国主義と結び付き、日本の天皇がアジアの盟主となって欧米の影響から独立するとする「八紘一宇(はっこういちう)」を標榜する超国家主義となり、アジアの諸民族・諸国家への侵略を正当化する思想となっていった。
日本はたまたま一民族が絶対多数を占めるという特殊状況があったので、国家と民族を同一と考えるのは自明のことと考えられた。そのため国家主義・民族主義・国粋主義という概念は殆ど区別されることが無いほど、その思想は日本人の中に溶け込んでいった。それは共通の文化的伝統をもつ集団への親和感・実存感の上に安定的に浸透し、国家は運命共同体であるという認識を常識にした。このことは日本の特殊状況が生んだ皮肉な結果というべきだろう。
日本の国家主義は次第に侵略的・攻撃的となり遂には超国家主義となってアジアを侵略してゆくことになるのだが、こうした国粋主義が蔓延する社会に違和感を持ったのは、一部の社会主義者や先進自由主義国の文化に理解を示す上層階層の一部のインテリゲンチャーだけであった。