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○伊藤博文の憲法演説
京都府会議員に対して(明治22年3月25日)
抑々国家の目的と云ふの解義に付、欧洲学者の唱道する所二様あり。一は国家の目的は其国の彊域内に在る各個人の権利を保護し、以て専ら其身体財産を保全するに在りとする説なり、他の一は国家の目的は社会に存生する万般の事物を規定し、専ら社会の安寧幸福を保持するに在りとする説なり。
(中略)
往昔専ら国家を以て目的とし、各個人の権利を度外に措きたる時代に在ては、国家の安全を保維する為には人民の利益は其犠牲となり、又何等の程度に迄之を減滅せらるるも絶て怪まざりき。当時に在ては人民の権利は安固ならず、其自由も亦甚き制限ありて完全に幸福を享受し得ざりしなり。
為に国家の権力は最上無限の勢いを占むるに至れり。然るを近世文化の盛域に進み、富力と財力との増加するに随ひ、漸く反動の勢を生じ、立法は社会的の制度を破壊するの傾向を生じ、専ら各個人の権利と自由を以て政治の肯けいと為し、之が為に社会の道徳を破壊し、軽佻俘虜に流れて国家の元気を衰耗し、其結果の帰する所竟に各個人をして弱肉強食の惨状に陥らしめたり。
○PHP総合研究所から
国家と世界
一定地域の一民族または数民族が相寄って、その民族の繁栄、平和、幸福を増進し、人類の文化を向上せしめるところに国家の目的があります。
国家はその目的を実現するに必要な国家秩序を確立し、これにもとづいて、精神文化と物質文化との調和ある発展を図らなければなりません。
国家秩序は世界秩序の一局面であり、世界秩序は宇宙の秩序にもとづかなければなりません。国家相互に融和協力しつつこの世界秩序を保持していくとき、人類の向上と発展とが生まれてまいります。
○バートランドラッセル思想辞典
国家の目的であると人々が考えているものは、実は、国家を操るその支配者個人の目的である。もっと具体的に考えて見れば、国家ではなくて、普通一般の人間以上に権力を握っている人々が考える目的である。「国家」礼賛は、現実には少数支配者とその取巻き連中が行う、彼らに好都合なように国家を操る目的で行う礼賛である。真の民主主義から考えて、根本的にこれほど不正でまやかしの説はない
○日露戦争の宣戦の詔勅
朕茲に露国に対して戦を宣す。朕か陸海軍は宜く全力を極めて露国と交戦の事に従ふへく朕か百僚有司は宜く各々其の職務に率ひ其の権能に応して国家の目的を達するに努力すへし。凡そ国際条規の範囲に於て一切の手段を尽し遺算なからむことを期せよ
○亀井静香
小泉政治が行き詰まったのは、日本をどういう国にするのか、というグランドデザインを欠いたままで、改革という言葉だけが先走ってしまったからだ。日本人としての美しい魂、伝統、生活習慣、商売の仕方など、われわれの持っている共生の思想を捨て去って、アメリカ型の市場原理主義、競争社会を作ろうとしていたのだ、ということが今になってわかった。
国家の目的としては、物心ともに美しい国家をみんなの力を合わせてつくろう、ということでなければならない。その前提として、憲法、教育もきちっとしていく作業がなければならない。未来は子供たちに賭けるしかない。子供には先人の知恵、社会のルールを徹底的にたたき込む。人間としてやってはならないことをした場合は、体罰を加えてでも矯正していく。そういう情熱が教育には必要だ。
まだまだ、いろいろあります。
国家の目的、アメリカにとっては、「正義の法」の国際的貫徹を通しての自国の利益の保持みたいなところにあって、むしろ、今語られている国家の目的というのは、国家の機能でしかないのでしょうな。
なぜ、国家の目的を世界の平和秩序の確立とか正義とかから始めずに、他国からの防衛からはじめるのか、島国日本にゃ、このあたりからはじめなければ、無理ってことですかね。
それとも、国家の目的を平和だといわせると、混乱が生じるからか。
ところで、マルクス主義でいくと、国家とはこんな具合です。
(家族・私有財産及び国家の起源・・エンゲルス 解説)
アメリカインディアンの氏族やギリシャの氏族、ローマ人、ケルト人、ドイツ人の氏族の歴史を分析して、そこから国家の成立の必然性と国家の本質を明らかにしている。
国家もまた、家族がそうである様に、人類の歴史の一定の発展段階で生まれた、歴史の産物である。それは原始社会の中で社会的生産力が、分業と私有財産が生まれ、社会が搾取する者と搾取される者の二つの階級に分裂する時に始まるのであり、具体的には奴隷制の成立をもって始まるのである。エンゲルスは、国家の起源及びその役割りについて、次の様に要約している。
「それは、この社会が自分自身との解決しえない矛盾にまきこまれ、自分でははらいのける力のない、和解しえない諸対立に分裂したことの告白である。ところで、これらの諸対立が、すなわち相対抗する経済的利害をもつ諸階級が、無益な闘争のうちに自分自身と社会をほろぼさないためには、外見上社会の上に立ってこの衝突を緩和し、それを『秩序』のわくのなかにたもつべき権力が必要となった。そして、社会からうまれながら社会のうえに立ち、社会にたいしますます外的なものとなってゆくこの権力が、国家である」。そして近代の代議制国家もまた「資本が賃労働を搾取するための道具」である