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憲法問題を考える貴重な視座
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投稿者 ラムセス 日時 2005 年 5 月 11 日 09:19:38: wc49qrd.DWqeY
 

政治家たちが幼稚な頭で改憲問題を騒ぎ立てているが、選挙民よりも低い問題意識を持つ国会議員たちに、国家の基本理念である重要な憲法問題をいじくり回されないためには、国民一人一人が現在の憲法について正しい理解をする必要がある。その点で以下の記事はとても参考になると思うので紹介する。


[暴政]「軍事的国体論」を超える日本国憲法の先進性
T「国体論」、「軍事的国体論」とは?


 「国体論」(または国体思想)とは「開闢(かいびゃく/世界の始まり)以来の日本の国のあり方が世界の中でも特殊な存在であり、しかも、その国家としての優秀性は他に比類がなく、万世一系の天皇の統治こそがその正統性を保証する」という強固ながらもエキセントリックで偏狭な信念(unilateralな国家観)を主張するものです。このような考え方が国家経営のための理念として明確に姿を現したのは明治維新政府が誕生した頃です。そして、この「国体論」が国家の柱として重視するのが次の3つの内容で、ここから「忠君愛国」という、かつて太平洋戦争を戦った時の日本国民の絶対的な義務を当然とする異常な観念が導出されたのです。結局、この「忠君愛国」の精神によって、天皇を頂点とする日本国の「国体」を守るために軍事力を行使し、すべからく日本国民は一兵卒として「国体」のために戦う義務があるという考え方が「軍事的国体論」だということになります。


(1)絶対的な天皇主権は永劫不滅である

(2)日本国統治の基盤は、天皇を頂(いただき)とする温情豊かな情誼に基づく君臣関係(お上の寵愛を拝受することに感謝しつつ低い身分の者が上の者に盲従する関係)である

(3)日本文化史の頂点を飾るのは、大和民族という優秀な単一民族が万系一世の皇室の下で築き上げた、他に類を見ぬほどの優れた伝統を誇る国風文化である

 このような「国体論」が頂点を極めたのが、1931年(昭和6年)の「満州事変」勃発以降に明確となった「日本軍国主義」体制(軍事的国体論の実践体制)であり、それに続く出来事が「太平洋戦争」への突入です。結局、それは「第二次世界大戦」の敗戦という悲惨な近代史の悲劇的エポックにつながったのです。現在の日本では、国会における憲法調査会の動向、自民党の改憲案策定(改定憲法の前文に国民の義務を明記すべし等の意見が出されている)、小泉首相の靖国神社参拝問題などと関連して、再び日本の国のあり方と「国体論」にかかわる議論が活発化しつつあります。

 そこで、この「国体論」が辿ってきた過去の経緯を概観しておくことにします。

(江戸時代以前)

●北畠親房の『神皇正統記』(1339/南北朝時代)の中に神国思想(天皇の絶対的権威を支える根拠として)の萌芽が見られる。

(江戸時代)

●儒学重視への反発として江戸中期に興った国学の中に、古代日本そのものを賛美する思想が現れる。僧・契沖を先駆者とし本居宣長らが確立した国学には、文献学的な手法で古事記・日本書紀・万葉集などの古典を研究して儒教と仏教が渡来する前の日本固有の文化を解明しようとする意図があった。


●江戸後期から幕末にかけて、「水戸学」、「平田国学」という二つの強力な「国体思想」が輪郭を現す。やがて、この二つの国体思想の潮流は「尊王論」と「攘夷論」の合体を促し、排外的で強固な「日本国家主義思想」(日本ナショナリズム思想)を誕生させることにつながる。

(1)水戸学

・・・水戸藩主・徳川光圀の『大日本史』の編纂を契機に興隆した学問の一派。儒学・国学・神道及び史学を結合したもので、皇室の絶対的な尊厳を説いた。

(2)平田国学

・・・国学者・平田篤胤が本居宣長の古道精神を拡大して復古神道思想を創り上げ、これが平田国学と呼ばれた。

(明治時代)

●維新政府は、「国体論」による天皇統治の正統性を補強するため、最高神・天照大神の「神勅」を根拠とする神権政治(神の命による政治)を行った。また、ジャーナリズムが「国体」を批判することを禁じて「讒謗律」(ざんぼうりつ)と「新聞紙条例」(共に1875年に発布)を定めた。

●自由民権運動の台頭(明治7年頃/1874〜)から「大日本帝国憲法」公布(明治22年/1889〜)への流れによって、日本は形式的な「立憲政治政体」となった。しかしながら、立憲政治への移行は「政体」の変更であって「国体」の変更ではないという解釈が公認され、そのことが伊藤博文の『憲法義解』(憲法解釈書)に記述された。

●結局、万世一系を正当性の根拠とする天皇統治下における「大日本帝国憲法」は、その適正な解釈基準を示すため「教育勅語」を制定することになる。

●「日清戦争」(1894〜95)と「日露戦争」(1904〜05)の時期には、「明治(帝国主義的)ナショナリズム」が台頭して、天皇を族父と仰ぐ「族父統治国体論」(高山樗牛ら)が出現するが、戦争が終結するとともに、それは皇室を宗家と仰ぐ「家族国家論的・国体論」へ変質して行った。

●1911年(明治44年)に小学校・国定歴史教科書の記述をめぐる「南北朝正閨(せいけい)問題」(南朝、北朝のいずれが皇室の正統かという問題)が起こるが、明治天皇(北朝系)の“君臣の大義”を根拠とする「勅裁」によって“南朝正統”が決定し、その立場は第二次世界大戦の終結時まで続くことになる。しかし、このことと北朝系の現皇室の正統性を斟酌する論議の必要性は封鎖されたまま現在に至っている。

(大正時代)

●いわゆる大正デモクラシー期(大正5年頃/1916〜)には、都市の中間層の政治的自覚を背景に民主主義的な思潮が広がり、明治維新以来の藩閥・官僚政治に対抗して護憲運動や普通選挙運動が展開された。

●これらの動きを支援したのが美濃部達吉(天皇機関説を唱えた憲法学者)の「国体=文化概念論」であり、吉野作造(民本主義を唱えた政治学者)は“日本国体の優秀性は民族精神の問題”だとして、「国体論」を政治学の領域から除外すべきだという議論を展開した。ドイツ観念論哲学を日本へ紹介した哲学者、井上哲次郎も、著書『我が国体と世界の趨勢』の中で君主主義と民主主義の調和にこそ「国体」の安全があると説いた。

●1920年代(大正9年〜)に入ると、社会主義思想が蔓延るようになったため、「国体」の変革をめざす市民の行動を罰する目的で「治安維持法」(1925/大正14)が制定された。これによって政府が労働・社会運動を厳しく取り締まるようになり、「国体」の変革を志向する一切の結社と行動が禁じられることになった。


(昭和時代/〜太平洋戦争の終結期まで)

●「満州事変」の勃発(1931年)以降には、右翼思想が活発化して彼らの立場からの「国体論」が強く主張されるようになった。社会主義者たちの中からも「天皇制社会主義思想」と呼ばれる一派が台頭し、彼らは天皇を中心とする「国体」と「社会主義」の調和を説いた。

●1935年(昭和10年)には「国体明徴(めいちょう)問題」が起こった。それまで学会の定説となっていた美濃部達吉の「天皇機関説」(天皇は国家を代表する最高機関に過ぎないとする学説)を軍部出身の貴族院議員・菊池武夫が攻撃すると、右翼と軍部が共同して美濃部に対する排撃運動を展開した。岡田啓介内閣は軍部の要求に応じて「国体明徴声明」を出すことになり、天皇機関説は「国体」に反するものと断定された。翌1936年には、このような軍部の動きが過激化して「ニ・ニ六事件」が起こった。結局、事件の鎮圧後に首謀者らは“皇道派”中心の反乱軍を指揮した罪で処刑されるが、これ以降、“統制派”が軍部の発言力の中枢を握るようになった。

●1937年(昭和12年)には、文部省が『国体の本義』(日本の国体に関する正統的な解釈書)を配布した。これは、先の政府による「国体明徴声明」に沿って、文部省が独自に「国体論」を理解するための教材として編集したものである。そこで述べられたのは、天地開闢(てんちかいびゃく)の神話、天照大神の聖徳性、天壌無窮(てんじょうむきゅう/果てしない天と地のこと)の神勅(天孫降臨の時に天照大神が皇室の祖先に賜ったとされる神勅)、三種の神器の神聖性などであり、日本の「国体」の神秘性が益々強調された。

●やがて、満州事変(1931-33/昭和6-8)、盧溝橋事件(1937/昭和12)、日中戦争(同年)、国家総動員法(1938/昭和13)、太平洋戦争開戦(1941/昭和16〜)・・・と、日本が臨戦・戦時体制へ傾斜するとともにこのような傾向が一層強まり、神国論、惟神(かんながら)の大道(古代以来の神の道)、集団禊(しゅうだんみそぎ)など「国体論」に伴う“神憑りの思想”が国民へ強要されるようになった。そして、第二次世界大戦の敗戦と「天皇の人間宣言」によって、これらの「国体論」にかかわる神憑りの思想は否定され、現代の日本へ至る道を歩むことになった。

U「軍事的国体論」の蘇生か?

 今、我が国を覆う空気の中には、得体が知れぬ閉塞感を伴う二つの居心地の悪さが漂っています。一つの原因は、大方の素朴な国民を欺きながら無条件でアメリカ型の新自由主義経済に付き従うばかりの日本政府が、普通の独立国家の立場で“健全な資本主義国家・日本”の将来像を描くことができないというジレンマに嵌っていることにあります。(この問題についての詳細は下記の関連Blog記事(●)を参照)もう一つの原因は、近年における日本社会の右傾化傾向の中から、さらにジワジワと「軍事的国体論」が芽を吹き始めてきたということにあるようです。

 例えば、今春の卒業式や入学式における「日の丸」掲揚と「君が代」斉唱に関して、広島県教育委員会は県内の公立学校長あてに、斉唱の時の声の大きさや不起立だった児童・生徒・教職員の概数等を厳しくチェックして報告するようにとの通知文を出しています。既に東京都教育員会(2002年度〜)と神奈川県教育委員会(2004年度〜)は、それぞれが同様主旨の通知文書を校長宛てに発信した上で、違反した教職員などを厳正に処分しています。近年の教育現場におけるこれら類似ケースの発生は、政府(文部科学省)主導による「教育基本法・改正」の先取り的なアピールの演出であり、意識的に教育現場から日本社会の右傾化傾向を推し進めるという意図の現れだと考えられるのです。

<関連Blog記事>

●「新しい国家像」を描けぬ日本の政治家たち(1/4)〜(4/4)

http://blog.goo.ne.jp/remb/e/07854f9c0d985081ba3ca06960b30cd6

http://blog.goo.ne.jp/remb/e/482891fb601a195a5b02629eb13c0135

http://blog.goo.ne.jp/remb/e/b7db76f7866a95237171bff756d1a807

http://blog.goo.ne.jp/remb/e/23796be71bbba8e24d04839490b10113

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