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ジャンさん、ワヤクチャさん返事が送れて申し訳ありません。
私なりにまとめてみました。
3 「脱労働社会主義」についてhttp://homepage3.nifty.com/katote/homegorosi.html
「社会主義=ソシアリズム」の土台は、「国家」ではなく「社会」である。それでは、社会主義の土台となりえ、かつ民主主義と接合しうる「社会」とは、いかなるものであるのか? 私自身は、まずは「市民社会」の原理を生産領域にまで及ぼすものとして「市民社会主義」を提唱してきた。
上記文章はジャンさんの文の中に有ったサイトの中の一文です。
私なりに言えばどのように社会主義を論じても肝心な部分を理解しないまま社会を考えてもそれは百家争鳴でしかないということです。まず悪しき根源である「他者の労働の私有化」を禁じたとき、新しい社会の展望が開けてくると私は信じています。
それからワヤクチャさんには以下の文から私なりの考えを纏めてみました。
無知の知 ソクラテスが問答法で用いた言葉ですが。
自分が何も知らないという気付き、自分が知っていたものが他人のものであったということを知ることから、新しい第三者的見方で自分を見ることが出来ます。
それは本を読んで知った知識ではなく、内面から突き上げてくる自分自身の感覚が、今まで取り入れてきた知識を利用し、自分なりに再構成していく認識論です。まずその中では自分(私とは何か)がどこから来てどこへ去ろうとしているのかが重大な問題になります。
つまり自分が存在しているという感覚が、自分の存在を宇宙感から引き出して、やがて地球の誕生があって自分がいるのだという事実。次に生命の誕生がこの宇宙の中の地球という惑星の中で発生したことによって私の存在がある。そして進化を経てきたことにより人間としての私が存在している。
そこに存在をさせた別の力があったのか、つまり神か自然かという二者択一を迫られることになります。私はそこで自然をとったわけです。
それはある意味時間と空間ということを理解する力でも有ります。時間が持つ永遠性と空間が持つ無限性の中に自己の存在が有るということです。そしてそれは「自己の死」によって打ち切られてしまう。これも事実です。「死」を知るということは年老いて死ぬということも事実ですが、若くして治る見込みの無い「癌」等を宣告されたとき、限られた時間を理解し、身近な死を理解します。理解したとき彼は、または彼女は絶望を味わい、やがて癌で死ぬにもかかわらず自殺という道を選んでしまうこともあります。それは永遠という時間の流れを認識したときの自己の死は癌を宣告されたときと同じではないでしょうか。
死を理解する、やがてそれは諦観(人生を諦めてしまう)気持ちとなり、ならば悔いの無い人生を生きるということに全力を尽くす、ただそれだけです。
そして自分が掴んだ自分自身の真実、それは言うまでも無く客観性を持てば人間一般にも当てはまるわけです。つまり「人間とは何か」を理解できたということになりますが。いかがでしょうか。
ただこれももう既に言われたことであり、オリジナリティが無いということであれば、あえてこのようなことは今まで書かなかったことでもあります。
そこでオリジナルということから「人が人を使って利潤を得ても良いという権利、人はそれを誰に貰ったのか」という題名の本を出したわけです。ここではその権利を「神から貰った」といえば一言ですみますが、宗教をそれほど信じないのであれば、その答えを得ようとして考古学・歴史へと向かうはずです。つまりその命題は人間とは何か、現在の人間の社会は正しいのか等を理解するキイでもあるわけです。
このキイを使ってこれを読んでくださる一人ひとりの人が自分自身で人間とは何かという扉を開けてはいかがでしょうか。
ある時期から経済を握った者が人間社会を支配してきたという事実が解かるはずです。
そして現在でも現在なりに経済を握った者があたかもそれが正当であるかのように人間社会を支配しているわけです。
そこから抜け出すことが出来る唯一の道「労働の売り買いの無い社会を作ること」ただそれだけです。
キイを使って扉を開けてください。
何か説教者みたいな文になってしまいましたが、申し訳ありません。
また私自身のことですが、相反する二つの病を持っております。一つは血がドロドロになる動脈硬化と、方や大腸内にある多発性憩室、医師からは大腸の大部分を取れといわれております。出血を抑えるため血をサラサラにするわけにもいきません。つまり動脈硬化は直しようが無いわけです。そこから肩が凝る、頭が痛い、集中力が無い、ありとあらゆる書くことを邪魔する要素が出てきます。こんなわけで書くことが億劫になるわけです。