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「太田述正コラム」から貼り付けます。
http://www.ohtan.net
(貼り付け開始)
2006年4月21日
太田述正コラム#1197(2006.4.21)
<創価学会のこと(その1)>
1 始めに
このところ、創価学会のことを改めて色々考えさせられています。
小さい時から宗教嫌いの私でしたが、当初の私の創価学会観は、それほど否定的なものではありませんでした。
私の中学時代の無二の親友は、現在公明党の東京選出の参議院議員をしている澤雄二でしたし、大学の教養学部の時の同級生の創価学会員で後に弁護士になるIも、謙虚で好感の持てる人物でした。
大学一年の駒場祭の時に、原理研究会と創価学会を比較して、創価学会に相対的に好意的な展示をしたこともあります(コラム#989)。創価学会の、比較的恵まれない層を取り込み生き甲斐を与えているという社会安定化機能と、似通った層を奪い合う共産党に対する対抗機能、を評価していたということです。
ですから、創価学会が公明党をつくって政治に乗り出していたことについても、さほど問題視していませんでした。
しかし、以前にも(コラム#195で)記したように、「創価学会すなわち公明党が、1993年、非自民連立政権の下で初めて政権の一翼を担い、1994年には創設メンバーとして新進党に合流し、1999年からは死に体の自民党を与党として支える、という具合に日本の政治のキャスティングボードを握って」からは、創価学会に強い反発を覚えるようになったのです。
2003年11月に、矢野穂積・朝木直子「東村山の闇―「女性市議転落死事件」8年目の真実」(第三書館2003年11月)を読んで、強く動かされたのは、このような背景があったからです。
この10日余り、ご存じのような事情で、否応なしに再び、創価学会のことを考えさせられているのですが、まずは、ある読者が差し入れてくれ、斜め読みしたばかりの二冊の本、山崎正友「信平裁判の攻防――続々・「月刊ペン」事件」(第三書館2002年9月)と乙骨正生+「フォーラム21」「公明党=創価学会の深層――「自・創」野合政権を撃つ」(かもがわ出版2004年10月)の感想から始めたいと思います。
2 書かれていること
山崎氏が言いたいことは、「創価学会は、決してただの宗教団体ではない。政治の世界で、経済の世界で、その他あらゆる面に手をのばし、世界に類を見ない巨大で強力なコングロマリットなのだ。強大な権力と、ずばぬけた財力を持ち、又東大、京大等の卒業者等で固めたエリートの官僚機構を持っているのだ。その上、自前の情報機関を持ち、更に、合法、非合法にわたって“特殊活動”を任務とする師団をかかえているのだ。百名をこえる弁護団を擁し、その多くは、小・中・高校生の頃から、「ハイル池田」を骨のずいまでたたき込まれ、英才教育を受けて法曹界に入ったメンバーである。彼らは、国法の秩序より、創価学会の利益を優先させる。・・裁判でも、偽証を行うことなど何とも思っていない。警察に圧力をかけ、検事や裁判官にも、たくみに根回しをする。・・時には、相手方の弁護士すら買収する。」
(359〜360頁)、「創価学会は、核兵器やテロリスト、オウム真理教が野放しになっているのと同じくらい、異常な、危険な存在だ・・テロよりも、不況よりも、創価学会・公明党が国家権力の一角に食いこんでいることは、はるかに危険なことだ」(377〜378頁)、ということです。
(続く)
http://www.ohtan.net/column/200604/20060421.html#0
2006年4月22日
太田述正コラム#1198(2006.4.22)
<創価学会のこと(その2)>
他方、乙骨氏等が言いたいことは、池田大作創価学会名誉会長のかつての、「日本をみれば自民党、社会党、創価学会の三国志なんだ。共産党なんか問題ではない。世界もまた三国志である」という1960年1月1日付聖教新聞掲載発言や、秋谷榮之助会長のかつての、「<国立>戒壇建立の暁には、わが男子青年部の手によって内閣を結成」という大白蓮華1964年2月号掲載発言を引用(5頁)しつつ、「批判を拒否するばかりか、金力・政治力等そのもてる力を駆使して批判や論評を封じ込めようとする・・排他的で独善的かつファッショ的な・・公明党=創価学会が政権に参画し・・いまや自民党の生命維持装置として、政権の帰趨を左右するだけの影響力を持つにいたった」(218頁)結果、「<例えば、>公明党は都議会<についても、>キャスティングボードを握っており、警視庁は、人事、予算<が>都議会の警察消防委員会で審議され<るため、>・・都議会公明党の言いなり<であり>」(122頁)、「日本の自由と民主主義は、いま真に正念場に差しかかっている。・・<この>創価学会・・についての正確な情報を・・より多くの方々に知っていただきたい」(26、219頁)、ということです。
枝葉を切り落とせば、要するに山崎氏や乙骨氏等は、日本の治安・司法機関と政治は創価学会に牛耳られている、と指摘しているわけです。
政治についての彼らの指摘は、誰の眼から見ても大方その通りのように見えますが、治安・司法機関についての彼らの指摘の真偽は、にわかに判断のしようがありません。
もっとも、現在、元創価学会青年部副部長で、東大法卒、検事出身の神崎武法(1943年〜)が公明党の代表(党首)(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%B4%8E%E6%AD%A6%E6%B3%95。4月22日アクセス)、慶大法卒で弁護士出身の浜四津敏子(1945年〜)が代表代行(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E5%9B%9B%E6%B4%A5%E6%95%8F%E5%AD%90。4月22日アクセス)、関西大法卒で弁護士出身の冬柴鐵三(1936年〜)が幹事長をしている(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%AC%E6%9F%B4%E9%89%84%E4%B8%89。4月22日アクセス)ことは、彼らの指摘と平仄があっていることは事実です。
創価学会が治安・司法機関を牛耳っているという彼らの指摘が本当だとしたら、ゆゆしい問題ですが、マスコミは本件をあまり取り上げないのはどうしてなのでしょうか。
山崎氏らのこの指摘が誤りであるのか、それとも、マスコミの大部分が本件を取り上げようとしないのか、そのどちらかでしょう。
日本のマスコミは、いまだに記者クラブ制で政治・行政と癒着しており(コラム#107、199、251、936、938)、しかも、一流と称されているメディアに限っても、記者の志の高さや記事クオリティーが英米の一流メディアの域に達していない(例えば、コラム#1195、1196)ことに鑑みれば、日本のマスコミが、政治権力の中枢を担うに至った創価学会の批判は控えている、という可能性は否定できません。
さりとて、・・これは決して山崎氏らの責任ではないのですが・・山崎氏らの経歴が邪魔をして、われわれとして、素直に彼らの指摘を信じるわけにもいきません。
つまり、山崎氏はかつて創価学会の幹部であった人物(上記著書の裏表紙)である上、創価学会がらみの事件で1991〜93年の間、刑務所に入っていた人物でもあり、乙骨氏は、創価中学・創価大学の卒業生です。
彼らのように組織の内部にいた人間の方が、組織の実状に通じているだけに、その組織の批判者としてふさわしいという面もあるけれど、人間誰しも自分が飛び出した(追い出された)組織には含むところがあるものであり、組織に対する批判にバイアスがかかっている懼れもあります。(私による防衛庁批判も、そのように見られているであろうことは否定できない。)
だからこそ、われわれはマスコミに期待せざるをえないのですが、そのマスコミが批判を控えているという可能性を否定できないのですから、何をか言わんやです。
かつてであれば、学者に期待することが少しはできた・・例えば、1969年という早い段階で激しい創価学会批判を行った政治評論家の藤原弘達氏(乙骨等前掲書6頁)(1921〜99年)は、明治大学教授(政治学者)でもあった(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%BC%98%E9%81%94。4月22日アクセス)・・のですが、最近の日本の学者は、一層志やクオリティーが低くなったのか、本格的な創価学会=公明党論どころか、創価学会=公明党批判論的なものが学者によって上梓された、という話すら、余り耳に入ってはきません。
(続く)
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