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9・11以後への序章【9・11解明イスラム・ユダヤ・キリスト教連合】全文和訳
先日、次の投稿をしましたが、
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(参照)
http://asyura2.com/0505/cult2/msg/391.html
『9・11真相解明のためのイスラム・ユダヤ・キリスト教連合(MUJCA-NET)』
MUJCA-NETホームページ
http://mujca.com/
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このホームページの中から、『9・11以後への序章(INTRODUCTION POST 9/11)』と題された記事を全文和訳します。
これは9・11事変に対する真相解明それ自体ではなく、その運動に関わる宗教についての話になっていますのでカルト板に投稿します。宗教的な表現の中には、ひょっとするとやや不適切な訳が混じっているかもしれませんが、お許しください。
またこの訳された論文に対する私からのコメントは、別途に書いてレスの欄に貼り付けておきますので、そちらのほうもお読みください。
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【翻訳、引用、開始】
9・11以後への序章
共存、深い対話、そしてより深い真実
・ ・・哲学博士、MUJCA-NET創立メンバー、ケヴィン・バレット
『支配的エリートが我々に対するあらゆる恭順の束縛を投げ捨てるとき;世界の二つの普遍的な宗教の間で一つの戦争が引き起こされるとき;その二つの宗教の信者たちはすべての人々が正義に従って生きその祝福を喜ぶことを望んでいる一つの神を信仰しており、また人の心の中で抵抗しなければならない悪が存在すると信じているのだが、これら二つの一神教の宗派が巨大テロでっち上げの詐欺によって誤魔化され心を傷つけられ、憎しみと復讐への願望を作り上げられ、十字軍vsジハードの戦いに向かう意図的にひねり出された条件反射に従うようにさせられ、大量に殺し合いお互いの信仰をお互いに消滅させようとしているが、それは無神論者たち(そして場合によってはむしろ明白な悪魔主義のならず者麻薬金融業者たち)のアジェンダを推し進めるためのものであり、そしてその者たちは、世界中にある自分たちの奴隷農場の債務を世界に要求し、我々が生まれつきの奴隷でありあるいは彼らが私的に所有する土地を食い荒らす害虫であるとさえ主張している。』――ディック・イーストマン
9・11の大嘘は宗教間の憎しみを紡くように企画された;9・11の真相解明は共存、深い対話、そしてより深い真実に向かう道である
イスラム・ユダヤ・キリスト教同盟――“MUJCA-NET”は、9・11の大嘘と、それが作り出した有害で世界的な情報環境に光を当てる中で、将来の宗教間の連帯を探る関心から生まれたものである。
イスラム教の視点から言うと、9・11が「イスラム・テロ」の仕業であったと信じる非イスラム教徒との対話に携わることはほとんど無益なことである。我々が9・11を自作自演の内部犯行である有無を言わさぬ証拠を議論するか、さもなければそれについて話す値打ちのあることはほとんど何も無い。
もし非イスラム教徒の聖職者が圧倒的な量の証拠を歯牙にもかけず9・11の大嘘を成り立たせようとするのなら、イスラム教徒たちは自らを守るための言葉以外の何かを見つけようとしてしまうだろう。将来において9・11の真相解明がなされないままでは、「イスラム・テロ」は言われる通りに自己実現してしまうだろう。イスラムに対する世界的な戦争を打ち上げた怪物的で悪魔的な嘘の姿を現すものに対面して、イスラム教徒たちは自らを「必要なあらゆる手段で」守ろうとしたい気持ちに駆られるかもしれない。ちょうどマルコムXが雄弁にもそう言ったように。イスラムの伝統は忍耐と非暴力を説く。偉大な預言者(彼の上に平安あれ)のメッカでの経歴によって示されたように。しかし同時にまたそれは、イスラム教とムスリム社会を明らかな抑圧と挑発から守るために必要なあらゆることを行うように、我々に教えているのだ。
それとは逆に、9・11真相解明のプロセスは宗教間の対話と共存と理解のために大きな範囲の可能性を開くのだ。9・11解明の活動家たちの第一線にユダヤ人やキリスト教徒たちがいることは、その倫理学的な力とそれらの伝統の正統性を強く物語るものである。一方でイスラム教徒の活動家たちは、特に米国内では、イスラムの敬虔さが呼びかける勇気の実例になっている。彼らの真実に対する勇気と探求は、どんな結果が出ても、信仰をベースにした9・11活動家が彼ら全員の宗教的伝統の預言者たちと共に立ち、そうすることで、デイヴィッド・グリフィンが「宗教間の深い対話」と呼ぶものの基盤を創り出すのだ。それは見かけ上は相容れない宗教的伝統の間にできる真のコミュニケーションなのである。
このような「深い対話」は9・11真相解明を超えてある「深い真実」――我々の分かち合う人間的な環境とすべての偉大な宗教的伝統がその内に持つ宇宙観に関する真実を、導くものかもしれない。我々が「深い対話」を通して共通性を持つ範囲に到達するときには、我々は自分たちの伝統が教えようとしてきた真実を発見できたことに気付くのかもしれない。その真実は、繰り返しや怠惰や自己満足によってよく見えなくされ、そして近隣の宗教的伝統の思いがけない言葉で語られるときに、最もよく改めて見直すことのできるものだろう。
正直さ、勇気、そして正義の価値は、ユダヤ教、キリスト教そしてイスラムに共通するそのような三つの「中心的真実」である。ヘブライの預言者、イエズス、そしてモハメッドは全員が悪と不正に対して、そして真実と正義のために、声を上げた。たとえそれが極めて危険であったときにでもそうした。この三つの宗教的伝統は、これらの価値が生きること以上に大切なものであることを教えている。
これら三つの宗教的伝統は同時に、この宇宙が一つの源によって過去に作り出され今も作り出されつつあることを教えている。そしてその源は抗しがたく意識的な実体であり、人間である「我」を映し出すための「汝」であり、絶対的な正義と慈愛とそして共感という特徴を持っている。そのような存在は、Godや Allahや Yahwehなどの多くの名で行き渡っているものだが、存在(あるいは非存在)を議論できるものではない。彼(彼女、それ)が存在するのかしないのか、である。そして我々が何らかのその「真実の存在」について暗示を受けるあるいは体験すること無しには、それは流れ過ぎていくものではあるのだが、我々はプラトンの洞窟の喩えに出てくる盲目の男のようなものである。深い対話は我々がこの「真実の存在」の証拠を再発見する手助けになるかもしれない。それは様々の洞窟の壁に映った影の流派によって様々に描かれてきたものである。そして少なくとも、我々の隣人たちが我々と非常によく似ている――半分盲目であり手にするあらゆるものを助けにして光を求めて苦闘している――ことが解るのに十分な光を当ててくれるかもしれない。
切迫したエネルギーと環境の危機が我々の惑星を苦しめているのだとしたら、我々は、お互いにより多くの愛と共感をもって、そして憎しみと攻撃を少なくして、関係を作り始めなければならないだろう。同時に我々は、失われている畏怖すべき目覚ましい驚異的な――宇宙を砂の粒の中に見出しその創造主を称えるような――宗教的価値観を回復させなければならないだろう。これらの価値観は、偉大なアブラハムの一神教に、そしてその他の優れた伝統的宗教にも同様に、共通するものである。そしてあらゆるこれらの価値観は、ユダヤ教徒、キリスト教徒そしてイスラム教徒たちによって、9・11の真相解明のプロセスを通して、共に働きながら、実現できるものであろう。
9・11は、嫌悪と憎悪が世界を動かすと信じる非宗教的なマキャベリ・シュトラウス主義の犬儒の徒どもによって計画された。9・11真相解明のためにまとまることによって、我々は彼らの憎悪に対抗して愛と共感のために立ち上がっている。そして我々は彼らの冷笑に対抗して宗教の驚きと畏怖のために立ち上がっている。彼らにとってそれは、ハリウッドの専門家たちと一緒に視聴者の感情を操作して戦争への道をならすために作った――映画Wag the Dogのほんのちょっと現実的なバージョン――ちょっとした特殊効果の豪華ショーに過ぎなかった。彼らにとっては数千人の死などほとんど気にもならないことなのだ。要するに、ペンタゴンのトップ戦略家は核戦争を考えながら人生を過ごしており、その中で2千万や3千万の人々が命を失うことなど「許容範囲内」なのである。しかし信仰心の厚い人々にとって、それぞれの命は一つの奇跡であり、そのような計算は文字通り考えようもないことなのだ。
発射寸前の数千発の核兵器が存在しているとダライ・ラマが聞かされたときに――それは我々の中の50歳未満の者たちがその中で育ってきた状況なのだが――彼は長い大笑いをしながらこう言った。「何と馬鹿馬鹿しい。それらの人たちは自分たちが誰だと思っているのだ。」と。9・11について考える信仰心の厚い人たちは床の上で彼と一緒に笑い転げるべきだ。
9・11の製作者たちは本当に、彼らが何を――ブレジンスキーの巨大なチェス版とPNAC【訳注:アメリカ新世紀計画:the Project for the New American Century】の米国防衛再構築の中で――やろうとしているのかを、世界中に告げることができたと思っているのだろうか。CIA麻薬ギャングのいかがわしい「飛行機学校」で「ハイジャッカーたち」を訓練するふりをしたり、生き残って話を伝えるべき多くの証人たちのまさに目の前でWTCを爆破したり、WTC第7ビルの解体を全国放送のテレビで告白したり、シークレット・サービスたちに言うところの「思いがけない襲撃」の最中にブッシュを1時間もある有名な場所で時間をつぶすままにさせたり、空軍が攻撃する飛行機を迎撃するのを妨げたりして、そしてその上で、三つの同じように馬鹿げた完全に矛盾した話でその「警備の失敗」を説明する、とでも言うのだろうか。
そして、言うところの「ペンタゴンに対するジェット機攻撃」の不条理な話を提供し、その一方で証拠のビデオテープを差し押さえて封印し、そして事件後2年もの間一切の調査すら許さず、散々遅らせてからインサイダーに支配された「委員会」を作り出して、地方の野犬収容施設の不正を証明するのにふさわしい程度の予算を与えた。そしてしまいに、完全に資料を欠き2流のスリラー小説のスタイルで書かれてある明らかな虚偽と無視のグロテスクな積み重ねを提示し、・・・、そして3桁のIQの持ち主なら誰でもそれを買うと期待している。このように言うべきであろうか。人生は、考える者にとっては喜劇であり、感じる者にとっては悲劇であるのかもしれない。しかし9・11巨大ショーの製作者の傍若無人さとだらしのなさは、悲喜劇などを通り越して、今までに無い完全にデタラメなドタバタ劇の領域にまで吹っ飛んでしまっている。
非宗教的な人々はこれらのすべてのことに対して不安げな皮肉っぽいクスクス笑いで反応するのかもしれない。しかし宗教的な人々は――どの特定の宗教伝統に属していようと宗教的な感覚を経験することのできる人を意味しているのだが――この演出の実に雄弁なマヤカシに対して、そして我々が取り残されている歴史的な状況に対して、畏怖と驚きだけを感じることができる。“Ma sha'allah”とは驚きが現われ出る際のイスラムの表現である。あるいは、中国の賢人が言ったように、実に、我々は興味深い時代に生きるように呪われているのだ。
そこで、我々はここからどこに行くのだろう。イスラム教徒、ユダヤ教徒とキリスト教徒は――他の宗教的伝統から来た人々と共に――共通の土台を発見し、9・11真相解明からより深い真実の理解の共有に移って行き、それらの真実が表現される用語の違いを認め合うようになることができるのだろうか。
MUJCA-NETはこの疑問に答えることはできない。しかし我々は、9・11真相解明のための宗教間の対話以後へのアプローチの方向を読者に指し示すことができる。それは我々に深い印象を与えている。宗教どうしの間だけではなく、信仰者とほとんどあるいは全く信仰を持たない人々との間の幅広い意味での対話である「宗教間の対話」をしながらである。これらのアプローチは我々のホームページにある右側のコラムに並べられてあるが、我々にとっては生き生きとした未来へ続く道に沿って立つ道しるべであるように見える。
最初のリンクはMUJCA-NETの共同創始者であるケルヴィン・バレット、サンドラ・ルバースキー教授、そして神学者のジョン・コッブによって編集された新しい本の計画に向けるものである。題名は『9・11とアメリカ帝国:ユダヤ人、キリスト教徒そしてムスリムが声を上げる』である。これは、デイヴィッド・グリフィンによるウイスコンシン-マディソン大学での2005年4月の講演をベースにした2巻の『9・11とアメリカ帝国』シリーズの一つとなるだろう。(他の1巻は『9・11とアメリカ帝国:知識人たちが声を上げる』である。)
2番目のリンクは、宗教間の「深い多元主義」に関するデイヴィッド・グリフィンの論文に接続するものである。これはもうじき出版される同様のテーマの本からの抜粋である。グリフィン博士は、そのプロセス神学での仲間であり優れた助言者であるジョン・コッブと一緒に、他の知識体系に対する開放性をより高めるキリスト教神学への接近を展開させてきている。その体系には宗教的伝統だけではなく科学的・経験主義的なアプローチも含んでいる。このアプローチは、現在の米国政府とその支持者たちのあるメンバーによるマキャベリ的・反啓蒙主義的(邪悪で愚かな、という意味)「キリスト教」とは対極をなしている。グリフィン博士の仕事は、そして同じ意思を持つ仲間たちの仕事は、キリスト教の倫理的伝統が未だに有効である、また、キリスト教は他の宗教的伝統に対して敬虔で知的な態度で手を差し伸べることができるという、感動的な証拠として存立している。
我々の第3のリンクは「惑星化(Planetization)」と呼ばれる思想の感動的な復活である。グリフィン博士と同様に、『惑星化:グローバリゼーションとは別に、健全さのボトムアップ』の著者は、我々が惑星的な統一の時代に入って行こうとしていると、そしてこの統一は、キッシンジャー-ブレジンスキー-ネオコン枢軸の犬儒マキャベリ主義「グローバリスト」によって展開されるあの大嘘と汚い暴力に比べると、より良いものに基づいているに違いない。しかし、デイヴィッド・グリフィンが提示するプロセス神学から出てくる「世界的民主主義」が倫理的に伝達される対話を基盤にしているのに反して、「惑星化」は人間の精神的な伝統の基礎の上に描かれている。特にその普遍的な感覚の中でイスラムが、人類の統一が創造主(唯一者でありあらゆる生命の全体者)の法則と一体感の光の中でのみ成し遂げられると主張するために、そしてこの種の非暴力的な統一の達成が実際的で翻訳可能な感覚の内で政治的であると同時に精神的な計画であるということを主張するために、描かれている。この我々の持っているものよりも良い世界的なヴィジョンがここに提示されているのだろうか。これは有効なのか、あるいは実行可能なのか。深い統一は深い詐欺に反撃するのか。我々が見出す解答は肯定的であるかもしれない。もう少し待ってみよう!
次に我々は伝統主義に出会うことになる。極めて影響力が強いがほとんど知られていない運動で、20世紀の間に深く形成的ですらある影響を宗教研究に与えてきた。フランス人でイスラム改宗者のRene Guenonによって創設されたのだが、伝統主義は、社会的・個人的な生活の両方から宗教的な基盤を剥奪することは精神と社会に深刻に破壊的な効果をもたらし、そしてこの「世俗的な近代性」がアウシュヴィッツや9・11の恐怖に直接につながる、という主張を提示する。実際に9・11はイスラムに対する戦争を打ち出しただけでなく宗教一般に対しても、暗闇の化身によって求められる世俗的な「新世界秩序」(ドル札に基づいたnovus ordo seclorum)の舞台を整えながら、戦いを挑む。9・11の首謀者たちは宗教間の憎しみを掻き立てることによって宗教への信頼を失わせようとした。そして彼らは特にイスラムを標的にした。それはイスラムがこの神を信じない時代であってもその力を失わない偉大な信仰の伝統であるからだ。このような認識をさておいては、宗教間の対話に関する事柄とそれぞれの信仰を結び付けるより深い真実の存在の可能性が長い間伝統主義サークルの中で討論されてきたことや、このような疑問に興味を持つ人が誰でもその討論に気が付く必要がある、というようなことは何の値打ちも持たない。
関連するがいくらか軽い話題で、我々はRadical Sages(ラディカルな賢人たち)のリンクを設けている。それは生き生きとした刺激の多いウエッブサイトで、「裏切り者のユダヤ人」を自称するロバート・ラビンによって立ち上げられている。彼はヒンズー教を通して深い精神性を発見した。そして最近9・11真相解明活動の勇気ある支持者となっている。MUJCA-NETは疑いもなくこのような非一神教とリンクを持つことで保守的な一神教徒たちから何らかの攻撃を受けることだろう。しかし我々一神教徒たちは、ロビンのような機知に富み洞察力にあふれ道徳的で真面目な精神を持つ「裏切り者たち」から何かを学ぶことができるように思える。
MUJCA-NETの目標は、我々が分かち合う惑星を苦しめる精神的・環境的な危機に光を当てながら、アブラハムの流れを汲む信仰の伝統間で深い対話と深い統一を促進させることにあるのだ。
【翻訳、引用、終り】
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