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(回答先: 統一協会 崔先吉夫人の大暴れ 投稿者 oyamada 日時 2005 年 9 月 09 日 16:51:26)
ラスベガスがギャンブラーの天国だと知ったとき、私はさらに混乱した。ホテルのレスト
ランやカジノにはスロット・マシーンがあった。このような場所で、私たちはなにをして
いるのかしら? 統一教会の教えでは賭事は厳格に禁じられている。いかなる種類の賭も
家族を害する社会悪で、文明の衰退に貢献する。それではなぜ、「真の家庭」の「お母
様」韓鶴子はコインの入ったカップを揺すりながら、一枚また一枚と夢中になってコイン
をスロット・マシーンに入れているのか?「再臨のメシア」文鮮明、神殿から両替商を追
い出した神聖な男の後継
者が、何時問もブラックジャックのテーブルで過ごすのか?
私には尋ねる勇気はなかった。けれども尋ねる必要はなかった。私が罪の穴蔵と教えられ
た場所に私たちがいる理由を、文師は喜んで説明してくれた。「再臨の主」として罪人た
ちを救うために、彼らと混じり合うことが自分の義務だ、と彼は言った。彼らに罪を思い
とどまらせるために、彼らの罪を理解しなければならない。おまえは、私が自分でブラッ
クジャックのテーブルにすわって賭けているのではないことに気づいただろう。ピーター
・キムがかわりにすわり、文師が彼のうしろの位置から指示するのに従って、賭け金をお
いている。「だから、
私が自分で実際に賭けてはいないのがわかるだろう」と彼は私に言った。
たとえ十五歳でも、たとえメシアの口から言われたものでも、私には詭弁は詭弁だとわ
かった。
(わが父文鮮明の正体 洪蘭淑著 林四郎訳 文藝春秋社 P116 )
朝はたいていの場合とても疲れていた。なぜならば孝進は十二時前に帰ることは決して
なかったし、帰るとセックスを要求するからだった。彼はしばしば酔っぱらい、テキーラ
としけたたばこのにおいをさせながら、コテージハウスの階段をよろめきあがってきた。
私は、放っておいてくれることを期待して、寝たふりをしたが、それはめったになかっ
た。私は彼の要求に奉仕するためにそこにいた。私自身の要求は問題ではなかった。
朝は部屋のなかをつま先立ちで歩き回った。もっとも夫を起こす危険はほとんどなかっ
たが。彼は昼過ぎまでぐっすり眠っていた。ときには私が学校からもどってきてもまだ寝
ていた。彼は起きあがると、シャワーを浴び、それからマンハッタンに出かけて、お気に
入りのナイトクラブ、ラウンジ、コリアン・バーを巡り歩く。十九歳だったが、なじみの
韓国人経営のバーで酒を出してもらうのには困らなかった。当時十五歳だった弟の興進と
十六歳の妹の仁進を、深夜の酒飲み旅行に連れていくこともあった。
一度だけ、私を誘ったことがある。私たちは車で、たばこの煙の充満するコリアン・ナ
イトクラブにいった。文の子供たちが常連なのは明らかで、ホステスはみんな親しげに挨
拶した。ウェイトレスが孝進にゴールド・テキーラのボトル一本とマールボロ・ライトを
一箱もってきた。仁進と興進は孝進と一緒に飲み、私はそのあいだ、コカ・コーラをす
すっていた。
私は泣くまいとしたが、必死の努力にもかかわらず、涙が出てきた。私たちは、こんな
場所でなにをしているのだろう?子供時代ずっと、私は統一教会の会員はバーにはいかな
い、文鮮明の信徒はアルコールを飲まないし、たばこは吸わないと教えられてきた。「真
のお父様」が世界中を旅して非難している行動を、文師の「真の子女様」がおこなってい
るあいだ、どうして私は彼らと一緒にこの場所にすわっていることができるだろう?
私が足を踏み入れたびっくり館の鏡のなかでは、彼らの行動は問題ではなかった。私の
行動が問題だった。「おまえはなんでこうなんだ?」と孝進はうんざりして別のテーブル
に移る前に聞いた。「みんなが楽しんでるのを台無しにしてる。おれたちは楽しみにきた
んだ。おまえの子守をしにきたんじゃない」仁進は私の横の椅子に腰をおろした。「泣き
やめないと、孝進はすごく怒るわよ」と彼女は私に厳しく警告した。「あなたがこんなふ
うに行動していたら、彼はあなたを好きにはならないわ」私が気を落ち着ける前に、夫は
「いこう、こいつを家
に連れていくぞ」と怒鳴った。
「イーストガーデン」までの長いドライブのあいだ、だれも私に話しかけなかった。
(わが父文鮮明の正体 洪蘭淑著 林四郎訳 文藝春秋社 P121 )
仁進は私に言った。文鮮明は彼女を何度も何度もたたきながら、自分は彼女を愛するが
ゆえにたたいているのだと強調した。彼女が「お父様」の手でたたかれるのはこれが初め
てではなかった。彼女は言った。警察にいって、文鮮明を児童虐待で逮捕させる勇気があ
ればいいのにと思ったわ。私は彼女に一番いいブルージーンズと白いアンゴラのセーター
を貸し、その話によっていかに衝撃を受けたかを隠しておこうとした。
「真の家庭」内での新生活のなかでもとくに、文家の子供たちとその両親のあいだの不和
は私を唖然とさせた。私は早いうちに、これが暖かく愛情あふれた家族だという考えは間
違いだと気づいた。彼らが霊的に完壁な状態に到達しているとしても、日常の彼らの関係
にそれを見いだすのは難しかった、たとえばもっとも幼い子供でさえ、日曜の午前五時の
家族の敬礼式に集まるよう言われていた。幼い子たちは眠く、ときには不機嫌だった。女
たちは最初の数分問、子供たちをなだめようと努めた。私たちがすぐに子供たちを黙らせ
られないと、文師はか
んかんに腹を立てた。文鮮明が自分の子供のひとりを黙らせようとたたくのは何度も目撃
したが、初めてそれを見たときの嫌悪感を思い出す。もちろん、彼の平手打ちは、子供た
ちをますます泣かせるだけだった。
孝進は「お父様」と「お母様」に対する軽蔑を決して隠そうとはしなかった。彼は両親
を便利な現金の引き出し口座以上には見ていなかったようだ。結婚当初、私たちには当座
預金口座も決まったお小遣いもなかった。「お母様」が不定期に、ただ私たちにここで一
干ドル、あちらで二千ドルとお金を手渡した。子供の誕生日や教会の祝日には、日本人そ
の他の教会幹部たちが、「真の家庭」への「献金」として何千ドルも手にして屋敷にやっ
てきた。現金は直接文夫人の寝室のクローゼットの金庫に入れられた。
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孝進は、毎月約七千ドルほどを受け取っていたが、それは私たちがタリータウンのファー
スト・フィデリティ銀行に開いた共同名義の当座預金口座に直接振り込まれてきた。この
お金の特定の出所について、「日本」以上のことは私には決して明らかにはならなかっ
た。
(わが父文鮮明の正体 洪蘭淑著 林四郎訳 文藝春秋社 P127 )