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日刊ゲンダイ 05 8 23
魚住昭の「魚眼複眼」
すごい本が出た。オウム真理教の麻原彰晃被告の主任弁護人だった安田好弘氏が書いた『「生きる」という権利』(講談社)だ。
安田氏は7年前、強制執行妨害容疑で警視庁に逮捕され、後に無罪となった弁護士だから、彼の名は聞かれたことがあろう。
本のなかで彼は一連のオウム事件で捜査当局が隠蔽してきた事実を次々と明らかにしている。
坂本弁護士一家が1989年に失踪した際、現場には教団のプルシャ(バッジ)が落ちていた。
しかも実行犯のO(死刑確定)は神奈川県警に自首し、遺体を埋めた場所の正確な地図まで描いていた。
ところが県警はなぜかOらの犯行を見逃した。
当たり前の捜査をしていれば松本サリン事件(94年)や地下鉄サリン事件(95年)は起こらなかっただろう。
驚いたのは95年9月に遺体が発見された時、遺体があった場所の地下約70センチから、錆びたペンキのスプレー缶がでてきたという事実である。
これは神奈川県警がO証言をもとに地面を掘り起こした時、地表面に碁盤の目のように線を引いて区分けするために使ったものだった。
警察は「たまたま近くまでしか掘り起こさなかったため、遺体は発見できなかった」と弁明したが、そんなはずはない。
事件を握りつぶしたのだろう。
でなければ坂本弁護士が彼らの敵である共産党系だったから捜査を意図的にサボタージュしたのである。
神奈川県警は早くから教団が細菌兵器や生物化学兵器のようなものを造っているのではと疑っていた。
警視庁は94年9月に第7サティアンの側溝からサリンの分解物質を採取していた。
ということは松本サリン事件の少なくとも3ヵ月後につまり地下鉄サリン事件の半年も前に教団施設でサリンが製造されていることをつかんでいたことになる。
こうした事実から「警察は、事前にサリンがまかれることを知っていたのではないか」と安田氏は言う。
では、なぜ未然に防がなかったのか。
その事実に迫ろうとしたとき彼は逮捕された。
裁判所も検察もマスコミもぐるになって裁判(一審)を早々と終わらせてしまった。
いつもこの国では同じようなことが繰り返されて真相が闇に葬られていく。
それがわれわれを地獄の淵に導いていく道なのだと分かり切っているというのに。
以上です
本当に警察の不可解な動きは理解に苦しい限りです。
つまり警察内部に敵の息がかかった奴らがいたということになるのでしょう。
そうとしか考えられません。
警察には創価学会の手先がたくさんいるくらいですからね。